2011年11月6日(日)
午前4時過ぎに起きた。ホテルの外に出ると、まだ真っ暗なのに青年たちがボール遊びをしている。通りに出ると、コーヒーショップに男たちがたむろしている。まるで昼間の通りのようなにぎやかさだ。今日から、本格的に犠牲祭(イードゥ・アルアドハー)が始まったのだ。ちょうど日本の大晦日から元旦の朝にかけての光景に似ている。ザマレク地区の西隣の地区にある大きなモスク、「ガマ・ムスタファ・アハマド」にタクシーで出かける。モスク前の広場はもう人だかり。絨毯が敷きつめられている。広大なこの広場が祈る人でいっぱいになるのだろうか。子供たちがその絨毯の上を走りまわっている。中には、夜をここで明かしたのだろう、寝ている人もいる。
午後4時半過ぎ、夜明け前の祈りが始まる。モスクの外に、預言者モハマッドと思われる人物の絵が描かれた幕が張られ、そこに祭壇が設けられている。続々と、その祭壇の前の広場に男たちが並び、祈りが始まる。祈りの後も、男たちは広場前に座ったまま。祭壇前では、ムフティール(イスラム教の導師)たちが輪になって座り、代わる代わるモハマッドを讃えるお経を唱え、それがモスク前の広場に鳴り響く。それに魅きつけられるようにまたどんどんの人が集まり、広場は本当に祈りの人で埋まってしまった。壮年や老人たちだけではない。子供も青年も混じっている。女性たちは後方に陣取っているようだ。
夜が明けて、空が明るくなってきた。やがて名士たちがやってきて、祭壇前に横2列に並んだ。軍人もいる。いよいよイードゥの始まりを告げる祈りの本番だ。主役のムフティールが登場しマイクを通して祈り声を張り上げた。数千人にもなろうとする人びとの祈り。壮大だ。私はカメラを回し続ける。祈りが終わった瞬間、口笛と歓声が上がった。これからイードゥだ! と言わんばかりに。花火が上がった。広場の芝生に、家族が輪になって座る。まるで家族のピクニックのようだ。風船を売る者、焼き芋屋もいる。祭りである。日本の元旦にようなこんな日に、役所のプレスセンターや内務省が機能するわけがない。当分、ガザへの通行許可は下りそうにないと諦めた。
ザマレク地区に戻ると、ホテル近くの通りにある肉屋に人だかり。羊を屠殺している現場だった。鮮血が道路に流れ出ている。近づくと、喉を切られたばかりの羊が、足をばたつかせている。私はカメラを回す。喉元から鮮血が吹き出し、気管の切り口がのぞいている。目をむいていた羊が静かに目を閉じ、ばたつかせていた足もぴたりと動きを止めた。絶命したのだ。すぐに皮を肉からはぎ取る作業が始まり、解体されていく。それを見守っているのは、新鮮な肉を買い求める客たちだった。
ホテルに戻りいつもの朝食を取り、1時間ほど仮眠を取った。このままホテルでじっとしているのはもったいないから、「カイロの台所」と言われる「スーク・イル・アタバ」へタクシーで向かう。いつも渋滞でなかなか進めない道も、今日はスカスカ。沿道の商店もほとんどがシャッターを下ろしたまま。スークに到着しても、閑散としている。殆どの店は閉店だった。しかたなく、今度は歩いて帰る。「6月20日通り」まで出て、それからはいつもの帰り路だ。ただ違うのは、いつもなら、車と人でごったがえする通りが、閑散としていることだ。
これではまったく仕事にならない。
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