2011年7月8日(金)
私の映画『“私”を生きる』に登場する土肥信雄・元三鷹高校校長が東京都教育委員会(都教委)を提訴したのは、2年前の2009年6月だった。その裁判の最終口頭弁論が昨日、行われた。これまでの裁判は、私は当初傍聴しただけで、その後なかなか都合がつかず、傍聴できなかった。映画の取材・撮影でずいぶんお世話になった土肥さんに長い間、不義理をしてきた後ろめたさもあり、今日はなんとしても傍聴しなければと、東京地方裁判所へ向かった。
法廷の前に着くと、人だかりである。提訴から2年経っても、土肥さんを支援する人たちがこんなにたくさんいることに、まず私は驚いた。提訴直前に、三鷹高校の教え子やその保護者たちを中心に「土肥元校長の裁判を支援の会」が立ちあげられ、会報ニュースが定期的にはHPや個人へのメールで発信されている。
集まった支援者たちに、土肥さんはいつものユーモアたっぷりの語りで、お礼と心境を語った。2年以上も前の現役校長時代の土肥さんと少しも変わっていない。「人気取りのパフォーマンス」と言う人もいるが、その言動が何年経っても変わらないのは、それがこの人の素顔だからだろう。裁判が始まって2年が経っても、これだけの支援者を引き寄せる事実が、そのことを証明している。
傍聴席は42席しかなく、少し遅れてきた私は、傍聴券がもらえなかったので諦めていたが、私が土肥さんの映画を作ったことを知っているある支援者が、「ぜひ傍聴してください」と私に券を譲ってくれた。
法廷のなかで、土肥さんは証人席に立ち、用意した「最終口頭弁論 意見陳述」の原稿を読み上げた。
「今、提訴して本当に良かったと思っています。もし提訴しなければ、現職中の私に対する言論弾圧や非常勤教員不合格について、すべて闇の中に葬り去られるところでした。裁判を通して、とにかく都教委の主張を全部聞けたことは、お互いの主張がすべて公になり、どちらが正しいかを判断してもらえる材料が出そろったからです。
(中略)
私は、子ども達に、戦前のような暗黒の社会を再び経験させないためにも、教育の現場において言論の自由だけは絶対に譲ることはできません。発言することに命を賭ける必要のない現代において、『あの時言っておけば良かった』という後悔だけはしたくなかったんです。
一人ひとりの意見を尊重する民主主義にとって、言論の自由は不可欠です。私は、私と100%意見が違っている人でも、その人の言論の自由は100%保障したいと思います。そして自由な発言を通して決まったことについては、自分の意に反しても、それに従うことが民主主義を守るために必要だと思っています。
(中略)
事実は一つです。裁判の中では、その事実に基づいて、お互いの主張をぶつけ合い、論争ができるとばかり思っていました。しかし都教委はその事実さえも捏造し、私を抹殺しようとしたことが、裁判を通してはっきりと証明されたのです。
(中略)
私も都教委も、学校を活性化し、特色ある学校づくりをして、子どもたちが生き生きとした学校生活が送れるように望んでいるはずです。だからこそ、校長の権限と責任を強化し、校長のリーダーシップを確立させるし、都教委による教育支配を意図しているのです。
しかし都教委はその校長の権限ですら侵害し、都教委による教育支配を意図しているのです。
民主主義国家であり、法治国家である日本の最高法規は日本国憲法であり、日本国憲法第21条には、『集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由はこれを保障する』、また教育基本法第16条には『教育は、不当な支配に服することなく、この法律及び他の法律の定めるところにより行われる』と明記されています。私の主張と都教委の主張を十分に吟味、比較して、日本国憲法及び教育基本法の理念に基づく、公正な判断をして下さいますようにお願い申し上げます」
「都教委はその事実さえも捏造し、私を抹殺しようとしたこと」に対する土肥さんの怒りと失望は、私たちが想像もつかないほど大きかったはずだ。しかし、意見陳述はその感情に流されず、聞く人の心に届く言葉で、冷静に、切々と自分の真意を吐露している。感動的な文章である。
都教委のような強大な権力に、「退職した元校長」の一個人に過ぎない土肥さんが裁判で立ち向かうことに、「どうせ、裁判に勝てっこない。無駄な抵抗だよ」と嘲笑する物知り顔の人がいる。しかし、このような権力による理不尽な言論弾圧が「合法」とされ、世間でまかり通ってしまうとすれば、「自由と民主主義の国・日本」とは名ばかりになってしまう。
もう1つ、土肥さんを突き動かしているのは、この裁判が自らの“教育者としての自負と尊厳”を取り戻したいという強い願いだろう。「意見陳述」のなかで土肥さんは、こう述べている。
「(平成)20年度、非常勤教員採用選考推薦兼業績評価のオール『C』は私一人であったと、当時の人事部選考課長は証言しました。(790人の受験中最低の790番目の成績)私の退職にあたって、卒業生から退職の卒業証書をもらい、卒業生全員と保護者から色紙をもらった私が、なぜ最低の成績なのでしょうか。どうしても納得ができません」
この裁判は、教育者という職業に人生を賭け、納得できる仕事をしてきたという自信と自負を持つ土肥さんの、それを根底から否定する都教委に対する、自らの尊厳を取り戻すための全存在を賭けた闘いなのである。
【関連サイト】 映画『私を生きる』
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