Webコラム

日々の雑感 298:
本物の“政治家”

2013年7月6日(土)

 東京のある映画館の支配人との雑談中、私は「最近、ドキュメンタリー映画を作る私がどうしても観ておくべき、お勧めのドキュメンタリー映画は何かありませんかね?」と訊いた。すると支配人は間髪をいれず、「『南の島の大統領』という映画はお勧めですね。いいですよ」と答えた。
 タイトルは『南の島の大統領─沈みゆくモルディブ─』。「モルディブ」という国の名は、日本人にはあまり馴染みがなく、いったい地球上のどこ辺にあるのかさえ知る人は多くないだろう。ただ、環境問題に関心がある人なら、地球温暖化による海面上昇のために、近い将来、この国の領土の大半が海に沈んでしまう国ということで、その名を聞き覚えているはずだ。
 それにしても、一般の日本人がほとんど関心を持ちそうにもない「南の島」「モルディブ」というタイトルで、観客が映画館に来るだろうか。そんな映画をその道のプロがなぜ勧めるのかといぶかった。
 この映画を欧州で見つけ出し、日本に紹介しようとしているのが、たまたま、私の映画の配給宣伝を担当している「浦安ドキュメンタリーオフィス」の中山和郎さんだったこともあり、さっそくそのDVDを借りて観た。

 素晴らしい撮影技術、目を見張る映像美、小気味いいテンポの速さ、観る者をわくわくさせる見事な構成……、どれを取っても、私がこれまで作ってきた映画とはまったくレベルが違う。映画として超一級のクオリティーをもつ作品である。しかし何よりもこの映画の魅力は、主人公、モハマド・ナシード大統領の人間の魅力である。
 インドの南西に位置するインド洋の小国、人口40万人のモリディブは、30年近くも独裁・強権政治が続いた。その恐怖政治に反対の声を挙げ民主主義を求める活動家たちは次々と逮捕され、拷問を受ける。そんな祖国を民主主義国家に変えようと、英国で教育を受けたナシードが祖国に戻り、汚職と人権侵害と闘う民主化運動を開始する。果たしてナシードは拘束され、拷問を受け、1畳ほどの狭いトタン作りで、マット1枚だけしかない独房に1年半も投獄される。
 ナシードは当時をこう振り返る。

 「自由に動けなくてもできることはある。心の中で散歩に行ける。鎖につながれていない時は、独房の中を数歩、何回も何回も往復する。めぐり来る時間をそのまま受け止める。独房で過ごす1年半はほんとうに長かった」

 釈放後もナシードは、民主主義を広めるために政治活動に奔走する。結局、彼はその活動のために20年間で12回も逮捕され、2度、拷問を受けている。
 そんな迫害や障害を乗り越え、遂に、2008年10月の大統領選で、30年間も独裁政治をを続けてきたガユーム前大統領に勝利した。
 大統領になった喜びに浸る間もなく、ナシード新大統領が真っ先に取り組まなければならなかったのが、祖国が海面下に沈むことを阻止するために、国際会議で温室効果ガスの排出規制に関する合意を取り付けることだった。この映画の後半の山場は、2009年デンマーク・コペンハーゲンで開催されたCOP15(気候変動枠組み条約第15回締約国会議)で、合意に向けて、各国の代表と精力的に渡りあい交渉するラシードの活躍だ。短いカットを畳みかけ、スリリングに描く編集力が際立つ。

 この映画を「地球温暖化問題」を啓蒙する作品として観ることもできる。だが、この映画の主題は、「政治家とはどうあるべきか」というテーマだと私は思う。
 この映画を観ながら、私はこの「南の島」の小国の大統領と日本の政治家たちとの質のあまりの格差に愕然とした。何が違うのか。それは何に起因するのだろうか。
 真っ先に思いつくのは、政治家をめざす動機と“志”の天と地ほどの違い、そしてそれまでに歩んできた人生経験の比較しようもないほどの質の差だ。さまざまな迫害を体験し、命の危険にもさらされながらも、民主主義の実現のために闘ってきた政治家と、“温室”でぬくぬくと育ち、親からの票田を引き継ぎ、“政治信念”──それさえ本当に持ち合わせているのかがまず疑問だが──を守り抜くため厳しい試練にさらされることもなく「政治家」になる“2世議員”たち。この映画を観て改めて気づいたが、日本の大半の「政治家」たちに絶望的なほど欠落しているのは、“政治信念”を支える厳しい人生体験だ。つまりその言葉が、自分の“肌”から滲み出たものではなく、借り物の「理念」「信念」を頭の中でこねまわした、粉飾まぎれの仰々しい「言葉」なのだ。だから、彼らの「言葉」があれほど軽く、人の心にずっしりと届かないのだ。
 “肌で体験し、実感する”ことは政治家の“信念”を形成する上で不可欠な要素の1つなのだということを、この映画は教えているような気がする。それは今の日本の政治家たちの動きからも見えてくる。その苛酷な戦争体験から、「保守派」といわれながらも平和憲法の堅持を、与党からの激しい批判や孤立を恐れず訴える自民党のかつての大物議員、古賀誠氏や野中広務氏。その一方、戦争の過酷さも知らず、それを“想像”する力も欠如し、「国防」という名の机上の「カッコイイ戦争」しか想い浮かばず、ひたすら戦争のできる国をめざし「改憲」を急ぐ“温室”育ちの2世議員たち。その両者の絶望的な落差も、この映画に改めて想い起させられるのだ。

 「平和憲法維持か改憲」の岐路となる参議院選挙を目前にして、改めて私たちに、「“本物”の政治家とは何か」を立ち止まって再考させてくれる映画として、『南の島の大統領─沈みゆくモルディブ─』は今、必見の映画かもしれない。しかし残念ながら、この映画が一般公開されるのは、選挙後の8月上旬だ。それでも、「果たして私たちが選んだ政治家たちが“本物”なのか」と立ち止まって改めて見極めたい──そんな気を起こさせる映画である。

映画『飯舘村 放射能と帰村』
『飯舘村 ─放射能と帰村─』公式サイト

異国に生きる
『異国に生きる』公式サイト

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