2011年8月25日(木)
4月下旬以来、取材を続けてきたドキュメンタリー映画『飯舘村─故郷を追われる村人たち─』の粗編がほぼつながった。2時間15分、3部構成である。なんとか1時間半前後に納めようとしたが、やはり切れなかった。『沈黙を破る』が2時間10分、『“私”を生きる』が2時間18分だから、私の映画としては特別に長いわけではないが。
今回も、「監督・撮影・編集」は私自身である。撮影に自信があるわけではないが、何を伝えたいか、それをどう撮ればより効果的に伝わるかは、私自身でなければわからない。それは技術的に「上手い」「下手」以上に大切なことだと考えている。しかし編集の段階で、撮影した映像を観返すと、あまりにひどい映像にうんざりして落ち込んだり、「逆スイッチ」、つまり撮るべきシーンではなくスイッチを切ったと思い込んだ後の、例えば自分の足元の映像しか映っていなかったり、音が入っていなかった(音声スイッチがOFFのまま撮影していることに気付かない場合が時々ある)ことが判明して青ざめたりで、編集モニターを前に呆然自失することが今回も1度や2度ではなかった。
これまで海外で撮影する場合、撮影直後に「カット表」(時間ごとにどういう映像があるかを表にしたもの)を作成するため、撮った映像を現場で観返し、失敗にすぐに気付く。そんな時、インタビューのように再撮(撮りなおし)が可能な映像は、恥をしのんで、もう1度、インタビューをお願いする。しかし事件現場のように、その時でしか撮れない場合は最悪である。撮り直しがきかないのだ。
今回のような国内取材の場合、「失敗したら、またいつでも来れる」という安易さ、心の隙(すき)がどこかにあったのか、飯舘村で毎日、取材とその準備に追われ、また疲労のために現場で映像をチェックすることがなかった。その結果、映画の核の1つになるある人物のインタビュー映像がピンボケになるという、プロとして公言するのも恥ずかしい、大失敗をしてしまった。福島に戻り、その人に再度インタビューをお願いすることはできるかもしれない。しかしその人が当時の状況の中で吐露した心情をそのまま再現してもらうことは不可能だ。言葉は同じでも、その言葉の発し方、そのときの表情は2度と再現できないのだから。
編集作業は私にとって、現場での撮影の失敗、映像や音声の不具合をできる限り修復するための作業でもある。編集ソフトの優れた機能によって、映像と音声を切り離し、他の映像や音声を他のものと差し替える。目ざわり、耳障りな映像や音声を他の適正なシーンに替えるのも難しくない。パソコンで打ち込んだ文章が簡単に「カット&ペースト」できるように、映像も音声も自由自在に切り貼りができるのである。だから、「ドキュメンタリー」と言っても、「現実そのものの再現」ではない。そこには編集者である私によって「加工」されている場面も少なくない。
私は「ADHD(注意欠陥・多動性障がい)の傾向がある」と、それを勉強をしている連れ合いからよく指摘される。本来、子どもに多い「障がい」だと言われるが、大人になっても解消されないケースもある、私はその典型だというのだ。たしかに、興味のないこと事をやらされると、私は一時もじっと座っていられず、動き回ってしまう。おもしろくもない話を延々と聞かされる会議や講演、つまらない映画などで座席に座り続けなければならないのは、私にとって“拷問”である。その不快さを直截に表情や言動に表してしまうので、隣席の連れ合いは、講演者自身や周囲の観客に不愉快な思いをさせるのではと気が気ではないと、いつもぼやく。
そんな私が、編集作業では何時間でもパソコンの前に座っていられる。子どもが積み木でのもの作りに夢中になるように、自分が撮影した映像を切り貼りしながら、物語を作り上げていく作業に夢中になるのだ。
私は、そういう機会がなければ決して出会うことのない人と出会い、まったく知らなかった現実や世界と向き合う取材、とりわけ、それを映像で切り取り記録する“撮影”という行為が好きだ。無我夢中になる。それと同じくらい、自分が悪戦苦闘して撮影した映像を切り貼りし積み上げながらストーリーを組み立てていく“編集”という作業も大好きである。「ああでもない、こうでもない」と試行錯誤しながら、少しずつ、自分が表現したい“物語”を積み上げていく──そんな “遊び”の面白さと醍醐味を編集者という他人に譲り渡してしまうなんてもったいないと思ってしまう。しかも自分がめざす“物語”は、“撮影”という現場での作業を通して、撮影者の中で徐々に醸成され、輪郭が形づくられていくものであるのだから、撮影者が編集するというのは、当然の成り行きであり、最も効率がいいはずである。
