Webコラム

日々の雑感 246:
(エジプト)タハリール広場の大衆デモ

2011年11月26日(土)


(カイロ、タハリール広場)

 11月24日、予定通り、イスラエルのベングリオン空港からカイロへ飛んだ。これまでの長い体験からトラウマにさえなっているイスラエル側の空港での「尋問」も、ジャーナリストであることを示す書類を示すと、こちらが調子抜けするほど簡単にパスできた。荷物検査もなし。1時間ほどでカイロ空港に着いたが、ここで問題が起こった。私が持っている業務用のカメラが税関で問題となったのだ。アサイメント・レターを出してくれた放送局からカメラに関する証明書はあるのかと税関の役人が私に訊いた。そんなものが必要だと知らなかったし、前回、日本からエジプト入りするときには全く問題なかったのに、突然、そんな問題を持ち出されて驚いた。それがないとカメラを空港の税関に預けるか、一定の現金を預けなければこのカメラを持ち込めないというのだ。ここでいくら抗議しても、「それがここの規則だ」と跳ね付けられるのは目に見えている。私には選択肢はなかった。500ドル近い金を支払って(帰国時にその金は返金されると役人は言った)やっと空港の外に出た。
 今度の旅は、スケジュールが計画通りに進まず、予想もしなかったことが次々に起こって、ストレスがたまるばかりだ。日本では正常値に近かった血圧も上が180前後、下も100を越える数値になるときもある(中東でまた脳梗塞にでもなったらたいへんだから、今回は血圧計を持参している)。こういうときは、とにかくリラックスするため十分に休むしかない。

 私がエジプトに戻る1週間前から、カイロのタハリール広場で、また大きなデモが起こっていた。デモ参加者と治安部隊との衝突で、数日間で30人を越える犠牲者が出たという情報はエルサレムで知った。カイロに戻ったら、デモの現場を取材したいと願っていた。
 そしてデモ発生からちょうど1週間後の11月25日の金曜日、私はタハリール広場に向かった。前日から治安部隊はデモを武力で抑え込む方法を止め、デモの現場から姿を消したため、それまで報じられていたような緊張した状況ではなくなっていた。しかし今日は金曜日。礼拝の後、数十万人規模のデモが予定されていた。
 午前11時半ごろタハリール広場に近づくと、すでに広場は群衆で埋まっていた。しかし衝突の兆しはなく、まるで人が祭りの集まっているような雰囲気だ。お茶やパン、焼き芋を売る屋台もある。あちこちで男たちが国旗を売っている。集まっている人たちは老若男女、若い女性や家族連れも多い。正午前、礼拝のために広場の一角は群衆で埋まった。メッカの方向に向かってずらりと並ぶ。スピーカーからイマンのアザーンと説教の声が流れる。ときどき大群衆の中から拍手が起こる。群衆の輪は膨れ上がり、やがて祈りが始まる。数万人の礼拝者たちが一斉にお辞儀をし、一斉に座って頭を垂れる光景は壮大だ。礼拝はいつもよりずっと長く続いた。中には祈りながら恍惚状態になる者、涙を流す者もいる。祈りの後は、デモ集会の場に変わった。国旗を振りかざし、片手を突きだし「軍事評議会のタンタウィは去れ!」というシュプレヒコールが広場に響きわたる。そのデモの群衆の中に入ると、ちょうど満員電車の中に閉じ込められたように自由に身動きもできない。群衆の中にいると、デモの熱気が全身に伝わってくる。感心したのは、こんな状況で多発してもおかしくないスリや窃盗の恐怖心をまったく感じないことだ。もみくちゃにされながらも、私の背中のバックから荷物が盗まれることもなかった。大群衆だが、そこには秩序がある。集まった群衆は、ここが何か“神聖な場所”でもあるかのように、押し合いへしあいしながらも、きちんとルールを守っている。そう言えば、広場への入り口にはボランティアの青年たちが待機し、やってくる者たちの荷物検査をしていた。旧ムバラク派や治安当局の人間が武器を持って入って来てデモを妨害するのを防ぐためだろう。広場の中央にはテント村ができている。そこで若者たちが横になっている。徹夜したのだろう。白衣を着た青年たちのグループもあちこちで見かけた。デモで負傷したり、体調で壊した参加者たちの治療をするボランティアの医者や看護師、そして医学生たちのようだ。テントは徹夜したデモ参加者たちの宿泊場所であるとともに、負傷したデモの青年たちのための“診療所”にもなっている。
 数日前にテレビで見たような催涙ガスや銃弾が飛び交う緊張した空気はない。治安部隊は前日から姿を見せなったため、衝突もなくなった。ここに集まっている群衆も政治的な目的もあろうが、むしろ祭りのようにデモを楽しんでいるように見える。日本のデモと違って、とにかく雰囲気が明るく、参加者の肩に力が入っていない。だからこそ、長期的なデモができるのだろう。“政治運動”も、やはりそれ自体が楽しくなくては一般大衆は呼び込めないし、長続きはしない。深刻な表情で、固いスローガンを叫ぶ日本のデモや集会を思い出しながら、そう思った。
 翌日の26日(土)はイスラムの新年で休日。またタハリール広場に出かけた。昨日はびっしり群衆で埋まっていた広場は自由に歩けるほど人の数が減った。デモは昨日をピークに一挙にしぼんでしまった。それでもいくつか政治議論の輪、小さなデモの輪ができている。28日からの選挙が予定通り実施されることが決まり、一方、このデモを統制している若者たちが広場の掃除を始めた。単に政治スローガンを叫び気勢を上げるだけではなく、記ちんと統制のとれた姿に感動した。

 タハリール広場を中心とした今回のデモにはムスリム同胞団は参加していない。彼らにとって、11月28日に予定されている選挙が、いまデモで中止になることは望みではない。とにかく選挙を実施したい。選挙をやれば勝利し政治の実権を握れるからだ。

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