2012年11月6日(火)
「どうしてこうも傲慢、厚顔無恥になれるのか。こんな人物を、なぜ東京都民は4度も都知事に選んでしまったのか」──都知事辞任を発表する石原慎太郎氏をテレビ画面でみながら、つくづくそう思った。醜悪な汚物を目の前に突き出されたように、嫌悪感に全身が生理的な拒絶反応を起こしてしまう。
今年4月、石原氏はアメリカまで行って「尖閣列島を東京都が購入する」と発表。その後、動転した野田政権は「石原氏の暴走を食い止めるため」と「尖閣列島の国有化」へと踏み切る。その結果が、中国側の猛反発と全土に広がった反日運動だ。日系企業は襲われ、日本製品はボイコットされて日本経済は莫大な損失を受けた。経済だけではない。この数十年来、先人たちが地道に築き上げてきた日中関係を一瞬にして台無しにしてしまった。つまり、今の中国との険悪な関係のきっかけを作った元凶は石原氏である。なのに、それに対する反省もない。それどころか中国を「シナ」と呼び続け、「通常兵器での戦闘をやったら、海軍も空軍も日本が遥かに上回っているんですよ」「経済と国家の誇りを同じレベルで考えるなと言いたいですね」〔『Will』(11月号)〕と得意げに語り、懲りもせず中国を挑発し続ける。不思議なのはメディアからも政界からも国民一般からも、石原氏のその責任を追及する声がほとんど起こらないことだ。
尖閣問題だけではない。2016年夏季五輪招致のため莫大な血税を浪費し、「中小企業救済」を名目に立ちあげた新銀行東京もずさんな経営のために1千億円以上の累計赤字を抱える失政を繰り返してきた。
『赤旗』政治記者は、次のような事実を明らかにしている。
- 石原氏は知事就任から2010年までの12年間で32回も豪華海外出張を繰り返し、うち28回分だけで4億6000万円余の税金を浪費。2001年にはエクアドル・ガラパゴス諸島での豪華クルーザーによる観光旅行、アメリカ・グランドキャニオンなどには夫人も同行。
- 知事3期目の4年間で13回も海外出張し2億2000万円余も支出。北京、ローザンヌ、シンガポール、ベルリン、コペンハーゲンと五輪名目で約1億4000万円を支出。航空機はファーストクラス、北京五輪開会式参加では夫婦で1泊24万3000円の最高級スイートルームに宿泊。
- 石原都政は2016年オリンピック招致関連事業に150億円もの税金を投入しながら09年のIOC総会であえなく落選。石原知事自身が総会などで着た背広2着分計45万円も五輪招致経費から支出。無駄金投じての落選に「痛くもかゆくもない」と強がる。
そんな石原氏が、突然の都知事辞任の理由として「国政復帰で、最後のご奉公」のためだと語るのだ。「石原氏の行動は、都民や国民のためではなく、『目立ちたい』が先にある」というあるライターの指摘(『東京新聞』10月27日朝刊)を待つまでもなく、自分の言動がどれほど国益に悪影響を及ぼすのかという想像力もグローバルなビジョンもない、「我がまま放題のおぼっちゃま」のような人物が、国政に復帰したら、さらにどれほど国益を損なうか、想像しただけでぞっとする。
そんな石原慎太郎という人物の実像を、そのルーツまでさかのぼり、綿密な取材を元に描いた人物ルポが、佐野眞一著『てっぺん野郎─本人も知らなかった石原慎太郎─』(講談社 2003)だ。この本で私は、石原という人物のあの傲慢さ、厚顔無恥の根源、小心な素顔を見た思いがした。そして、その作者ノンフィションライター・佐野眞一氏の取材力と筆力に唸った。
その一部を抜粋してみる。
- 「成熟」を一貫して拒否してきた男特有の自己批評のなさや深みの欠如となって現われ、彼を政治家として大成させない理由ともなっている。これが私〔佐野眞一〕の慎太郎に対する基本的なみかたである。
- みんなバカにみえて、自分ひとりだけ松の上にとまった鶴みたいな気でいる。自分以外の他人はほとんどバカにしかみえない慎太郎の唯我独尊的な体質は、危惧の念を抱いてみるべきである。
- 慎太郎の論理の特徴は、自己を正当化するためなら、事実を自分の都合のいいようにねじまげてもかまわないと考える我田引水と夜郎自大の習性が、随所ににじみ出ていることである。
- 早くから万能感と超人意識、そして強烈な自己愛の萌芽をみせた慎太郎は、他方で、いつになっても加齢と成熟をせず、大人になれない餓鬼大将の印象を慎太郎に刻んでいる。そのナルシスティックでチャイルディッシュな感触は、安定感と寛容をいちじるしく欠くわがままと傲慢さの感触につながる。これは慎太郎を慎太郎たらしめている宿痾というべき独特のパーソナリティである。
- 「石原慎太郎はファシストか?」……自民党長老の松野頼三は、慎太郎をこう切り捨てる。「彼はポイント、ポイントではよいことをいうけれども、全然つながらない。ときには反対のことをいうことがある。上手にね。上手すぎるんだ」、「政界に長くいると、その上手すぎる手つきがみえる。手品がみえる。観客は拍手だがね。私ら、舞台裏からみてるから、みえすぎるんだ」、「慎太郎は危険ではない。君子豹変するほうだ。実利的な男だからね。自己顕示欲が強くて、中曽根康弘の若いころに似ている。けれども、中曽根のほうがずっとイデオロギーがあった」
石原慎太郎の実像を鋭く分析してみせた佐野眞一氏が、今度は、『週刊朝日』誌上の連載で、いま最もメディアの注目を浴びる橋下徹・大阪市長を描くという派手な広告を目にしたとき、佐野氏のいつもの徹底した取材を元に、これまで語られてこなかった橋下氏の実像をあぶり出してくれるにちがいないと私は期待した。しかしその緊急連載『ハシシタ・奴の本性』は第1回目だけで「連載中止」となった。内容に不適切な部分があるのなら、それは訂正し謝罪するのは当然だろう。しかしだからといって、なぜ「連載中止」なのか。それは「記事の内容に不適切な部分があった」こと以上に、今後のジャーナリズム全体に深い影をおとす深刻な問題だと私は思う。
(つづく)
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