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日々の雑感 300:
『オリバー・ストーンが語る もうひとつのアメリカ史』を観て(1)

2013年9月26日(木)

『オリバー・ストーンが語る もうひとつのアメリカ史』
予告編(英語版)

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 2ヵ月以上、コラムが書けなかった。2本の新作映画の劇場公開や、最新作の映画の編集作業に追われていたこともあったが、あまり書く価値もない内容をコラムとして記すために時間を費やすのは“人生の無駄使い”のような気がしたからだ。
 ただ1つだけ、NHKで放映したドキュメンタリー番組『オリバー・ストーンが語る もうひとつのアメリカ史』について、その内容を自分の血肉化するために、10回分の番組のDVDをもう一度きちんと見直し、重要な部分は書き起こし、そこで学んだことを文字化して記録しておこうと、2ヵ月前からずっと考えていた。だがそのため要する膨大な時間がなかなか作れず、ずるずると今日になってしまった。

 オリバー・ストーン自身が語るナレーションの量は半端ではない。各50分の番組は資料映像や挿入された映画の音声もあるが、ほとんどは彼のナレーションで埋まっている。その内容は濃密だし深い。書きとどめようとすると、ほとんど文字起こしすることになる。時間をみつけてやり始めた内容の書き出しは、2週間ほどかかってやっと3回分を終えた。
 しかし時間を無駄にしたという気は起こらない。文字化してみると、改めてその内容に圧倒されるのだ。この一行一行を書き記すために、どれほど膨大な資料を探し出し読みこまれたことかと思うと、一行も無駄にできなくなるのだ。
 とにかく終了するには、ずいぶんと時間がかかりそうだが、こつこつ文字起こしをし、そこから学んだこと、感じたことを自分のために記録して残しておこうと思う。

 最初にこの番組を見たときの衝撃は何だったのか。まず、語られる“アメリカの現代史”が、私がこれまでほとんど知らないか、漠然と表面的に聞き覚えのあるだけの“アメリカ”だったからだろう。そして何よりも、それをこれほど膨大なドキュメンタリー映像としてまとめあげたオリバーストンの信念と情熱とエネルギーに圧倒されたのだ。何が、彼を駆り立てたのか──それを知るために、彼の原点ともいえる『プラトーン』を見た。その感想を記したコラム「“巨人”オリバー・ストーン(1)─映画「プラトーン」の衝撃─」に私はこう書いた。

 ストーン監督は自身の分身ともいえる新兵クリス・テイラーに、ベトナムへ来た動機をこう語らせている。
 「父さんも母さんも入隊に反対して、いい仕事について、マイホームをもち、子どもを育てる、そんな人生を歩ませたかった。でもおばあちゃん、僕は両親のそんな期待に反発したんだ。温室のような世界から飛び出して自分の力で生きてみたかった。国にも尽くしたかった。大戦に従軍したおじいちゃんや父さんのように。だからこうやって志願兵となってここへやってきたんだ。
 兵隊はほとんどが地方出身、底辺の人たちだ。ボランスキーとかブランドとか、聞いたこともない町から来ている。高校も満足に卒業していない。地元に帰れば、工員の口でもあればマシな方だ。貧しくて、恵まれない彼らが、民主主義と自由のために闘っている。変な話だろ? 彼らは自分たちの立場を知っている。だから踏みつけにされても文句も言わず、じっと耐えているんだ。彼らこそ英雄だよ。アメリカの心だ」

