2013年6月26日(水)
1人の著名な映画監督が自国の現代史を冷徹に俯瞰し解析してみせた『オリバー・ストーンが語る、もうひとつのアメリカ史』(10回シリーズ)の衝撃が私を捉えて離れない。
自国の負の歴史を膨大な映像と活字の資料を元に、体系だって映像化してみせたその超人的な能力と共に、私がこれまでまったく想像もできなかった、“映像表現者”の新たな役割とその可能性を見せつけられたからだ。私はもう一度、録画を最初からきちんと見直して、具体的にどういう点にこれほど衝撃を受けたのか、この番組から自分が何を学びとれるのかを分析・解明しようと考えている。
その前に、この偉業を成し遂げたオリバー・ストーン監督の情熱、原動力はいったいどこからくるのかをどうしても知りたいと思った。それにはまず、彼の名を広く世界に知らしめた代表作『プラトーン』をどうしても観なければならない。初めて本当のベトナム戦争を描いた映画として世界に「プラトーン現象」を巻き起こしたといわれるこの名作を、実は私はまだ観ていなかった。この映画が日本で公開されたのは1987年4月。当時、私は1年半のパレスチナ占領地での取材を終えばかりで、私の最初の著作となる『占領と民衆─パレスチナ』の執筆に没頭していた。もちろん、当時話題なったこの映画の名も、この映画のシンボルとなった、あの撃たれた米兵が跪き両手を挙げて息絶えていく瞬間のポスター写真も目に焼き付いている。それでも、映画館に足を向けることはなかった。執筆に多忙だったからだけではない。人一倍、小心者で、気の弱い私は、残虐なシーンが次々と出て来るに違いない戦争映画が怖くて、劇場に出かけて観る気にはなれなかったからだ。
しかし、この映画はどうしても観ておかなければならないと腹をくくった。映画公開から27年も過ぎた昨夜、やっとその『「プラトーン』を観た。
予想通り、何度も停止ボタンを押したくなるほど“怖い”映画だった。単に「残虐なシーン」が次々と現れるからだけではない。生死の境の極限状況の中でむき出しになる人間の本性、醜悪さ、残忍さ、脆さを、目の前に突きつけられたからだ。
映画を観た感想を一言で言えば、描かれたベトナム戦争の現実への“衝撃”である。似たような“衝撃”を3年前にも体験したことを思いだす。同じくベトナム戦争を描いたドキュメンタリー映画『ハーツ・アンド・マインド─ベトナム戦争の真実─』だ。その時の衝撃を私はコラム日々の雑感に「映画『ハーツ・アンド・マインド─ベトナム戦争の真実─』が突き付けるもの」と題して書きとどめている。
だが、突き詰めると、この2つの映画の“衝撃”は少し違う気がする。『ハーツ・アンド・マインド』ではベトナム戦争中に起こった事象そのもの、例えば、ベトナムのある農村で、米兵が民家の屋根の藁ぶきに無造作に火を放ち、農民がやっと採り入れた生きるための大切な米を兵士が無造作に穴に捨てる。その兵士に泣きながらとりすがり、止めようとするやせ細った老婆。米兵たちの蛮行を成すすべもなく立ちすくんで観る老人や女性や子どもたち。恐怖と怒りで表情が引きつり、凍りついた農民たちの顔のアップなど、目に見える出来事への衝撃である。
映画『プラトーン』でも、まったく同じような米兵たちのベトナム人村襲撃のシーンがあるが、その残虐性は、「ドキュメンタリー」では撮れない、村民を銃尻で殴り殺し、抗議する女性を銃殺するなど、生々しい虐殺シーンが描かれることでいっそうリアルに迫ってくる。さらに両者の大きな違いは、『プラトーン』ではアップで克明に映し出される兵士たちの表情と肉声によって、その心情がリアルに伝わってくることだ。しかも映画では、米兵たちがその心情に至るプロセスが、克明に描かれている。ジャングルでの過酷な生活環境。いつ「敵」から襲われるかもしれないという恐怖感。突然、襲撃され戦友が目の前で無残に殺されていく現場を目撃した兵士たちの怒りと復讐心。それらが増幅されていく状況が、観る者に焼きつけられるだ。その直後のあの村での残虐行為。自分でもぞっとするが、「もし自分があの状況下の米兵の一員だったら、あの残虐行為に、今私が感じているような激しい嫌悪感、怒りを抱かなかったのではないか。いやもしかすると、私自身が同じ行為をやってしまっていたかもしれない」という思いが自分の脳裏を過ぎってしまうのだ。これこそが、起こっている現象を淡々と俯瞰して見せるドキュメンタリー映画『ハーツ・アンド・マインド』では決して見えてこない部分なのだ。もちろん私は、あの米兵の残虐行為を「正当化」するつもりは毛頭ない。しかし、平時では「いいお父さん」「優しい青年」を戦場では“残虐な殺人鬼”にしてしまう“戦争の本質”に迫ろうとするとき、戦場での兵士たちの心情、情動をあぶり出すことは欠かすことのできない重要な要素なのだと私は思う。
