2012年7月5日(木)
昨年4月下旬から9月上旬まで、福島県飯舘村に通い取材・撮影して完成させた私のドキュメンタリー映画『飯舘村─故郷を追われる村人たち─』が、6月30日、「ゆふいん文化・記録映画祭」で第5回「松川賞」を受賞した。この映画が完成するまで紆余曲折があり、“難産”の末生まれた作品だったから、受賞の連絡に驚き、安堵し、そして素直にうれしかった。
この映画は、飯舘村の長谷川健一さん一家と志賀正次さん一家の2つの酪農家の家族がその生業を失い、村を追われていく過程を縦軸に、村人たちの家族や故郷への想いと土地の意味、そして放射能に汚染された村からの避難をめぐり、子どもたちの被曝を恐れる若い親たちと、“村”という共同体を残そうと奔走する村長との乖離と軋轢を横軸にしながら、「人にとって家族、故郷、土地とは何か」を問うドキュメンタリーである。
受賞コメントに私はこう書いた。
私は、ジャーナリストとして30年近く“パレスチナ”を追い続けてきました。そんな私は、3・11の大惨事という、私がこれまでまったく体験したこともない未曽有の事態を前にして「ジャーナリストの私は何をすべきか、何ができるのか」と自問し苦悶しました。そしてやっと出た答えは、「故郷と土地を奪われたパレスチナ人の“痛み”を伝えて続けてきた私なら、大震災と大津波で故郷と土地を奪われた人の“痛み”をいくからでも伝えられるのではないか」ということでした。
私は取材の場所として、大津波による被災地ではなく、原発事故の被災地である「飯舘村」を選びました。 “パレスチナ”の故郷喪失は“天災”ではく、「イスラエル建国」のために原住民が故郷を追われる“人災”でした。もし被災地に“パレスチナ”があるとすれば、原発事故という“人災”によって故郷を追われる人びとの状況だと思いました。“パレスチナ”でそうしたように、私は飯舘村の人びとを追いながら、「人間にとって“故郷”とは何か、“土地”とは何か」を問い続けていたのです。
実は、この映画の下敷きとなった2時間10分のオリジナル版は、昨年の9月に完成していた。土地と果実を放射能によって失う農民、飯舘村の歴史まで組み入れたこの長編を試写会で映像のプロたちに観てもらったとき、手厳しい批評が相次いだ。その結果、私は「このままでは公開できない。これからさらに村や登場人物たちのその後を取材し追加することによって1本の映画として完成させよう」と決心した。
その一方で、せっかく制作したこの映画を没にし、そのまま人の目に触れることなく眠らせることは悔しかったし、もったいないと思った。
ちょうどその頃、2年前に私の映画『沈黙を破る』を上映してもらった「ゆふいん文化・記録映画祭」から「松川賞」応募の案内が届いた。この賞の応募条件の1つは「1時間以内の作品」だった。「じゃあ、2時間を超すこの映画を1時間に縮めてみよう」と思いついたのである。結局、それが私にとって重要な意味あいを持つことになった。
映像を短縮するには、伝えたいことの優先順位を付け、高い順から時間内に入るものだけを厳選せざるをえない。それは同時に、「自分はこの作品で何を一番伝えたいのか」を再考することでもあった。その作業を通して、緩慢だったオリジナル版から「贅肉」が削ぎ落され、映画で伝えたいメッセージがより鮮明になり、内容がギュッと引き締まった。これなら「松川賞」に応募できると思った。
6人の「松川賞」選考委員の1人、野村正昭氏(映画評論家)は、『飯舘村』を選んだ理由をこう書いている。
松川賞を受賞した『飯舘村─故郷を追われる村人たち─』は、作者が被災地で舞い上がったりせず、離散を強いられる村人たちの姿を正面から見据えている。そのぶれない視線に心を揺さぶられた。あくまでも人々の思いに寄り添い、それに徹することで作者の矜持や意地が画面に滲み出ている。さすがは秀作『沈黙を破る』や『“私”を生きる』の土井敏邦監督だからとは言うまい。ここには登場人物を撮ることへの節度や愛情や思いやりがあり、それと同時に作者たちの心映えをも感じさせる。第5回松川賞受賞作品として、本作以上のものはありえないと思う。
こういう身に余る評価は面映ゆいが、映像のプロたちにオリジナル版を酷評されて自信を失いかけていた私は正直うれしいし、大きな励みにもなる。
昨年暮れから正月、3月、4月、5月、そして7月と数回の追加取材の素材を編集して追加することでこの1時間版『飯舘村』を膨らませ、1本のドキュメンタリー映画として劇場公開をめざそうと当初、考えていた。しかし、この1時間版がすでに1本の映画として成立しているし、その後の取材の素材も実際に編集してみると、別の1本の映画として耐えられるだけの密度はあると判断した。結局、1時間版は『飯舘村 第一章 故郷を追われる村人たち』、いま取材・編集中の映画は『飯舘村 第二章 放射能と帰村』(約110分)として劇場公開することをめざすことにした。「第一章」はすでに英語字幕もほぼ完成し、これから海外の映画祭にチャレンジしていく。また日本語版と英語版とを1枚のDVDにして販売する計画も進めている。
「第一章」だけで劇場公開するのか、「第二章」とペアで劇場公開すべきか、まだ判断ができないでいる。しかしできるだけ早い時期に、「第一章」だけでも公開に踏み切れればと考えている。
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