2012年11月17日(土)
(写真:イスラエルの有力紙『ハアレツ』11月15日・英語版の一面)
いま私は激しいジレンマの中にいる。パレスチナのエルサレムにいながら、ここから百数十キロほどの距離にあるガザで、連日激しい空爆が続き、まさにイスラエル軍の地上侵攻が始まろうとする時期に、そのガザに行けないのだ。朝日新聞やNHKの特派員たちはすでに現地から報道を続けている。しかし同じジャーナリストであるはずの自分は、イスラエル政府発行のプレスカードがないから、ガザに入れない。
私がイスラエルの空港に着いた11月10日には、このような事態になるなど想像もしていなかった。ちょうど1年ぶりになるパレスチナへの旅の一番の目的は、これまで4度発行を拒否されてきたプレスカードの5度目の申請をし、イスラエル側からガザに入ることだった。昨年、拒否されたとき、次回、放送局のアサイメントレターで申請すれば、発行の可能性があると係官が言った。私はその言葉に一縷の望みをかけた。しかし、政府プレスオフィス(GPO)に申請に行くと、コンピューターの画面に映し出された、私に関するデータの右上に赤い大きなヘブライ語が記されていた。「発行拒否」。係官がその文字を指さしてその言葉の意味を私に説明した。「上の判断が必要だから、結果は後日、電話で知らせる」と係官は言った。去年とまったく同じパターンだ。ただ去年は「30日以内に」という言葉が付け加えられた。「あなたのイスラエル滞在期間中には返事する」、つまり万が一発行されても、帰国直前の発行なら、それからガザ入りは無理、実質的な「発行拒否」を意味する。今回は「30日以内に」とは告げられなかったが、おそらく同じパターンだろう。こちらから問い合わせれば、「いま審査中」と、私の帰国時期まで結論を引き延ばすやり方だ。
ガザが緊急事態にある今、そのプレスカードがないことが決定的な意味を持ってきた。ガザに入れないのだ。ガザに入る方法は他に1つだけある。ここからカイロに飛んで、陸路でエジプト側からガザ入りする方法だ。去年はその手で3年ぶりにガザを取材した。しかしそれも簡単ではない。まず日本からパスポートの情報などを在カイロ日本大使館に送り、証明書をもらう。それを持って内務省にガザへ入る許可を申請しなければならない。去年はその許可書の取得に3週間かかった。それからタクシーで数時間かけてガザ国境まで行き、エジプト側、パレスチナ側(ハマス政府)の審査を通過してやっとガザ入りできる。これからどんなに急いでも2~3週間はかかる。ガザ取材を終えるとまた陸路カイロまで戻り、そこから帰国便が飛ぶイスラエルへ戻り、それでやっと帰国の途につける。12月中旬から、どうしても動かせない予定が入っている今の私には、無理だ。緊急時のガザに今すぐでも飛んで行きたい。しかし行けない。長年パレスチナ、とりわけガザを追ってきたジャーナリストとして、言葉に表せないほど悔しく、情けなく、苦しい。
2012年11月24日(土)午後6時30分~9時
明治大学 駿河台キャンパス リバティタワー
イスラエルのガザ攻撃を許さない緊急集会 ガザで、今、起きていること
映画『ガザに生きる』第五章『ガザ攻撃』先行上映会
現地報告 土井敏邦(エルサレムから中継) ……ほか
→ 次の記事へ
ご意見、ご感想は以下のアドレスまでお願いします。