私が制作したドキュメンタリー映画はほとんど自分で撮影し、編集したものである。『沈黙を破る』も基本となる粗編は私が長い月日をかけてつなぎ、それにプロの編集者とプロデューサーが、私が伝えたいことをより鮮明に効果的に伝えるための工夫をし手を加えてくれた作品だった。『沈黙を破る』を含む『届かぬ声─パレスチナ・占領と生きる人びと』の編集に私は断続的にほぼ3年をかけた。しかし、もしこの編集を他人に任せていたら、その何倍もの時間を要していただろう。映像の状況がわからなければ編集者は映像をつなげない。17年間に撮影した数百時間の映像について1カットごとにその時と場所の状況を編集者に説明しなければならないからだ。もちろん、撮影した私自身、撮影した映像カットをすべて記憶しているわけではない。しかし幸い、私はパレスチナで撮影した映像テープ全てのカット表を残していた。例えばこんな具合だ。
48:26 国境の壁のパーン
50:17 壁の銃痕から家の瓦礫
51:16 壁の穴から国境をのぞく
52:06 破壊されたイブラヒムの借家付近
52:45 瓦礫の上の子供たち
(左は分/秒 右はその映像の内容)
性格的に大雑把、面倒くさがり屋でち密さに欠ける私には珍しく、こまめに記録を残している。その紙の厚さは数十センチにも及ぶ。1993年から2年間は手書き、その後はワープロ、そしてパソコンの文字に変わった。そのページをめくると、撮影当時の光景や状況、その瞬間の心情が私の脳裏に蘇ってくる。現場にいなかった編集者はそうはいかない。数百時間の映像から欲しいシーンを選んで抜き取り、各2時間前後の映画を4本創り上げる膨大な作業を可能にしたのは、このカット表のお陰だった。
もちろん、独りで撮影し編集することのデメリットもある。どうしても独りよがりになりがちで、状況をまったく知らない一般の視聴者に伝わっていないことに気付かないことだ。何度も現地に通っている自分には「説明の必要もない常識」であっても、視聴者には理解できず、ついていけない。現地を知っているから「おもしろい」ことも、一般の日本人には「意味不明な言動」になってしまう。また映し出される現地の人物に思い入れが強すぎて、執拗にその言葉を重ね合わるが、他人には退屈極まりない演説に聞こえる。撮影時の自分の思いに引きづられ、ときには溺れ、他人が辟易するような自己陶酔の映像になってしまうこともある。それを修正するために、私は粗編の段階で、信頼できる映像のプロたちに観てもらうことにしている。厳しく批評され、打ちひしがれるときもあるが、独りでは見えてこなかった欠陥、自覚できなかった思いこみ、独りよがりに気付かされ、その後の仕上げに重要なヒントを教えてもらえる。私のドキュメンタリー制作にとって、どうしても欠かせないプロセスである。
独りで撮影し編集することのこのような落とし穴はたしかにあるが、ただ、これだけは言える。
「撮影し編集している自分自身が感動しないものは、絶対、観る人、聴く人を感動させることはできない」
つまり自分が感動できなければ、他人を感動させることはできないということだ。だから表現者に絶対不可欠なのは“感動する感性”だと私は思う。その“感性”は天性のものもあるだろうが、それだけではないような気がする。“現場”で人や事件に出会い、感動し、歓喜し、怒り、悲しむなかで“感性”は養われ育てられていく、表現者が“現場”に足を踏みいれることの意味と重要さの1つはそこにあると私は信じている。
独り部屋にこもって映像をつないでいくとき、「これで伝わるのだろうか」「他人に観てもらう価値もない、自己陶酔、独りよがりの駄作じゃないか」という不安にかられ、潰れそうになるときがある。そんなとき、私は長年通い続けたパレスチナの“現場”に養われ育ててもらった自分の“感性”にしがみつく。不安に震えながら、必死にしがみつく。才能があるわけでもない自分には、これしか頼るものはないのだから。
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