一刻一刻が「生きるか死ぬか」の状況に追い込まれた兵士たちは、「これは祖国のためであり、自由を守るためなのだ」という大義名分に必死にしがみつこうとするだろう。兵士たちが「ほんとうに、これが祖国や自由のためなのか。なぜ自分はここで戦っているのか」という疑問をもったら、あの戦場で自分を支えられないだろう。しかしいったんあの修羅場から離れ、当時の自分を少し引いて冷静に見つめる余裕ができたとき、「ほんとうにあれが祖国と自由のための戦いだったのか」と考えざるをえなくなった帰還兵たちが、その程度の差はあれ少なからずいたはずだ。オリバー・ストーンはその象徴的なベトナム帰還兵だったといえる。しかも彼は、それを深く探求する“思考力”“洞察力”、それを映画という手法で“表現”する類稀な才能を持っていた。「自分たち若いアメリカ人青年たちをあの遠い異国の戦場で無意味な死に追いやった国家、その構造と本質とは何だったのか」を突きつめることが、その後のストーン監督のライフワークとなっていったに違いない。またそれが、『7月4日に生まれて』『JFK』『ニクソン』『ワールド・トレード・センター』『ブッシュ』『ウォール・ストリート』などアメリカの現代史の本質に迫ろうとする社会派映画を次々と生み出す彼の原動力になったのだと私は思う。それは映画監督というより、“歴史家”であり“思想家”となったオリバー・ストーンである。
『プラトーン』が、数年前に同じくアカデミー賞を受賞した『ハート・ロッカー』と決定的に違うのは、その点だ(コラム『ハートロッカー』は「西部劇」)。この映画は、イラクの「反乱軍」を悪魔、それと対峙する主人公の米兵たちは「ヒューマンで、テロと身を挺して闘う英雄」として描きだす、まさに現代版「西部劇」である。しかも占領者となった米兵たちの内面の葛藤も、住民の生殺与奪の権利を一手に握る快感からくる倫理・道徳観の麻痺によって“人間性が壊れていく”兵士たちの現実は一切無視される。そして何よりも決定的な違いは、監督のキャスリン・ビグロー監督には、ストーン監督のような「なぜアメリカが異国で戦うのか」というこの戦争の意味、その歴史的な位置づけを問う深い“歴史観”や“思想”を私はほとんど見出だすことができないことだ。私には『ハート・ロッカー』という映画は単なる「スリリングな戦争エンターテイメント映画」にしか見えなかった。この監督のその後の映画が、「米軍特殊部隊がビンラディンを暗殺する過程をスリリングに、そして英雄的に描いた映画」であることからも、アメリカの現代史、国家の本質に迫まる社会派映画を次々と生み出すストーン監督の対極とも言える、自作品の歴史的・社会的意味あいなどほとんど念頭にない、エンターテイナー映画監督なのだろう。戦争映画『プライベート・ライアン』のスティーブン・スピルバーグ監督とストーン監督との比較においても、私は同様の印象を持っている。
ストーン監督は自身の分身ともいえる新兵クリス・テイラーに、ベトナムへ来た動機をこう語らせている。
「父さんも母さんも入隊に反対して、いい仕事について、マイホームをもち、子どもを育てる、そんな人生を歩ませたかった。でもおばあちゃん、僕は両親のそんな期待に反発したんだ。温室のような世界から飛び出して自分の力で生きてみたかった。国にも尽くしたかった。大戦に従軍したおじいちゃんや父さんのように。だからこうやって志願兵となってここへやってきたんだ。
兵隊はほとんどが地方出身、底辺の人たちだ。ボランスキーとかブランドとか、聞いたこともない町から来ている。高校も満足に卒業していない。地元に帰れば、工員の口でもあればマシな方だ。貧しくて、恵まれない彼らが、民主主義と自由のために闘っている。変な話だろ? 彼らは自分たちの立場を知っている。だから踏みつけにされても文句も言わず、じっと耐えているんだ。彼らこそ英雄だよ。アメリカの心だ」
そういう良心と正義感、愛国心をもってベトナムへやってきたストーン監督が戦場で体験したのは、戦争の残虐さ、非道さ、そして「民主主義と自由のために闘っている」という信念を打ち砕く戦場の冷酷な現実だった。それはやがて彼を「そういう戦争への自分たちを駆り立てていった国家やその指導者たちへの疑問、不信そして怒り」へと向かわていったのだと私は思う。
映画の最後に、負傷し戦場を離れる主人公テイラーがこう独白する。
「今から思うと、あの時の僕たちは自分自身と戦っていたんだ。敵は僕らの心の中にいた。僕の戦争はやっと終わった。でもこの思い出は一生残るだろう。(中略)戦争に生き残った僕らにはやるべきことがある。戦場で見たことを人々に伝え、残された人生を、命をかけて意義あるものにしていくことだ」
「残された人生を命をかけて意義あるものにしていく」ストーン監督の長い闘いが、あの「自分や戦友たちをあの無意味な戦争に追いやった“アメリカ”という国家の本質」を執拗に追求する数々の映画制作であり、またその1つの終着点が、あのテレビ・ドキュメンタリー映画シリーズ『オリバー・ストーンが語る、もうひとつのアメリカ史』だったのではなかったか。
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