Webコラム

日々の雑感 293:
『異国に生きる』公開初日を迎えて
後篇・Tさんのこと

 →前篇・横井朋広さんのこと

2013年3月31日(日)


(写真:チョウチョウソーさんと私
3月30日・ポレポレ東中野にて)

 映画『異国に生きる』について語るとき、もう1人、私が言及しておきたいのは、かつての在日ビルマ人、Tさんのことである。
 Tさんはビルマの名門校ラングーン大学の修士課程を終えたインテリで、1988年のビルマ民主化デモで学生運動のリーダーの1人として参加した。その直後、軍事政権の弾圧を逃れ、タイを経由して1990年に日本に渡っている。
 その後、彼は日本でのビルマ民主化運動組織「ビルマ青年ボランティア協会(BYVA)」の中心メンバーとして活動を続けた。1988年ビルマ民主化デモから10周年になる98年に私が在日ビルマ人と出会い撮影を開始したとき、チョウチョウソー(チョウ)さんと共に私がいちばん惹かれ、長年取材し続けたのはこのTさんで、在日ビルマ人を描く『異国に生きる』では、彼とチョウさんを主人公に描きたいと考えていた。
 Tさんの1日を追いかけ撮影したことがある。早朝7時から築地市場で仕事を始める。長靴をはき作業着姿でてきぱきと動き回り、流暢な日本語で日本人同業者とやりとりする姿は、化学の修士号を持つインテリには見えない。
 午後自宅で一休みした後、夕方からはもう1つの職場へ向かう。新橋の韓国レストランのコックが、Tさんのもう1つの顔だ。次々と告げられる注文の料理をてきぱきとこなしていく。夕方から10時過ぎまで、ずっと立ちぱなしだ。帰宅するのは午後11時ごろ、シャワーを浴び一息ついた後、12時ごろから、“民主化運動”活動が始まる。パソコンで最新のビルマ情勢を世界のメディアから情報を収集し、世界各地に散るビルマ人活動家たちとの連絡をとりあう。就寝した時は午前2時を過ぎていた。そして翌朝、午前5時に起床する。睡眠時間は3時間前後の毎日だった。週末も休んでいられない。ビルマ民主化の支援を求めるデモ、BYVAの会議など日本での民主化活動で埋まってしまう。
 長年の重労働がたたって、Tさんは膝を壊し、手術・入院をしなければならなかった。アルバイト生活の彼には10万円を越すその医療費は痛い出費だったに違いない。
 彼は私と同じ1953年生まれである。撮影当時、すでに40代半ばだった。しかし独身で家庭を持つことも頭にない様子だった。
 私は彼に訊いた。「どうして、ビルマの民主化のためだけではなく、自分自身の幸せも求めないんですか」と。すると、彼はきっぱりとこう答えた。
 「僕は自分を捨てたんです」
 彼は、その理由を語った。
 1988年の民主化デモのとき、同志の親友が逮捕され投獄された。獄中での激しい拷問のために彼は精神異常をきたし、正気を失った。
 「彼は普通の人生を失ったんです。しかし私は捕まらず、日本に逃れて、普通の生活ができる。獄中にいる彼のことを考えると、私は幸せな生活を送ってはいけないんです」

 2000年、ビルマ・タイ国境を訪ねるTさんたち在日ビルマ人の代表団に私は同行した。タイの国境の町メソットから、川を挟んで祖国ビルマが望めた。その川沿いを歩きながら、Tさんが私に言った。「(祖国が)見えるんだけど、行けない……」。
 彼らがタイ国境に滞在中、ビルマ側から国軍の攻撃に追われてカレン族の住民がタイ側に逃れてきた。Tさんたちはすぐにその現場に向かった。そこはジャングルの中で、食べ物はもちろん飲み水も濁った川の水しかなかった。マラリアにかかってぐったりしている幼い女の子が父親に抱かれていた。高熱のためか目はうつろだった。食べ物を口にしても吐いてしまうのだという。Tさんは直視できず、泣きだしそうな顔で後ろ向きになった。
 宿舎に帰ってから、彼は、私にその女の子のことを語った。
 「あの女の子、死んじゃうよ。絶対死んじゃうよ……。僕はね、日本で難民申請をしました。でも、あの人たちは僕たちよりも、もっと、もっとたいへんな状態で……」
 Tさんの声は涙声になって、途絶えた。

 彼は日本に逃れてから2年後に難民申請した。しかし日本政府は、「60日ルール」(入国してから60日以内に申請しなければ原則として、そのこと自体で難民として認められないというルール)のために、拒否された。その後、毎月、入国管理局に出頭し、滞在許可を得なければならない「仮放免」による日本滞在を余儀なくされた。日本へ来て13年、結局「政治難民」として認めない日本政府への失望と、そんな日本での将来への不安のために、2003年秋、Tさんはアメリカへ渡った。そして入国直後、ほんの1時間の尋問インタビューで彼は「政治難民」として受け入れられた。

 私はなんとかして、Tさんの生き方をドキュメンタリー映画で広く日本人に伝えたかった。しかし、彼はある理由で固辞した。私は彼の意思と事情を尊重し、映画で紹介することを諦めざるをえなかった。
 しかし、この映画『異国に生きる─日本の中のビルマ人─』の中に私は、日本で民主化活動のために私欲を捨てて活動に打ち込んできたにも関わらず、日本政府に「政治難民」として認められずアメリカやオーストラリアなどへ再び亡命せざるをえなかった、Tさんら、かつての在日ビルマ人の民主化活動家たちの姿と思い、そして無念さを、映画の主人公、チョウチョウソーさんの姿と言葉に象徴し凝縮したつもりである。

『異国に生きる』日本の中のビルマ人
『異国に生きる』公式サイト

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