2011年3月21日(水)
演劇『パーマ屋スミレ』は、日本の高度成長期の真っただ中、東京オリンピック直後1965年の頃の、九州・大牟田の炭鉱住宅の「在日」コミュニティーの物語である。作・演出は「焼き肉ドラゴン」で数々の演劇賞を受賞した鄭義信(チョン・ウィシン)。満席の観客が泣き、そして笑うこの演劇には、「在日」の問題、「北朝鮮への帰還問題」「『エネルギー革命』による石炭産業の衰退」「資本による労働組合の分裂工作」「コスト・カットによる安全管理の無視と炭鉱爆発」「国と資本によるCO(一酸化炭素)中毒後遺症患者たちの切り捨て」「CO患者とその家族の悲劇」などの深刻な諸問題が散りばめられている。
「在日」の3姉妹の次女、須美(南果歩)は、在日コミュニティーの「アリラン峠」で理髪店を営む。しかし夫が炭鉱の爆発事故でCO患者となり障害者となる。妹・春美(星野園美)も、重度のCO患者となった夫の発作と暴力、生活苦に呻吟するが、ついには発作の苦しさを見かねてその夫を殺害してしまう。姉妹、兄弟の間の憎愛、無力な労働組合への幻滅、日本社会の「在日」差別など、社会の最底辺の中で様々な辛苦を飲み込みながら、「アリラン峠」の在日コミュニティーの住民たちは怒り、泣き、笑いながら、たくましく生き抜いていく。
1953年、この舞台の大牟田から遠くない佐賀の農家で生まれ育った私には、ほぼ同時代の出来事だったはずなのに、幼かった私の記憶に残っているのは、この舞台で高揚したアナウンサーの声を通して伝えられる、あの東京オリンピックの華やかさだけである。同時期に、故郷から遠くない地で、たとえ当時まだ幼かったとは言え、私はこんな現実があったことなど全く知らずにこれまで生きてきた。舞台で語られる九州弁が、私の少年時代の記憶を彷彿とさせる懐かしい響きを持っているがゆえになおさら、その現実にまったく無知であったことをこの演劇で突き付けられ、私は鉄棒で頭をぶんなぐられるような衝撃を受けた。私が、日本選手が活躍するオリンピックのテレビ映像にくぎ付けになり、無邪気にはしゃいでいたあの時、すぐ傍にこのような現実があったのだ、ということを幼かったあの当時ならともかく、大人になってからも私は知らなかったし、知ろうともしなかったのだ。
劇作家に限らず“表現者”がまず自問し、また他から問われるのは、“何を伝えるのか”だろう。観客を泣かせ、笑わせる演劇はたくさんある。しかし、その背後に、人を苦しめ泣かせ、笑わせる根源、大きな問題の構造、この舞台でいうなら、冒頭で書いたような、「在日差別」の問題、「北朝鮮への帰還問題」「『エネルギー革命』による石炭産業の衰退」「資本による労働組合の分裂工作」「コスト・カットによる安全管理の無視と炭鉱爆発」「国と資本によるCO(一酸化炭素)中毒後遺症患者たちの切り捨て」「CO患者とその家族の悲劇」が背後に透けて見えていないと、その笑いや涙は薄っぺらなものになってしまう。理不尽で不条理な社会や政治の在り方への“表現者”の“怒り”から発する涙や笑いこそが、深く強く観る者の心を揺さぶるのだと、私はこの「パーマ屋スミレ」を観ながら改めて実感した。しかし一方、社会・政治の問題が前面に出過ぎると、「主義・主張を伝えるための運動の演劇」になってしまい、観客は引いてしまう。そうなると役者たちの発する言葉は、観客の胸に届かない。だから“怒り”の根源となる“問題の構造”は、「背後に透けて見え」る程度に抑え込まなければならない。劇作家も役者たちも“表現者”は、その兼ね合いが難しいだろうし、一番悩むところだろう。
この舞台でも三姉妹の長女・初美を演じる根岸季衣さんが、今年1月、東京・渋谷の劇場で上映された私のドキュメンタリー映画「“私”を生きる」のトークショーに出演してくださったとき、こう語った。
今の時期に本当に腹立たしいことがあまりに多くて、でもそういうことに全部取りかかるということは活動家になるということで、それは私が表現したいことと一致する場合もあるし、ずれている場合もある。そうしたら、表現者として何ができるのか、何を人の前で見せていくのか、だと思います。幸いなことに、ちょうど3.11の震災の時にもやっていた舞台が『シングルマザーズ』という永井愛さんの脚本の舞台で、本当に苦しいところで頑張っているシングルマザーたちの実際のたたかいから題材を得た芝居だったので、それがそのまま福島で支えあう人たちに共通するような、そういう思いをもって舞台ができました。また実際に被災地にチャリティー公演にも行けて、避難所の方々にも観ていただけたりしたので、すごく自分の仕事ともリンクすることができて有難かったですね。
今度の『パーマ屋スミレ』もそうやって昔の三池炭鉱の話から今の原発を自分の中で感じることができる、感じたものをみなさんに舞台の上から届けられるという仕事をしていくことが、とても矛盾を感じる時もありつつ、やはり自分の中で試行錯誤しながらこれからもやっていきたいなと思っています。
それにしても、生の舞台の迫力には圧倒される。数メートル先の舞台の上で俳優たちが全身で叫び、泣き、笑う。目の前に、あの時代を生きた生身の人間たちがまさに“そこにいる”のだ。演じる役にのり移ったような俳優たちの熱演を目の当たりにし、私は1965年のあの炭鉱町の世界に引き込まれていく。私自身がまったく出会う機会もなかった、あの同時代の、あの近隣の地での、あの出来事──それは想像上だけのことであっても──を、目の前で再現し、私たちをその現場に連れていき、疑似体験させるのだ。そして観ている私自身が、登場人物たちの痛みや悲しみ、喜びを共有し、共に泣き、笑う。“演劇を生で観る”ということは、そういうことなのだ。
そして観る者にこんな感動を与える劇作家や俳優という仕事は凄いと心底思った。最後のカーテンコールで鳴りやまない熱い拍手は、観客たちの「こんな感動をいただき、ほんとうにありがとう!」という叫びのように私には聞こえた。その拍手は、舞台に現れた俳優たちだけではなく、こんな素晴らしい作品を世に出してくれた劇作家、鄭義信氏への称賛と深い感謝でもあった。最後まで姿を現さなかった鄭氏は、どんな思いでこの熱い拍手を聞いていたのだろうか。まさに“表現者”“伝え手”冥利に尽きる瞬間だろう。
ジャンルは違うが、ジャーナリストという“伝え、表現する”仕事に携わる私も、その仕事に向き合う姿勢を改めて正させられる貴重な体験だった。
(『パーマ屋スミレ』は新国立劇場 にて2012年月25日まで上演)
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