2011年7月29日(金)
先週土曜日の夜に放映されたNHKスペシャル『飯舘村 〜人間と放射能の記録〜』(2011年7月23日(土) 午後9時00分〜10時13分・NHK総合)に圧倒され、呆然としている。4月下旬以来、3ヵ月にわたり取材を続けてきた私は番組の予告を見たときから、正直、怖かった。自分が長い時間をかけて取材してきた取材対象が、私が映画として公開する前にこの番組でいち早く、しかもより詳細に伝えられてしまい、私が映画にする意味あいがなくなってしまうのではないかと恐れたからである。実際、私が酪農家の長谷川さんや志賀さんたちを撮影する現場でしばしばNHKの取材班と鉢合わせになった。その結果がNHKスペシャルとして放映されるにちがいないと予想したのだ。
幸い、番組に登場する村人たちは、私が描こうとしている村人たちとは違っていた。しかしそれでもその内容の“深さ”に圧倒されてしまった。それは自分の飯舘村取材の“浅さ”を思い知らされることでもあった。
NHK取材班は私が現場に入る1ヵ月も前から、しかも3人のディレクターが同時進行で取材していた。取材も撮影も独りでやる私とはまず体制からして違う。しかも飯舘村にとって最も重要な時期だった原発事故直後からカメラが回っている。事故から1ヵ月半近く経って現地に入った私はその点からだけでも大きな遅れをとっている。また雪に覆われた飯舘村は、私には絶対撮れなかったシーンである。降雪シーンから新緑の山並みのシーンへ──その村の風景の移り変わりが、この番組にいっそうの“厚み”を生み出している。
番組は村の農作祈願の祭りのシーンで始まる。私はこの場面にまず、自分に見えていなかった重要な要素を突き付けられた。それは村の部落という共同体の姿である。それを象徴する“祭り”の存在に私は気付いていなかった。
放射能による飯舘村の農業の破壊を表すため2つの農家が登場する。菅野宗夫(かんの・むねお)さんの奥さんは、放射能汚染によって農産物が売れなくなった現状を訴え、「何も悪いことをしていない。みんなでがんばって暮らしてきたんだよ。なんでこんな仕打ちをうけなきゃなんないの」と号泣する。27歳の青年、菅野慎吾(かんの・しんご)さんは「普通に農業やって、子どもを育て、幼稚園、小学校に入れて、この環境の中で育てたかった。それが全部なくなって……」と泣きながら訴える。この2人の声と姿が「飯舘村の農業の破壊」の現状を強烈に視聴者に焼き付ける。これらのシーンも、事故直後の村人の衝撃のなかでしか撮れない映像である。その撮影からほぼ2ヵ月後、私が菅野慎吾さんを取材したとき、もう泣きながら悔しさと怒りをぶつけることもなく、淡々と子供への放射能の影響の不安を語った。
この番組の中には、私が飯舘村の映画のなかで伝えたかった要素が見事に織り込まれていた。1つは先の農業の破壊と畜産農家の廃業、子どもの放射能の影響への母親の不安である。
和牛の飼育農家、鴫原清三(しぎはら・きよみ)さんは、近い将来、畜産業を再開できることを期待して、25年交配の結果、産まれた「期待の星」であった母牛「清姫」など数頭を村外に預けようとするが、何年後に村に戻って畜産業を再開できるかを返答できない東電側の態度に失望した鴫原さんは断念した。
「移動してどうなるか。あきらめっぺ。何年経ったら帰って来れるか聞いても返答しねえからな。返答しないってことは、おそららく5〜6年、10年はダメだろうな」「もう疲れちゃった」
そして2週間後、牛車で「清姫」をふくめ全頭の牛が運ばれていく。去っていくトラックを見ながら鴫原さんは男泣きする。
もう1つ、飯舘村で描かなければならないのは、“家族の分裂”である。番組は4世帯が暮らす菅野初雄(かんの・はつお)さん(73)一家が避難し離散していく状況を描くことで表現している。孫、息子夫婦、そして初雄さんの日常を見せたのち、避難する前夜、家族全員の最期の夕食光景が映し出される。息子夫婦と孫たちは避難し、初雄さん夫妻と93歳の母親は家に残ることになった。
初雄さんがつぶやく。「家族がバラバラになるということは何でだ。東電原子力発電所の爆発によって家族がバラバラになっちまう。さびしいことだね」
引越し当日、息子たちの自転車を軽トラに積みながら、これまで多くを語らなかった40代の父親が憮然とした表情で言う。「余計なことだって、こんなことやることねえだもん。頭にきてるって、今になって。しょうがねかなって最初のうちは思ってたけど、こんなことやることねんだもんな」
家財道具を積んだ車から、13歳の孫が見送る老婆に「バアちゃん、バイバイ」と無邪気に手を振る。走る去る車を見つめながら、老婆は涙をぬぐう。
そして家に残った3人の食事光景。初雄さんがまたつぶやく。
「こうして離れ離れで淋しいし、かなしい。子供の顔を見ることができないし、三度の食事も、何を食ってもうまいと思わねえ」
孫たちの健康を祈って端午の節句に屋根に飾られた菖蒲とヨモギの葉が雨に濡れる。その葉からカメラはゆっくりと振り降ろされ、水滴が滴り落ちる窓越しに、居間に座る初雄さん夫婦とその母親の姿を映し出す。残された老人たちの孤独を見事に表現した、秀逸のカットである。
さらに村の共同体の崩壊も、この番組は描いている。毎年、村で田植え前に行われる祭りに、今年は7割ほどの村人しか集まらなかった。すでに村から避難した人も少なくないからだ。丘の頂にある祠(ほこら)の前に集まった村人たちがカメラに向かって語る。
「戻れるかわかんないけど、こうやって集まるだ。今日がこの部落としては最後でねえかっつんだ。毎年、ここへ来てたから、みんなの顔見られると思って来た。全然、みんなの顔見られなかったし」
「先祖はこうやってきた。離れるなんて悔しくてしようがねえ。昔っから何代も続けた土地を、これだめんなっちゃうんだべ。おらは行きたくねえ。先祖様、みんな居んだぞ。結局いつここさ来られるだが。あと継ぐころは荒れ土になっちゃって。今の若い人は来なくなっぺや。だから泣きたくなっちまうぞ」
そう語る老人たちのうしろで、老婆が他の村人たちと別れと握手をして、曲がった腰で杖をつきながら丘を下っていく。その後ろ姿をカメラが遠くからじっと追う。
こうやって昔から強い絆で結ばれてきた村の共同体が壊れて行く。その現実を、祠の前のシーンに凝縮させている。
この番組にNHKドキュメンタリーの底力を見せつけられる思いがした。3つの取材班が3ヵ月をかけて撮り続け、超一級の編集者がまとめ上げたこの番組を見せられた後に、私のように限られた時間と資金となかで独りで取材、撮影、編集をやるフリーランスのジャーナリストがこの番組以上のものが描けるのか。私は力が抜けるような思いに襲われた。しかしここで私のドキュメンタリー映画作りを中断するわけにはいかない。まったく違う手法で、この番組から漏れた視点を描くしか私に残された道はない。
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