2011年9月15日(木)
9月9日から4日間、2ヵ月ぶりに福島を訪ねた。現在、編集中のドキュメンタリー映画『飯舘村─故郷を追われる村人たち─』の主要な登場人物たちのその後を追うためである。
その一人、酪農家・志賀正次(しが まさつぐ)さんと奥さんの百合子さんは、飯舘村の蕨平(わらびだいら)地区から南相馬市原町(みなみそうまし はらまち)のアパートに避難していた。志賀さん夫妻は、今後の就職のために8月以来、特殊車両の免許を取るため教習所に通った。正次さんは5種類、百合子さんも2種類の免許を取得した。これで、津波の被災地でもある南相馬市で瓦礫の撤去作業や住宅の復興工事などの仕事につける。志賀さんは、高い放射線量が2、3年のうちに下がる見込みもない飯舘村の蕨平地区で酪農を再開することはほとんど不可能だろうと判断した。それに、4月以降味わってきた、家族のような牛たちを手放すときのあの辛さを、もう2度と体験したくないという思いが志賀さん夫妻にある。
志賀さんにおめでたい出来事もあった。私が訪ねる数日前、南相馬市で暮らす長女に男の子が生まれたのだ。48歳の正次さんは「おじいさん」に、47歳の百合子さんは「おばあさん」になった。私が訪ねた翌日、2人は福島市内の病院から退院する娘親子を迎えに行った。しばらく娘親子は志賀さんのアパートに滞在するという。夫妻は、初孫の世話で大わらわの日々が続くことだろう。3月以来、絶望的なほど辛い日々が続いた夫妻に、久しぶりに明るい光がさした。
志賀さんの両親は、原町から数十キロ離れた伊達市梁川町(だてし やながわまち)のアパートで暮らしている。お父さんの正男さん(73歳)は、飯舘村を村人自身が警備する「見守り隊」に参加しているため、3日に1度、アパートの自宅から村まで20数キロを車で通っている。そのたびに蕨平の家に立ち寄り、家の中の空気の入れ替えをするのだという。母親のエミ子さん(73歳)はアパートの近くを散歩するのを日課にしているが、数年前に患ったガンの再発を抑えるための抗がん剤を服用しているため、長く歩く体力はない。どうしても家に閉じこもりがちになる。老夫婦が知らない町に移り住むとき、一番苦しいのはこの孤立感だろう。幸い、この老夫婦には車という移動手段があることは救いだが。
5月、蕨平で牛を屠場に送る日、母親のエミ子さんは、「原発さえなければ、息子夫婦と一緒に暮らせたのに。一緒に暮らしたかった……」と泣いた。そして4カ月後、実際、志賀さん親子は、車で1時間ほどもかかる離れた場所で別々に暮らしている。
私の映画でのもう1人の主役、長谷川健一さん(58歳)も、飯舘村の前田地区から車で40分ほどかかる伊達市伏黒(だてし ふしぐろ)の仮設住宅に居を移していた。長谷川さん夫妻と長谷川さんの両親の4人暮らしである。この住宅の全戸数は126戸だが、9月初旬段階で入居しているのは80戸ほどで、そのうち20戸は、長谷川さんが区長を務める前田地区から住民だ。地域のコミュニティーの絆を維持するために、長谷川さんが呼びかけて、前田地区全54戸ほどの戸数のうち20戸ほどがこの仮設に集まった。妻の花子さん(58歳)は、この仮設住宅の管理責任者という「準公務員」の役職についた。新たな場所での慣れない生活に戸惑う住民たちの悩みごとの相談や世話に追われ、大忙しの毎日である。夫の健一さんは、住宅の隣に畑を借りた。私が訪ねた12日、飯舘村の自宅から古いトラクターを運び、その畑を耕した。ここで所在なく暮らす飯舘村の村人たちが畑仕事をして気分を紛わせられればとの思いからだ。
健一さんは、2、3日に1度、時には毎日のように昼間、飯舘村の自宅に戻る。「やっぱり、自分の家が一番落ち着くから」と健一さんは言う。
健一さんの後継者になるはずだった長男・義宗さん(32歳)は山形県米沢市近郊の村にある酪農牧場にいた。この地域の酪農組合が経営するこの牧場では数百頭の乳牛を飼っていて、8人のスタッフが働いている。飯舘村での酪農仲間だった田中一正さん(40歳)に誘われて、共に8月からこの牧場で働き始めた。義宗さんの奥さんも2歳になる長女も牧場の近くのアパートに移った。放射線量が下がらない福島市内のアパートから離れることも、義宗さんが山形に移る決心をする大きな動機だった。まもなく2人目の子どもが生まれる事情も義宗さんの背中を押す大きな要因だった。
巨大な円形台に次々と入ってくる200頭を超す乳牛の搾乳は、数人がかりでも3、4時間はかかる。早朝から夜8時過ぎまでの仕事だが、週に2日の休日が取れることは、自営の酪農時代との大きな違いだ。飯舘村時代から気心の知れた田中さんと同じ職場で、好きな酪農の仕事ができるのは、義宗さんにとって願ってもない環境である。将来、2人で独立し、共同経営の牧場を立ち上げることも視野に置きながら、2人は新天地で新たな道を歩み始めた。
2ヵ月ぶりに会った飯舘村の家族。各々の家族が離れ離れになり、それぞれの場所で、新たな道を模索し始めている。
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