Webコラム

日々の雑感 305:
山形国際ドキュメンタリー映画祭(3)

山形国際ドキュメンタリー映画祭(1)
山形国際ドキュメンタリー映画祭(2)

2013年10月18日(木)

『殺人という行為』

The Act of Killing
デンマーク、インドネシア、ノルウェー、イギリス/2012/インドネシア語 /カラー/159分
監督:ジョシュア・オッペンハイマー Joshua Oppenheimer

 今回の映画祭でもっとも話題を呼んだのは『殺人という行為』だった。インドネシアでは1960年代、100万人単位の共産主義者またはその支持者たちが虐殺されたといわれる。自ら1000人以上を殺したと自認するギャングのボス、アンワールは、当初、その殺人行為を誇りに思い自慢さえしていたが、やがてその殺人行為を再現する映画を制作する過程で、被害者たちの恐怖と苦しみを理解し、かつての自分の残虐な行為への自責の念に苦しみ始める。この映画はこの過程を描いている。
 これまでインドネシア国内ではタブー視され、メディアでもほとんど議論や検証がなされることがなかった虐殺事件が、この映画によって初めてマスメディアでも公に議論され始めたという。つまりこの『殺人という行為』がインドネシア社会の空気と歴史認識を一変させたというのだ。すでに海外では大きな反響を巻き起こした映画だったらしく、前評判も高かった。
 ジュショア・オッペンハイマー監督は、撮影の3年前から主人公の元ギャングのボス、アンワールとの間に信頼関係を築き上げ、アンワールの共産主義者および支持者たちへの虐殺を映画として再現する計画に参加する。本作は、間にその映画を挿入しながら、アンワールや部下たち、かつてのボス仲間、さらに全国規模の民兵組織とそのリーダーの動きを追っていく。
 この映画を絶賛する人も少なくない。しかし私はこの映画にそれほど感動できなかった。この映画の中でしばしば登場する、アンワールたちのグロテスクで、またコミカルな映画のシーンが、この映画が本来持つべき“深さ”を台無しにしているように私には思える。描かれている現実そのものも嘘っぽく見えてしまうのだ。この映画のクライマックである、アンワールが、自分が犯した殺人行為の意味を自覚していくプロセスさえも、私にはとても不自然で、映画の中の“演技”のようにさえ見えた。50年もの間持ちえなかった被害者の恐怖、痛みへの想像力を、映画で被害者を演じ疑似体験するぐらいのことで獲得できるのだろうか。
 映画の中でのアンワールやその部下たちの演技があまりにも上手過ぎる(とりわけヘルマンは、その体型や表情、抜群の演技力から日本の名優、西田敏行を想わせる)ことも、「演技」と「現実」の見分けがつかなくしている大きな要因かもしれない。
 オッペンハイマー監督は、映画祭事務局が発行する「ディリー・ニュース」(6)のインタビューのなかで、こう語っている。
「観る人に理解してほしかったのは、過去に犯した行為に関して、加害者たちが自分の中の罪悪感と、どのように共存してきたかということです。確かに1960年代のインドネシアの内政を描いていますが、そこにとても暗い鏡を置いて、私たち自身の姿を映しています。人は皆、自分の中にある悪の部分について罪悪感を持っています。持っているからこそ、それを感じないように物語を語るのです」

 しかし一般の人間が持つ“罪悪感”と、1000人以上もの人間を虐殺した人間がもつ“罪悪感”を同列に並べて、「同じ人間の共通の問題」として論じるのは無理やり過ぎないか。1000人以上を虐殺した人間はどう考えても“異常”だ。その“異常”を、どうして一般の人間の問題として無理やり「普遍化」する必要があるのか。むしろあの“異常”自体を凝視し、その“異常”を生み出したものは何かを、もっと深く追及すべきではなかったか。
 監督はまたカタログの「監督のことば」の中でこうも言っている。

 「一瞬でも、アンワールと自分が同じ人間だと思えたとき、世界は善人と悪人とに隔てられておらず、より厄介なことに、私たちは皆自分が信じたがっているよりもずっと、加害者のすぐ近くにいるのだと心底実感できるだろう」
 「世界は善人と悪人とに隔てられておら」ないこと、「私たちは皆自分が信じたがっているよりもずっと、加害者のすぐ近くにいる」ことも、いくらかでも人生経験のある人間なら、この映画を観なくても、また監督に諭されなくとも、体験からすでにわかっているはずだ。
 もし監督が、インドネシアのこの異常な虐殺事件の加害者を描く映画から、そういう結論を引き出そうとしているとしたら、浅すぎないか。アンワールが、自分が虐殺した場所で嘔吐し、涙を流しながら階段を下りていくラストシーンは、「世界は善人と悪人とに隔てられてはいない」という映画のメッセージなのだろう。人類史上、類を見ない虐殺の1つであり、世界の歴史においても重大なテーマを扱っているこの映画が、「悪人」「善人」「罪悪感」といった個人レベルの問題に収斂され、矮小化されてしまっている気がする。だから、私が感動できないのかもしれない。

 私がこの映画で最も衝撃を受けたのは、過去もそして現在も、社会の底辺が民兵組織というギャング集団によって支配され、彼らが地方行政、さらに中央の政治家たちと深く癒着しあい、絶大な影響力をもつインドネシア社会の“腐敗の現実”だ。この映画はインドネシアのその深刻な“恥部”を白日の下にさらしている。だが、オッペンハイマー監督によれば、この映画はインドネシア国内ですでに1000回以上も上映され、無料でダウンロードして鑑賞することもできるという。なぜそれが可能だったのか。インドネシア政府は、自国の国際的な信頼を失墜しかねないこの映画の国内公開を阻止しなかったのだろうか。もしそうであるなら、なぜ容認したのか。むしろ私はそこが知りたいと思った。

