Webコラム

日々の雑感 266:
映画『壊された5台のカメラ』の衝撃

2012年6月5日(火)

 私の映画『“私”を生きる』の配給・宣伝を担当してくれた「浦安ドキュメンタリー・オフィス」の中山和郎さんから、「日本での上映を計画しているパレスチナのドキュメンタリー映画を観てほしい」と、1枚のDVDが送られてきた。そのタイトルは『5 Broken Cameras(壊された5台のカメラ)』。
 舞台は、イスラエルとの境界に隣接するパレスチナ・ヨルダン川西岸のビリン村。「テロリストの侵入を防ぐため」とイスラエル政府は、2002年からイスラエルと西岸との「境界付近」に「分離壁」の建設を進めた。問題はその建設場所だった。1967年の休戦ライン(グリーンライン)が国際的に認知されたイスラエルとパレスチナの“国境”である。しかし「分離壁」は、その国境に沿って建設されず、西岸側に大きく食い込むかたちで作られていった。それは3つの狙いがあった。1つはすでに西岸内に建設されたユダヤ人入植地をイスラエル側に取り込むため。2つ目は西岸のパレスチナ人の土地を侵蝕して境界付近の入植地を拡張するため。そして3つ目は西岸西部の地下水源をイスラエル側に入れるためだ。
 “国境”に接するビリン村で起こったことは2つ目のケースである。その「分離壁」を建設するためにビリン村の農地が破壊され分断されることになった。村人たちはそれに抗議し、非暴力のデモで抵抗を続ける。
 この映画は、その村人たちの抵抗運動と、それを弾圧するイスラエル国境警備兵、村人たちのオリーブ畑を破壊し暴行を加える入植地たち、さらにカメラマンの家族の生活を5年に渡って描いたドキュメンタリーである。
 主人公のエマドが最初のカメラを手にしたのは、末っ子の4男の誕生と成長を記録するためだった。しかしそのカメラはやがて抗議デモとそれを力で抑え込もうとするイスラエル兵たち、暴行を加える入植者たちに向けられるようになる。その過程で、兵士や入植者たちによって、次々とカメラが破壊されていく。一度は、被弾したカメラに身を守られ九死に一生を得る。エマドはそのたびにカメラを手に入れ、執拗に撮影を続けていく。

 私はこの映画を観終わって、しばらく言葉を失った。2つのことに私は強烈な衝撃を受けていた。
 1つは、「カメラで記録する」ことの意味と覚悟を、エマドが身を挺して撮影した映像に突き付けられたからだ。実は、2005年8月、私自身もこのビリン村で村人やイスラエル人支援者たちの抗議デモ、それに対するイスラエル兵の容赦のない弾圧の様子を撮影していた。その映像の一部は私の映画『沈黙を破る』の中で使っている。しかし私の映像、とりわけ兵士と村人たちの衝突の現場の映像は、現場から2、30メートル距離を置いた地点から撮影した引き目の映像だ。なぜか。衝突の真っただ中にいるのが怖かったからだ。「撃たれるかもしれない。暴行を受けカメラを壊され、没収されるかもしれない」という恐怖心だった。
 しかしエマドの映像は、その兵士の弾圧の真っただ中の様子を至近距離で映し出している。カメラマンが外国人なら兵士たちも少しは手加減はするだろう。しかしパレスチナ人なら相手がジャーナリストであろうが容赦はしない。実際、エマドは撃たれ、暴行を受け重傷を負う。それでもエマドは新たなカメラを手に入れ撮影を続ける。妻に「家族の安らかな生活のために、お願いだからもう撮影は止めて!」と哀願されても、エマドは撮り続ける。
 撮影を制止し暴行を加える兵士やユダヤ人入植者たちを至近距離の映像に、私は、「これはほんとうにパレスチナ人のカメラマンによる映像なのか」と一瞬疑った。それは外国人のカメラマンにとってさえ危険すぎる行為だからだ。私も現場で何度か兵士や入植者たちに撮影を止めろと恐喝されたことがある。私はすぐにカメラを下げスイッチを切った。そうしない場合に予想される仕打ち、暴行が怖かったからだ。「カメラを破壊され、それまで撮影したテープを没収されたらと元も子もない」と、考えてしまうのである。
 しかしエマドの映像は、制止されても止まらない。「その後の相手の動きこそ記録しなければ。記録せずにおくものか」という気迫が伝わってくる。それは当事者であるビリン村のパレスチナ人ゆえの怒り、使命感からだろうか。外国のジャーナリストがここまでできるだろうか。少なくとも、臆病な私にはできなかった。カメラは夜中に襲撃してくる兵士をも至近距離から撮影している。普通ならカメラを叩き壊されるか、没収され連行される。それでもカメラは回っている。兄弟が兵士に連行されていく現場も、抵抗運動のリーダーの1人であった親友が射殺される瞬間も映像は記録している。そしてそのために払わなければならなかった代償が、映画の最後に映しだされる、腹部を縦に真一文字に縫い合わされた手術の傷跡だった。
 これが「撮って記録し、伝える」ということなのだ。
 私は自問した。同じように仕事をする自分に、あれだけの代償を払う覚悟があるのか。いつも、怖々(こわごわ)とへっぴり腰でカメラを回している自分、危険を予感すると、真っ先に逃げる自分は、「記録し、伝える者」としての資質と覚悟が欠落しているのではないのか、自分は「ジャーナリスト」と名乗れるだけの仕事をしているのだろうか、と。

 もう1つ、私が衝撃──いや「感動」と表現すべきか──を受けたのは、ビリン村のパレスチナ人たちの“不屈さ”と“明るさ”だった。
 不法に没収した土地にイスラエル側がコンテナを持ち込み、没収を既成事実化しようとする。するとビリン村の村人たちは近くに自分たちのコンテナを設置する。それをイスラエル兵が撤去すると、また次のコンテナを持ち込み設置する。それがまた撤去されると、今度はブロックで小屋を建設する。当然、兵士に破壊される。すると夜中にまた再建する。
 しかも決して村人たちの表情は暗くない。歌い踊りながら嬉々として、破壊された小屋を何度も何度も再建するのだ。
 「抵抗」とはこういうことなのだ。悲壮感漂う暗い空気の中で、しかめ面してやるのではなく、楽しみながら、嬉々として、やり通す抵抗。そうでなければ、続かないし、また支援者も集まってはこないだろう。パレスチナ人の“強靭さ”を、私は改めてこの映画に思い起された。
 それにしても、イスラエルによるこの「分離壁」建設、“力”によるパレスチナ人の土地没収、パレスチナ人の生きる基盤を奪いとっていく“構造的な暴力”のこの“理不尽さ”はいったい何なのだ。この映画は、観る者に煮えくりかえるような怒りを湧き起こさせる。
 この映画はそうさせる“力”をもっている。
 この映画は、「『紛争も暴動も起こっていない平穏な』パレスチナで、今何が起こっているのか」を知るために、世界が観なければならない映画だ。「パレスチナは遠い」「パレスチナ問題は終わった」と、無関心な日本人にもぜひ観てほしいドキュメンタリーである。

『壊された5つのカメラ』公式サイト

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