2013年5月6日(月)
映画の劇場上映には、映画制作、劇場探し、広報など長い準備期間、そのための多額の費用がかかる。だから一人の作り手が全く異なる2本の映画をほぼ連続して劇場公開する例はあまりない。しかも宣伝・配給担当者もたった1人が担うという今回のようなやり方は前例がないかもしれない。しかし今回、私は敢えて、その無謀とも言える「2本のドキュメンタリー映画の連続劇場公開」に踏み切った。
そうせざるをえない事情があったからだ。
『異国に生きる─日本の中のビルマ人─』が完成し、劇場探しを開始したのは昨年秋だった。10月にはポレポレ東中野での上映が決まったが、問題は上映する時期だった。「在日ビルマ人」をテーマにした映画に関心を持つ人は少なく、どうやって観客を呼び寄せるかが私たちの大きな課題だった。幸い、アウンサンスーチーさんが翌年春に来日するという情報を在日ビルマ人たちから得た。スーチーさん来日で、「在日ビルマ人」にもメディアは注目し、映画も話題になるかもしれない。この映画はその時期に合わせるのがいちばん観客を呼びやすいと劇場側も私たちも判断した。
実は去年夏以降、私は4本の映画をほぼ同時進行で編集していた。2本は映画『ガザに生きる』5部作の第2部『2つのインティファーダ』と第3部『ガザ攻撃』、そして、『異国に生きる』と『飯舘村─放射能と帰村─』である。前者の2本は、私が1ヵ月間のパレスチナ取材に出発する前の10月下旬には完成し、帰国後の12月中旬に完成記念上映会の手配を済ませた。
残りの『異国に生きる』も10月に完成し、『飯舘村─放射能と帰村─』も10月中旬には、細かい仕上げを除けば、映画館側に見てもらえるところまで漕ぎつけてからパレスチナへ向かった。そして私が留守の間に、宣伝・配給を担当してくれることになった「浦安ドキュメンタリーオフィス」の中山和郎さんが、『飯舘村』上映のために劇場側へ打診してくれることになった。新宿K's cinema に正式に決まったのは私が帰国した直後の12月初旬である。問題は『異国に生きる』と同様、その公開時期だった。
『異国に生きる』をスーチーさん来日に合わせて3月下旬にするなら、『飯舘村─放射能と帰村─』は、短くても2ヵ月間を置いた初夏にというのが、中山さんの意見だった。しかし私はこの映画を、福島の雪が解け除染事業が本格的に始まる5月には、どうしても上映したかった。私の取材の結果を一日も早く報告し、「除染とは何か」「誰のための、何のための除染なのか」を社会に問いたいと考えたからだった。「できれば5月に、それも可能なら初旬に」と私は主張した。この映画の宣伝・配給も『“私”を生きる』上映以来の“同志”である中山さん以外に頭になかった。独りで2つの映画の宣伝・配給を立て続けにこなすのは物理的にも時間的にも無理があることは、私のように映画上映のシステムや過程をよく知らない者にもわかっていた。だから『飯舘村』上映には、もう1人、宣伝活動のプロに手伝ってもらおうと当たってもみた。しかしフリーランスの宣伝マンたちはすでに仕事の予約が入っていて、なかなか見つからない。「じゃあ、私が独りでやります」と、中山さんは意を決して言った。私も、「自分がもう1人の“宣伝担当者”の役も引き受けよう」と決意した。このようにして、中山さんと私の二人三脚による前代未聞の、2本のドキュメンタリー映画の連続上映が決まった。
このようにして、4月25日に『異国に生きる』の上映を終えてからほぼ1週間後の5月4日、『飯舘村─放射能と帰村─』の劇場公開が始まった。
『飯舘村─放射能と帰村─』は2部構成になっている。第1部は「家族」。前作『飯舘村 第一章・故郷を追われる村人たち』に登場する2つの酪農家の家族、志賀家と長谷川家の村を離れた後の姿を描いている。親子バラバラになって暮らすようになったそれぞれの家族が抱える厳しい経済事情や生活環境さらに精神的なストレスの問題、再び一緒に暮らす夢、若い世代の将来の仕事など、登場人物の声を丹念に拾ってつないだ。
その映像に、試写会に来てくれた映像のプロたちから「緩慢すぎる」「2部構成にする必要はない。特に『家族』の部分を短縮し1部構成に編集しなおさなければ」という厳しい批判も出た。自信が揺らぎ、一時、再編集を考えもした。しかし、前作『異国に生きる─日本の中のビルマ人─』の劇場上映のゲストトークに来てくれた辛淑玉さんのネットの映像を観て、その動揺を振り切った。
