2012年8月10日(木)
どういうドキュメンタリー映画が素晴らしいのか、そうでないのか、「視点が鋭い」「撮影や編集が秀逸だ」など、観る人によってその評価の基準は様々だろう。では自分はどういうドキュメンタリーに一番心を動かされるのかと、改めて自問してみると、「映画の登場人物に自分を投影し、『お前はどうなんだ、どう生きているんだ』と問いかけられるようなドキュメンタリー」という答えになるだろうか。このコラム「日々の雑感」で、これまで私が心を突き動かされ、どうしても書きとどめずにはいられなかった映画の感想を数多く書いてきた。それらを振り返ってみると、1人の人間として、そして1人のジャーナリストとしての自分の在り方を問いかけてくるドキュメンタリーが圧倒的に多い。最近で言えば、パレスチナの映画『壊された5つのカメラ』だ。あの映画に私は、“伝え手”として自分の姿勢を問いただされた(日々の雑感 266:映画『壊された5台のカメラ』の衝撃)。
そして、今日、映画『ニッポンの嘘─報道写真家・福島菊次郎90歳─』を観て、福島菊次郎という“写真家” “ジャーナリスト”と出会った。そしてまた「ジャーナリスト」を名乗る自分の在り方、そして生き方が根本から問われ、揺さぶられた。それは同時に私に致命的なほど不足または欠落しているジャーナリストとして最も重要な要素を、私はこの映画の中の福島さんに、目の前に付き出されたような気がしたからだ。
ジャーナリスト・福島菊次郎の“支柱”となっているのは、“国家、体制、権力、為政者たち”の横暴と欺瞞に対する激しい“怒り”と、それをカメラに写し出し暴き出さずにおくものかという怨念に似た“執念”である。しかしそれは、現場に足を踏み入れることもせず、そこで生きる当事者たちと人間的な触れあいの体験もなく、書物や新聞、雑誌、インターネットなどでいっぱい頭につめこんだ知識を元に、あたかもその問題を知り尽くしたような顔をして、弁舌さわやかに解説する、テレビによく登場する「インテリ」や「評論家」「テレビ解説者」たちの耳触りのいい「体制批判」「政府批判」とはまったく質が違う。
福島氏のその“怒り”と“執念”は、国家や体制の犠牲にされた社会の底辺で、誰にも知られずもがき苦しみながら生きる、また闘う人びとの現場を這いずり回り、共に泣き、共に苦しみながらシャッターを押し続ける体験の中で、身体に刻み込まれ、体内から滲み出るようにふつふつと湧き起ってくる“怒り”であり“執念”だ。だからこそ、それは福島さんの生き方から切り離せないのだ。たとえ、そのために自分が精神のバランスを壊したり、貧乏に喘ぎ、家族と離散し、孤立、孤独の恐怖にさらされることになろうとも、だ。
写真家・福島菊次郎の原点となった被爆者・中村杉松さんとの出会い、10年にわたる関わり、そして結末は、“伝え手”の、撮る相手との向き合い方を根本から問うている。中村さんは妻を原爆症で亡くし、乳飲み子を含む6人の子どもを、原爆症の身を引きずるようにして漁に出て、男手ひとつで育てていた。
福島さんが中村さんと出会って間もないころ、歩く中村さんを後ろから撮影していると、振り返った中村さんが福島さんを怒りを込めた眼でにらみつける。その眼に福島さんは凍りつき、シャッターを切れなくなる。しかし、それほどの拒否反応を示されながらも、福島さんは食らいつく。カメラを向ける勇気もなく、通い続けて2~3年が過ぎたころ、その中村さんが「私の写真を撮ってくれ。ピカに出会ってこのざまだ。このままでは死んでも死にきれない。仇を撮ってくれ」と涙ながらに福島さんに懇願する。
あれほどの拒絶反応を示した中村さんの凍りついた心を、ここまで氷解させた福島さんは、その2~3年、カメラを向ける勇気もないまま、どういう向き合い方をしたのだろう。その間、「撮れないのなら、もう止めて、他の被爆者を探そう」という迷いはなかったのだろうか。何が福島さんをここまでこだわらせたのだろう。私はそれを知りたいと思った。そこに、“伝え手”が、その対象となる“相手”とどう向き合うべきなのか、なぜ極貧と病苦の中でもがく中村さんとその一家のあれほどの赤裸々な姿を撮ることができたのかを教えてくれる大事な要素が凝縮されていると思うからだ。その答えの一端をうかがわせるヒントが、映画の中で福島さん自身によって語られる。中村さんとその一家と向き合い続けている間に、福島さんは自分の精神に異常をきたしてしまう。医者から「精神衰弱」と診断され、福島さんは3ヵ月間、入院を強いられる。“伝え手”がその精神に異常をきたすほどの“相手”との向き合い方とは、どういうものだったのか。
