2012年11月21日(水)
(写真:ラマラのデモで「ファタハ」と「ハマス」の旗が並んだ/2012年11月16日)
ガザに入れない私が今できることは、ガザの緊急事態をヨルダン川西岸の住民がどう捉えているのかを取材することしかない。11月16日(金曜日)、私は西岸最大の都市でパレスチナ自治政府の拠点ラマラへ向かった。金曜日の礼拝後に予想されるデモがどういうかたちになるのかを知りたかったからだ。モスクで礼拝中の男たちを撮影していると、「ドイ」と声をかけられた。イスラエルの有力紙『ハアレツ』記者、アミラ・ハスだった。アミラは1993年、オスロ合意が調印された直後からガザ市に住みこんだ。彼女のコーディネーター兼通訳が、私が住みこんだジャバリア難民キャンプの家族の長男だったことから、彼女と知り合った。今は堪能なアラビア語を自由に使いこなすアミラだが、そのアラビア語を教えたのも、その長男である。当時、アラミがアラビア語のレッスンを受ける様子を私は撮影していた。その映像は今や「歴史的な映像」になった。
彼女と最後に会ったのは、たしか4年前、同じくガザ攻撃中のラマラのデモを取材中だった。イスラエル人記者でありながら、ラマラに住み、パレスチナ住民に関する記事を書き続けている。その記事は国際的に高い評価を受け、世界各地の数々のジャーナリスト賞や人権賞を受賞している、今や世界に知られる著名な記者である。「ガザへ行かないの?」と訊くと「政府がイスラエル人の記者にはガザに入るためのプレスカードを出さないのよ。カイロ経由で行くしかないね。以前はガザへの支援船に乗ってガザに入ったけど」と答えた。今イスラエル人がガザに入れば、たとえアミラであっても、ハマスの人質にされ、政治的に利用されるとイスラエル政府は懸念しているのだろう。しかし、彼女はラマラにいながら、今回のガザ攻撃によるガザ住民の被害の実態を『ハアレツ』紙上で大きな紙面に、攻撃の被害の実態を、その被害者の固有名詞や年齢まで明記した、詳細な記事で伝えている。アミラにとっても親友であるラジ・スラーニの「パレスチナ人権センター(PCHR)」からの情報をフルに活用し、また長年暮らしたガザの知人・友人からのメールや電話による情報を元にしているのだろうが、まるでガザから現地報告しているかのような臨場感のある記事になっている。現地のパレスチナ人ジャーナリストでも、こういう記事を書ける記者は少ないだろう。しかもヘブライ語でイスラエル国民に向かって(私たち外国人はその英語版を読むのだが)、パレスチナ側の被害の実態を伝え続けているのだ。右派勢力から「裏切り者」「非国民」という激しいバッシングを受けながらも、彼女はラマラを離れようとはせず、パレスチナ人に起こっている現実を発信し続ける。そんな記事を大きな紙面を使って掲載し続ける『ハアレツ』紙もすごい。しかし彼女の記事がイスラエルの世論に影響を与えているとは言い難い。
「多くのイスラエル人読者は、アミラの記事のようなパレスチナ側からの記事には目も通さず、すぐにページをめくってしまうんですよ。イスラエル人はパレスチナ人に起こっていることを知る機会がないのではなく、その事実を知ることを“deny(拒絶)”し“無視”するんです」と私に語ったのはイスラエル人の歴史学者、イラン・パペだった。果たして、今回のイスラエルの軍事作戦を84%の国民が支持していると『ハアレツ』紙(11月19日英語版)は伝えている。
数百人のデモの列にたくさんのハマスの緑の旗が翻った。ヨルダン川西岸で堂々とハマスの旗を掲げるのは異例のことだ。2007年、内戦に敗れてガザを失ったファタハの自治政府と警察はハマスを敵視し、西岸での勢力拡大を必死に抑えようとしてきた。だからハマス支持者が公にハマスの旗を掲げることは容易なことではない。
しかしこのガザ攻撃で状況は一変した。西岸の住民の多くがガザでのハマスの闘いを支持し、ガザの住民とハマスに対する強い連帯意識を示しているからだ。その象徴がこのラマラのデモだった。公に堂々とハマスのロケット弾攻撃を称賛し、ハマス支持のスローガンを叫ぶこのデモを警察も黙視して、規制をしなかった。たしか4年前の同じデモでは、ファタハ支持者とハマス支持者たちがデモの途中に小競り合いを起こし、警察が介入したように記憶している。デモ参加者の大半はハマス支持者たちだったが、それを見守る周囲の住民たちも決して敵意のある視線ではなった。むしろ好意的で賛同する空気がデモ周辺の住民の中に漂っているように感じた。ハマス支持のデモが孤立しているのでなく、周囲の空気と溶け合い、デモが周囲の住民全体の声を代弁し象徴しているように私には思えたのだ。
デモの後半になると、デモの列の緑の旗に混じって、黄色い旗が数本翻った。ファタハの旗だ。ハマスの旗とファタハの旗が並ぶ。2007年のパレスチナの分裂以来、なかったことだろう。少なくとも私はこれまで観たことがない。「同じパレスチナ人なのよ」と黄色い旗を掲げた中年の女性が言った。
このデモの様子を伝えるその『ハアレツ』英語電子版の記事にアラミは、「このデモはハマスの勝利であり、自治政府(アッバス政権)の敗北だった」と書いた。それは現在の西岸の空気を象徴するような言葉である。自治開始以来、占領からの解放のための抵抗運動を抑え、イスラエルとの「和平交渉」での「パレスチナ国家建設」の道を模索してきたアッバス政権がもたらしたのは、着実に進むユダヤ人入植地の拡大や分離壁の建設によるパレスチナ人の生活圏の侵蝕と西岸の“ユダヤ化”だった。しかも住民は、公務員の給与の未払いや物価高に苦しんでいる。そんな住民は自治政府に失望と怒りを募らせていた。そこに起こったのが、ハマスの武力抵抗だった。「何の成果もなく、むしろ日々パレスチナ人の生活基盤を侵蝕され続けていくアッバス“和平交渉”路線には自分たちの未来はない。この占領状態を脱却するには、ハマスのように抵抗するしかない」という空気が西岸に広まりつつある──ラマラでのこのデモはそんな西岸の空気の象徴だったのかもしれない。
2012年11月24日(土)午後6時30分~9時
明治大学 駿河台キャンパス リバティタワー
イスラエルのガザ攻撃を許さない緊急集会 ガザで、今、起きていること
映画『ガザに生きる』第五章『ガザ攻撃』先行上映会
現地報告 土井敏邦(エルサレムから中継) ……ほか
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