 そういう良心と正義感、愛国心をもってベトナムへやってきたストーン監督が戦場で体験したのは、戦争の残虐さ、非道さ、そして「民主主義と自由のために闘っている」という信念を打ち砕く戦場の冷酷な現実だった。それはやがて彼を「そういう戦争へ自分たちを駆り立てていった国家やその指導者たちへの疑問、不信そして怒り」へと向かわせていったのだと私は思う。
 映画の最後に、負傷し戦場を離れる主人公テイラーがこう独白する。
 「今から思うと、あの時の僕たちは自分自身と戦っていたんだ。敵は僕らの心の中にいた。僕の戦争はやっと終わった。でもこの思い出は一生残るだろう。(中略)戦争に生き残った僕らにはやるべきことがある。戦場で見たことを人々に伝え、残された人生を、命をかけて意義あるものにしていくことだ」
 「残された人生を命をかけて意義あるものにしていく」ストーン監督の長い闘いが、あの「自分や戦友たちをあの無意味な戦争に追いやった“アメリカ”という国家の本質」を執拗に追求する数々の映画制作であり、またその1つの終着点が、あのテレビ・ドキュメンタリー映画シリーズ『オリバー・ストーンが語る もうひとつのアメリカ史』だったのではなかったか。

 オリバー・ストーン自身は、『オリバー・ストーンが語る もうひとつのアメリカ史』第1回の冒頭で、このドキュメンタリー番組を作った動機をこう語っている。

 「私は新作映画ではなく、これまで語られてこなかったアメリカ現代史を作ろうと考えました。番組には数々の問いも含まれています。それが、みなさんが考えるきっかけになればと考えています。
 番組に登場するのは、忘れられた英雄や信念のために苦境に陥った人々、権力に逆らったがために消えていった人々です。
 史実を正確に伝えるため、英雄と呼ばれた人々の真実の姿もあらわにします。そしてよりよい未来のため、かつてあった善良さに光をあてようと思います。
 今までだれも考えなかったやり方で、アメリカという国の存在意義、そして第二次大戦以後に失ってしまったなにかをとりもどしたいのです。
 アメリカは深刻な過ちを犯してきました。しかしそれを正すチャンスはあると信じています」

 「今までだれも考えなかったやり方で、アメリカという国の存在意義、そして第二次大戦以後に失ってしまったなにかをとりもどしたいのです」──まさにこれこそが、私が前述したコラムの中で書いた「これまでまったく想像もできなかった、“映像表現者”の新たな役割とその可能性を見せつけられた」ことだったのだ。

【第1回】第二次大戦の惨禍

 この初回で、オリバー・ストーンは「第二次大戦の勝利はアメリカによってもたらされた」という通説が虚構であることを、詳細な事実を積み重ね立証していく。
 ドイツの侵攻によって、ソ連は膨大な犠牲を強いられる。キエフの戦いで50万人のソビエト兵が犠牲になり、ソ連の工業地域は壊滅、石炭や鉄など戦略資源がドイツに奪われる。またレニングラードで250万人の市民のうち3分の1が命を落とし、スターリングラードを死守するために50万人の死者を出した。最終的に第二次大戦を通し、200個師団のドイツ軍と戦い続けたソ連軍の死者は600万人、国民全体では2700万人が犠牲になったといわれる。
 窮地に追い込まれたスターリンは、ドイツの軍事力を分散させるために、イギリスに西ヨーロッパで第2戦線を開くことを懇願するが、西側諸国はそれを引き延ばす。やっと米英がノルマンディー上陸作戦に踏み切ったのは1944年6月になってからだった。「ドイツが勝ちそうならソ連を、ソ連が勝ちそうならドイツを支援すればいい。そうやって双方ができるだけ多くを殺せばいいのです」というトルーマン米大統領の言葉が象徴するように、ソ連の共産主義の拡大を恐れる西側諸国にとってドイツがソ連と戦い続けることが重要だったのだ。
 それでもスターリン率いるソ連は2000万人を超える犠牲を払いながら、ドイツ軍を自力で押し返し反撃に転じ、1945年5月、遂にベルリンを陥落させる。
 オリバーストーンは、第一回の番組を次の言葉でしめくくっている。
 「ドイツという怪物じみた戦争マシーンを壊滅させ、戦いを勝利に導いた真の英雄は、それは信じがたいほどの頑強さと勇敢さを備えた、ソビエトの人々だったのです」