私は“伝え手”である自分のこれまでの仕事を振り返った。
自分だけ「安全圏」に身を置き、上から見下ろすように、その極貧や病苦、抑圧や暴力の中で呻吟する“相手”を「観察」し、視聴者の口に合うように上手に「整理」してメディアに載せることで、私は「伝えた」気になっていたのではないのか。「撮影し、伝える」という営為の中で、“相手”の苦悩を私はどれほど受け止め、分かち合い、引き受けようとしてきただろうか。私はパレスチナの現場で、「これまで数えきれないほどのジャーナリストが来て、取材し、撮影していった。しかし私たちの生活は何一つ変わりはしなかった。お前たちは、私たちの苦しみを映像に撮り文章にして、それを食いものにして金を稼ぐ“ハイエナ”だ」という言葉を浴びせられたことは一度や二度ではなかった。私はその時、「いや、違う。あなたたちの苦しみを日本に伝える仕事をしているのだ」と心の中で叫び返していた。しかしどんなに自己弁護しようとしても、“相手”からはそう見えるし、実際、結果的にそういうことなのだ。
中村さん一家と関わる中で精神に異常をきたした福島さんの語りに、私がヒントを得たというのは、“伝え手”が福島さんのように「精神衰弱」になるほどの関わり方をすべきだということではない。その“向き合う姿勢”なのだ。傷ついた“相手”と向き合うときに、自分だけ「安全圏」に身を置き“相手”を見降ろすのではなく、“自分も傷つく覚悟”は持って向き合わなければならないのではないか──ということを福島さんのエピソードから教えられた気がするのだ。
福島さんと中村さん一家との関係は、衝撃的な事件で途切れる。
中村さんの死後、その葬儀に参列するため中村家を訪ねた福島さんは、長男から「帰れ!」と憎しみのこもった言葉を浴びせられ呆然となる。長年、付き合い、いっしょに食事をし遊園地に遊びに連れていったこともある、そんな子どもたちと信頼関係が築けていたと思い込んでいた福島さんは、長男の予想もしなかった憎しみと怒りに驚き、打ちのめされる。「仇を取る」ために写真を撮り、「ピカドン ある原爆被災者の記録」という写真集を世に問い、「日本写真批評家協会賞特別賞」を受賞するまでに高く評価された自分の仕事は、実は子どもたち家族にとって、身内の“恥部”を世間に晒され、尊厳を踏みにじられることだったことを、福島さんは初めて思い知らされるのだ。
「国家の欺瞞」を暴くためのジャーナリストとしての仕事が、時として肝心の“当事者”を取り返しのつかないほど傷つけてしまうことがある。そのジレンマと悔恨は、その後の福島さんの記憶の奥底で深い生傷として疼き続けていたにちがいない。映画のラストシーンで、中村さんの墓に頭を垂れて、「ごめんな」と慟哭する福島さんの姿は、そのジレンマの中で揺れ動き葛藤せねばならないジャーナリストという仕事の性(さが)を、私たちに改めて思い起こさせる。
ジャーナリストとしての“怒り”と“執念”で自分の仕事を貫こうとするとき、貧困に喘ぎ、“大切な人”との別離、孤立、孤独の恐怖にさらされることも覚悟しなければならない実例も、この映画の中に語られている。瀬戸内海の離島で生活を共にした若い女性と別れるときのエピソードがその象徴的な例だ。
『(「侵略戦争の悲劇が美化され昭和が終わってたまるか」と、全国162ヵ所で開催した「天皇の戦争責任展」の)巡回から帰ると、所持金が底をつく生活に紗英子さんが漏らしたことをきっかけに口論。
「無理をしないで生活保護を受けたらいいじゃないの。国民の権利よ」と言われて耳を疑った。
「この国を攻撃しながら、この国から保護を受けることができると本気で思っているのか。金がなくても展覧会をやめることはできなのだ。なぜか言おう。俺は写真家、福島菊次郎だ」
そうして二人は別離の道を選んだ。』(パンフレットより)
「この国を攻撃しながら、この国から保護を受けることができると本気で思っているのか」と生活保護も、年金も拒否する福島さん。その潔さ、毅然とした生きる姿勢に私は圧倒されたのだ。
私だったら、どうしたろう。
「そうか。たしかに生活保護を受けられれば、生活は楽になる。なあに、国を攻撃しても、彼女が言うように『国民』なのだから、受ける権利があるはずだ。建前は建前。この世の中で生き抜くためにはそういう『したたかさ』『柔軟さ』も必要さ」と、自分の中の
後ろめたさに言い訳をし、妥協したことだろう。
また孤立や孤独への耐性のない私は、「もしここで意地を張り続けたら、60歳を過ぎた私に連れ添ってくれるこの若い女性を失い、また独りになってしまう。もうこの歳で、孤独に耐えて生きてはいけない。ここは彼女に折れよう」と思ったにちがいない。