それは今年3月、京都の「反原発集会」の辛さんのスピーチだった。辛さんは、津波の被災地やフクシマの現場に何度も通い、被災者や避難者たちの苦しい生活をつぶさに目撃し、そのやり場のない悲しみ、怒りの声を受け止めてきた。その現地の人たちの心の叫び声を、まるで彼らの魂が乗り移った巫女のように熱く、ときには激しい言葉で語り伝えた。それはまさに、伝えたくても伝える術を持たない現地の被災者たちの “代弁者”の姿だった。私はその辛さんの姿に涙がこみ上げてきた。私はその時、思った。「そうなんだ。自分は現地の人たちの“代弁者”になればいいのだ。その役に徹すればいいのだ」と。たしかに「映画作品しての完成度」は低く、未熟な作品かもしれない。しかし私は、完成度の高い映画をめざす「映画作家」ではないのだ。ジャーナリストの私は、そういう「映画としての完成度」を求めるのではなく、現地の人たちの生きる姿と声をきちんと伝える“伝え手”の役に徹すればいいのだ。私の迷いは吹っ切れた。
この映画の“核”は、除染の実態と、除染事業を推し進めようとする政府の真の狙いに迫った第二部「除染」だ。国家というものは市井の国民の立場に立って政策を推し進めるのではなく、むしろとりわけ地方の民衆を犠牲にしても、「国の経済発展」「国の繁栄」の美名を掲げて、実は財界など一部の利益共同体のために動いているのではないかという疑問を投げかけることこそこの映画の狙いだ。第一部「家族」は、私のその主張を、単に集めた事実を組み立て理詰めに観客に突き付けるだけではなく、現地の等身大で固有名詞の人間の姿と生の声を通して観客の心に伝え届けるために、どうしても必要な“前置き”だった。
第二部「除染」について、観客の中から「除染を早く進めてほしいと願う村民もいるはずなのに、その声がまったく取り上げられていないのは一方的すぎないか」という批判の声があった。たしかにそうだ。そのような声があると、この作品はもっと深まったかもしれないと今、思う。ただ、私は「除染」賛成派と「除染」反対派の意見を両論併記し、「はい、このように“客観的な立場”に立った報道です」といった映画を作るつもりはない。ドキュメンタリー映画は作り手の“主張”だ。私の主張は「少なくともこの原発問題に関しては、国家は民衆のために動いてはいないのではないか」という疑問の提示である。その“言いたいこと”に収れんしていくために、説得力のある必要な素材を積み上げていくし、より説得力を持たせ、多くの人に納得してもらうために、当然、私の主張とは異なる意見、主張も入れる。この映画では、政府の役人たちの意見・主張がそれに当たる。たしかに「除染」賛成派の意見も入れたほうがより説得力を持ちえたかもしれない。しかし映画はテレビのドキュメンタリー番組ほど時間の制約がないとは言え、無制限にさまざまな事実を羅列するわけにはいかない。“言いたいこと”をより明確にするために簡素化、要素の削ぎ落しが必要になる。そのときより重要で本質的な要素を削れないから、そうではない要素を切り落としていくしかない。その結果が今のかたちである。
私がいちばん怖かったのは、福島県民、とりわけ映画の舞台となっている飯舘村の村民の評価だった。東京の映像関係者たちから、たとえいい評価を受けても、肝心の現地の人、当事者たちから頭をかしげられる映画なら失敗作である。だからこの映画がつながったとき、私は真っ先に福島市内で、飯舘村の映画出演者をはじめ村民に集まってもらって試写会を開いた。映画を観た村民の中には、泣いていた人がいた。「私たちの思いを伝えてくれてありがとうございました」と声をかけてくれた村民もいた。私は「この映画は公開してもいいよ」という“許し”を得たような思いがした。
また東京での試写会に参加した福島市のある映画関係者の方から、こういう感想が届いた。
「わたしは福島市民でして、飯舘村民ではないのでたいそうなことはいえませんが、とても他人事とは思えず、距離感を見失いながら観ておりました。
飯舘村の方々の苦悩は、われわれ福島県民を取り巻く残酷さの本質、実態そのものでもあります。被写体となった方々のコメントがそれを象徴的に代弁しており、何が病理なのか、みごとにあぶりだされている映画でした。『沈黙を破る』の土井監督らしい作品です。
こういう映画を作ってくださった監督に心からお礼を言いたいと思います」
東京で受けるどんな評価よりも、私は素直にうれしかった。この『飯舘村─放射能と帰村─』は公開してもいい、いや公開しなければいけないと背中を押してもらったような気がした。私にとって何よりも心強い励ましの言葉だった。
原発事故から2年が経っても、福島では16万人近い住民が避難生活を余儀なくされていることを、何不自由なく暮らす私たち首都圏の住民のなかで、はたしてどれだけの人が意識できているだろうか。震災直後は、「絆」だ、なんだとあれだけ大騒ぎしていたのに。他の地域の日本人に忘れ去られようとしている、「日本の経済の再生」の大義名分の元に“棄民”化されようとするフクシマの犠牲者たちの存在と、2年後の今の彼らの現実を、ドキュメンタリー映画として他の地域の日本人に突きつけていく──そのために、今、この映画を公開しなければならないのである。それが“伝え手”として、私が今できること、やるべきことだと思っている。
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