【第2回】ルーズベルト、トルーマン、ウォレス

 この『アメリカ史』シリーズの大きな特徴は、監督のオリバー・ストーンが自らの主観的な判断と評価を前面に押し出していることだ。これが「歴史ドキュメンタリーは中立かつ客観的でなければならない」という「定理」に呪縛されているかのような日本の「歴史教養番組」と決定的に違うところだ。
 オリバー・ストーンのその指針は、とりわけアメリカの現代史において決定的な役割を果たした歴史的な人物の評価に顕著に表れている。
 彼が第二次大戦と戦後史の中で、最も高く評価しているのがルーズベルト大統領とヘンリー・ウォレス農務長官(後に副大統領)である。
 【第1回】で、ルーズベルトの“崇高さ”を際立させるために対比されるのが、戦後も大英帝国を維持し植民地を従属させ続けようと画策する、姑息なチャーチル首相だ。そのチャーチルにルーズベルトはこう言うのだ。
 「我々は大英帝国の窮地を救うために利用され、その後は忘れ去られるようなお人よしにはなるつもりはない。戦後も植民地を踏みつけにしたままであり続けるなら、アメリカの大統領として援助をするつもりはないとはっきり言おう」
 そのルーズベルトは、戦後、植民地を発展させる融資制度の創設を計画していた。そして戦後の世界のあり方として、彼は4つの普遍的な“自由”について語っている。(1)表現の自由(2)信仰の自由(3)貧困からの自由(4)恐怖からの自由である。これがその後、国連の指針となっていく。
 そのルーズベルトの信任が厚く、「ヘンリーほどアメリカ人らしい男は他にいない」とまで言わせたのがヘンリー・ウォレスである。彼の思想・信条は以下の演説に象徴されている。
 「20世紀は庶民の世紀であるべきです。排除すべきは、軍事的、経済的な帝国主義です。過去150年間、庶民は自由に向け、果敢に歩を進めてきた。アメリカ革命、フランス革命、ラテンアメリカの革命、ロシア革命、それは庶民の声の体現です」
 ウォレスは、アメリカ国内の人種差別に強く反対し、労働者の権利を擁護した。国民の支持も高く、1944年7月の民主党大会では副大統領候補はほぼ確実視されていた。しかしウォレスの進歩的な考えに反発する民主党保守派の有力者たちの画策により、民主党内の支持率65%(ちなみにトルーマンは2%)で当選が確実だった投票が強引に延期され、その後の巧妙な選挙工作によって、トルーマンに逆転される。後に大会の議長は「もしあのとき投票されていたら、(ウォレスは)間違いなくルーズベルトの後継者になっていたろう」と述懐している。オリバー・ストーンも番組の中で、「よくも悪くも、あの夜、歴史がひっくり返ってしまった」と語っている。

 一方、トルーマンに対するオリバー・ストーンの評価は厳しい。彼は、ミズリー州の実力者が「使い走りでも上院議員になれることをみせてやりたかった」ために上院議員となり、民主党大会では「敵がいなかった」ために「副大統領候補」に祭り上げられた程度の人物だったと、この番組で紹介している。
「平和構築のためにイギリス帝国主義とソ連共産主義に歩み寄った」ルーズベルトとは対照的に、その死後、大統領職を継いだトルーマンは、認識不足を虚勢でごまかし、「85%、ソ連を思いのままにできる」と豪語した。また社会主義を匂わせるもの全てを毛嫌い、2つの戦争の間に富を築いた者たち、銀行家や企業の役員、ワシントンの弁護士などに、アメリカの戦後の政策決定を委ねた、とオリバー・ストーンは酷評する。
 ルーズベルトとスターリンの約束を反故にし、米ソの信頼関係を台無しにして、その後の冷戦の原因を作ったのもトルーマンだったことがこのドキュメンタリーで明らかにされる。
 そしてオリバー・ストーンは、ルーズベルトとトルーマンとの決定的な違いをこう総括している。
 「辞書の定義によれば、『empathy』(共感)とは他人の感情や意見を同じように感じ、分かち合うことです。トルーマンはソ連の痛みや苦しみ、彼らの言い分に共感することができなかった。一方、小児麻痺に苦しんだルーズベルトは、ソ連の犠牲の上に勝利が成り立つこと、互いに尊重し合わなければ、平和の実現はないことを知っていた」

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