しかし、福島さんは「俺は写真家、福島菊次郎だ」と言い切り、離島で3年間、生活を共にしたその女性を追いだし、孤独に生きる道を選ぶ。
それを支えているのは、先に書いた激しい怒りと執念だろう。そして、これまでそんな仕事を命を賭けてやり続けてきたんだという写真家としての、またジャーナリストとしての“矜持”なのだろう。
私にはできない。だからこそ、そんな生き方を貫けたらと憧れるのだ。
先月、私が現在、制作中の『飯舘村 第二章・放射能と帰村』の試写会で、参加してくれたNHKのある友人が、その映画を観てこう指摘した。
「今、飯舘村で伝えるべきことは、村人たちが村に帰れる可能性のある『避難民』から、帰れない『難民』になった事実を、国家や地方行政が必死に隠そうとしている現実、その国家と為政者たちの欺瞞を暴くことだ。この作品にはそれが明確に描かれていない」
私にはショッキングで、痛い批評だった。正直、離散した家族が抱える諸問題、除染の欺瞞と帰村の困難さなどを描いたこの作品は、前作の『飯舘村 第一章・故郷を追われる村人たち』より、内容はより深まったと、少し自信もあった。だからこそ、その衝撃も大きかったのだ。また指摘された後も、「でも、除染の欺瞞など、その一部は描いているはず」という思いは心の片隅にまだ残っていた。
しかし、映画『ニッポンの嘘』で福島菊次郎さんのジャーナリストとしての仕事を目の当たりにして、私はその友人の指摘の意味が、今はっきりと理解できた。
私の映画『飯舘村 第二章』に欠落しているもの、いやジャーナリストとして私に欠落しているのは、福島さんが命懸けで暴こうとした“国家、体制、権力、為政者たちの欺瞞と横暴”を見抜く眼であり、それを暴いて表現するジャーナリストとしての勇気と力量だったのだ。その問題の核心を突くこともせず、「家族愛」や「望郷」といったセンチメンタルな要素で「飯舘村」を描こうとした私の“視点の甘さ”を、あの友人は痛烈に批判したのだ。
冒頭に書いたように、私は、ドキュメンタリー映画を観るとき、「自分だったら、こう生きられるだろうか」とそこに登場する人物に、いつも自分を投影し重ね合わせて観てしまう。そして映画の中の人物と、その“鏡”に映し出される自分の姿との落差に衝撃を受け、打ちのめされる。その落差が大きければ大きいほど、その衝撃度も増幅されるのだ。この映画『ニッポンの嘘』は、私自身のジャーナリストとしての在り方、人間として生きる姿勢を根本から問いただす映画だったがゆえに、しばらくその衝撃から抜け出せそうにもない。
私のこのコラムの中の福島さんの言葉に対して、障害者運動に関わる友人から、私には見えていなかった重要な指摘があった。以下は、その指摘です。
この国を攻撃しながら、この国から保護を受けることができると本気で思っているのか
この考え方は、間違っていると思います。
必要な場合に生活保護の制度を使うことは、憲法が定める生存権に基づく権利であり、実際に生活保護を必要とする多くの人が生活保護を受けて暮らしています。
公的な介護保障や生活保障を求める障害者運動が、国や行政と闘いながら何を言ってきたかをざっくりと言うと、それは、憲法が言うところの「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」は障害の有無に関わらずあるはずで、それを保証するのは国にかせられた義務なのだから、障害者がその権利を実現するための仕事かさもなくば金(必要なら介護者を雇うための金を含む)を保障すべきだ、生存権に基づいてそれは正義にかなったことだ、ということだったと思います。労働運動や野宿者支援などの社会運動の多くも似たようなことだと思います。
ご存知のように、生存権を保障するのは国の義務であり、生きるための資源がない人を放置しているのは国の不正であるとして、様々な現場で様々な人がその不正を正すために国などと闘っています。そして、国などに働きかける社会運動の目的の多くは、国による金の集め方と集めた金の分配をめぐるものだと思います。
ですので、国と闘うことと生活保護などの金を国からもらうことは、両立します。行政と闘い、勝利したがゆえに必要な人が生活保護を受けられるようになったというのは、珍しくもない話です。
私が知る、当事者として障害者運動を闘ってきた方の多くも、権利実現のために国と闘い、国から金を勝ち取ってきたわけで、
この国を攻撃しながら、この国から保護を受けることができると本気で思っているのか
