Webコラム

日々の雑感 281:
【パレスチナ現地報告】(6)
「ガザ攻撃」があぶり出した西岸の“占領”

2012年11月29日(木)


写真:ファタハ系の町行政府が主催したガザ支持のデモ
11月19日・サルフィート

 今回のガザ攻撃は、ヨルダン川西岸や東エルサレムのパレスチナ人たちに大きな影響を与えた。イスラエルのガザ攻撃が始まってから私はラマラ、ナブルス、サルフィート(ナブルスから西へ数十キロ)、ヘブロンなど西岸各地を訪ねた。ラマラでのデモは前回のコラムで紹介したが、人口数千人の町サルフィートでは、自治政府系の行政府が主導し、ガザ住民への連帯、ハマスのロケット弾攻撃を称賛するデモが行われた。あらゆる政党の町民数百人が幹線道路を埋めた。ファタハ系の行政府が、ハマスの闘いを支持するデモを主導する──2007年の内紛以後の両者の対立からは考えられなかったことだ。それはラマラと同様、今回のガザ危機における民衆の圧倒的なハマスの闘いへの支持を無視できず、もしこれを抑えようとしたら、行政府の存続そのものが危うくなるという危機があったからだろう。
 ナブルスへの出入り口、かつて検問所のあったフワラでは、数えきれないほどの青年たちが集まり、タイヤを燃やし、イスラエル兵たちに投石した。西岸南部のヘブロンでは、街の全商店がシャッターを閉じゼネストに入り、青年たちが、市内のユダヤ人地区を守るイスラエル兵たちに向かって投石を続けた。まるでインティファーダ当時のような空気である。それは、イスラエルの激しい空爆にされらているガザのパレスチナ人に“同じパレスチナ人”としての強い連帯意識、同胞を殺すイスラエルへの激しい怒りの表出だった。
 ハマスとファタハとの内紛以来、ガザ住民と西岸住民の間に物理的な隔たりだけではなく、意識の分離が拡大していると私は感じてきた。しかしこのガザの緊急事態が一気に“パレスチナ人としての一体感”を西岸のパレスチナ人に呼び起こしたように思える。
 西岸でインタビューしてみて、私には今回のガザ攻撃が西岸の住民に2つの結果をもたらしているように思える。
 1つは、アッバス議長率いる西岸の自治政府に対する絶望と“見限り”だ。アッバスが続けてきたイスラエルとの「和平交渉」がもたしたのは、着々と進むユダヤ人入植地の拡張や分離壁の建設によるパレスチナ人の生活圏の侵蝕、つまり西岸の“ユダヤ化”だった。
 とりわけ西岸の60%を占める「C地区」ではイスラエル側が「治安」や「行政」の権限を握り支配する。そこでは水源や農地の使用や、家屋の建設、外部のパレスチナ人の出入りも厳しく制限される。外部から消防車や医師たちが消火や治療のために地区に入るにもイスラエル側の許可が必要となる。なかなか出ない許可を待ち切れずに建設された家屋は破壊される。土地の没収も日常化している。奪われたパレスチナ人の土地には新たにユダヤ人入植地が建設される。1993年9月の「オスロ合意」時には28万1千人の入植者数が、2012年には53万人に倍増している。
 一方、自治政府への海外からの経済援助も滞りがちで、十数万人にも及ぶ公務員の給与の未払いが続き、最近の急激な物価高が西岸の住民の生活苦にさらに拍車をかけている。しかし自治政府にはそれを解決する有効な手立てもない。そんなアッバス政権への鬱積した西岸住民の失望と怒りが今回のガザ攻撃で一気に表面化したかたちだ。
 もう1つの結果は、西岸の住民の“占領への抵抗(レジスタンス)”への覚醒である。「何の成果もなく、むしろ日々パレスチナ人の生活基盤を侵蝕され続けていくアッバス議長の『和平交渉』路線には自分たちの未来はない。この占領状態を脱却するには、今回のハマスのような抵抗運動の路線に戻るしかないのではないか」という空気が西岸に広まっている。「次のインティファーダ(民衆蜂起)が必要だ」という声さえ起こっている。イスラエルの激しい空爆にテルアビブにまで及ぶロケット弾攻撃で応じたハマスの抵抗の最大の戦果は、西岸住民に及ぼしたこの心理的なインパクトだったとも言える。

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