というのは、私にしてみばれ、本気でそう思っているどころか、国から金をとるためにこそ国と闘っているのであり、そうでないならなんのために、何を目的に国と闘っているのか? ということにもなります。
また、国の金というのは、いま権力を握っている誰かのサイフから出てくるものではないのですから、生活保護であれなんであれ公的資金から支出されている制度を使うことと闘っている相手の世話になるということとは全く別の話です。これは、気に入らない親を罵りながらその親に小遣いをもらうのは体裁が悪いというような話でもないはずです。当然のことながら国の金は権力者のものではないわけで、だからこそ公共の利益のために使われることが前提で集められたはずの国の金が、力を持っている人の思惑によって正しく分配されていない(あるいは正しく集められていない)ことがあちこちで問題にされているのです。この点からも国と闘いながら国から何かを受け取ることには、なんの問題もないと思います。生活保護を受け取る必要のある人が生活保護を受け取らないことで暮らせなくなっても、国に文句を言わずおとなしく死んでくれたら、それは闘っている相手を利することにしかならないと思います。例えば原発事故の保障問題で国や電力会社と闘っている人が、闘っている相手だからといって国と東電からは何ももらうわけにはいかないと言い出したら、ではなにが望みなんだということにもなると思います。
もう一点、生活保護に関してよくある勘違いかもしれませんが、生活保護をもらわなければ自分は国の世話にはなっていない、公的な制度を使っていないという思い込みをしている人がいます。福島さんも、その点でも勘違いされているように思えます。
現状で特に困ったことがなく当たり前に暮らせている人は、社会は様々な公的制度によって成り立っているというのを忘れがちです。現状でそれなりに暮らせていると、社会はあたかも自然に成り立っているかのように勘違いしてしまうかもしれませんが、公的な制度というのは、なにも生活保護だけではありません。病気になったときにそれほどお金の心配もなく病院に行けるのは、日本に健康保険制度という公的制度があるからです。教育も公的制度です。義務教育だけでなく、大学なども含めて教育の様々な場面に税金が使われています。道路も消防も裁判も公的制度で成り立っています(いうまでもなく、必要性が疑わしい、あるいはあからさまに必要がない公的制度もたくさんありますがそのことはひとまず置いておきます)。
それらはすべて生活保護と同じように国や地方自治体が公的資金で行なっているものです。すでに我々の暮らしは多くの場面で公的制度に保護/支援されているのです。公的な制度の存在が見えにくいのは、その人にとっては公的制度がうまく機能しているからに過ぎないからだと思われます。
ですので、生活保護さえ受けなければ自分は自力で生きている、国の世話にも社会の世話にもなっていないと考えるのは、大きな勘違いだと思います(さらには、国の世話にも社会の世話にもならないというのが立派な態度だとも思えません)。健康保険は使うし、道路も使うし、火事になれば消防も呼ぶし、事件に巻き込まれれば警察にも行くが、国の世話になるわけにはいかないから生活保護だけは受けるわけにはいかない、というのでは理屈が通りません。もし、他は良いが生活保護だけは別というのなら、それは自分に都合のいいように線引きをしているだけですし、勝手な線引きをした上で生活保護を受けている人を無根拠に蔑んでいる事にもなり得ます。
公的なものをうまく機能させて、人々の暮らしをできる限り社会で支えていこうというのが、多くの社会運動/社会改革の目的のはずです。そしてそれらは、いまある国家のあり方と闘うことで、そんな社会を作ろうとしているのだと思います。
そんなわけで、福島さんが生活保護について自問すべきことがあるとすれば、それは、国を攻撃しながら生活保護を受けるのは正しいかどうかではなく、今の自分には生活保護が必要かどうかということだけだったのではないかと思います。
とは書いてはみたものの、福島さんが具体的にどのような社会を目指されているのかは詳しく存じませんので、ここまでの指摘はまったく的外れなものになっているかもしれません。福島さんが、どんなものにせよ公的な制度などクソ食らえだ、自分の力で生きていける者だけが生き残ればいい、という世界を目指されているのだとすると、それはそれでまた別の話を始めなければならないように思います。
長々と失礼しました。
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