『我々のものではない世界』

A World Not Ours
パレスティナ、アラブ首長国連邦、イギリス/2012/アラビア語、英語/カラー、モノクロ/93分
監督:マハディ・フレフェル Mahdi Fleifel

 私はこれまで“パレスチナ”を描いたドキュメンタリー映画を数多く観てきた。パレスチナ人自身が制作した映画もあれば、パレスチナ人以外の監督によって作られた映画もあった。前者も2つに大別される。現地で暮らすパレスチナ人による映画と、欧米などに移住したパレスチナ人による映画だ。『我々のものではない世界』はその後者に当たる。
 しかしマハディ・フレフェル監督の場合、「欧米に移住したパレスチナ人」でも特殊な例である。映画の舞台となるレバノンのアイン・エル・ヘルワ難民キャンプは両親の出身地であり、フレフェル監督自身も幼少期、少年時代をそこで過ごしている。つまりこの映画は、自分の“故郷”の祖父母、親戚たち、幼馴染みなど昔からの友人、知人たちを描いた映画なのだ。
 世界に散ったパレスチナ人の中でも、最も過酷な状況下にあるのはレバノンの難民キャンプで暮らすパレスチナ人たちだといわれる。彼らは、難民キャンプの外で自由に暮らすこともできず、外の世界で自由に職業を選ぶことは許されていない。多くの住民が難民キャンプ内で小さな商店を経営したり、キャンプの外で非合法の労働に従事しながら、また国際機関の援助によって糊口をしのぐ。つまり1キロ四方ほどの狭い難民キャンプの中で貧困の絶望の中で軟禁状態におかれているのだ。しかもパレスチナ、占領地のパレスチナ人難民のように、世界のメディアの注目を浴びることもなく、その状況が世界に知られることもほとんどない。だから、レバノンの難民キャンプで生まれ育ったパレスチナ人青年たちは、将来に希望が持てない、深い絶望感を中で生きざるをえない。
 この映画で描かれているのが、その青年たちの深い“絶望感”である。仕事もなく、ぶらぶらと日々を過ごすしかない監督の親友や叔父たちが、カメラに向かって自嘲するようにつぶやく。「俺はここでは無価値で、根無し草さ」「自分が属する場所がないんだ」と。
 その絶望感を紛らわすかのように、若者たちはワールドカップの試合に、死者を出す暴力ざたを引き起こすほど熱狂する。レバノンの難民たちにとって、暗闇のトンネルの先にかすかに見える小さな光だった「故郷への帰還」の夢も、ディアスポラ(離散)のパレスチナ人を切り捨てた1993年の「オスロ合意」によって完全に絶たれることになる。彼らにとって、解放闘争のヒーローだったPLOアラファト議長も、敵と握手し取引する“裏切り者”に転落した。「パレスチナ人は自滅したんだ」と映画の中で青年の1人がはき捨てるように語る。

 私はパレスチナ人の“絶望感”をこれほど切実に描いた映画を観たことがない。フレフェル監督はなぜそれができたのか。パレスチナを描いた他のドキュメンタリー映画にないこの映画の特殊性が2つあると思った。1つは、監督自身が、映画に描かれているパレスチナ人たちの家族とコミュニティーの一員であることだ。しかも監督自身が回すカメラが彼の身体の一部のように周囲の者たちからみなされている。それは監督の父親がビデオマニアで、いつもこの難民キャンプで家族や隣人たちを撮影していて、周囲はそれに慣れっこになっていたからだ。息子のフレフェル監督がカメラを回しても、「この家族はそういうものだ」と認知されていたことが、あのような住民の“裸の姿”を映し出すことも可能にしている。
 もう1つの特殊性は、長期間にわたる難民キャンプとそこで暮らす人々の変化が映画に映し出されていることだ。それはビデオマニアの父親が残した過去の映像、幼いときから“里帰り”するたびにフレフェル監督自身が撮影してきた長期間にわたる膨大な映像があったから可能だったことだが。その同じ家族、コミュニティーの30年近い定点観測がこの映画に揺るぎない説得力を与えている。例えば、この映画の主題となっているレバノンの難民キャンプ住民の“絶望感”も、長い年月の生活や人々の心情の変化と共に描き出されているからこそ、観る者の心を染み入ってくる。それは私たち外国人ジャーナリストが短期間、現場を訪れて、インタビューで住民の表層的な言葉を拾ったくらでは絶対引き出せない“真情”だ。

 この映画は、例えば、前述した映画『殺人という行為』などと比べると、映像や映画としての洗練さにおいては劣っているかもしれない。しかし、ドキュメンタリー映画としてどちらが、観る者の心に迫ってくるかといえば、間違いなくこの『我々のものではない世界』だろう。それは作り手が“当事者”と“第三者”の違いもあるだろう。しかし私は一番大きいのは、映画を撮る動機の違い、その切迫度の違いからくるのだと思う。フレフェル監督は、映画を撮る動機を「監督のことば」の中でこう語っている。
 「私にとってこの映画を撮ることは、記憶を創造し、そして保存するうえでの意識的な試みだった。パレスチナ人、特に故郷を追われたパレスチナ人は、ひとつの民族としてのアイデンティティと集合的記憶が、つねに攻撃にさらされている。そのため、ただ記憶を残すという行為でさえ、我われの存在を消さないための闘いの一部となる。
 我われにとって、忘れることはすなわち存在するのをやめることだ。記憶は、たとえ日常生活のささいな記憶であっても、我われが存在する唯一の証拠である」

 パレスチナ人として存在し続けるための記憶を刻み込むこと、それがフレフェル監督にとって“ドキュメンタリー映画を撮る”ことなのだ。自らの民族と、個人の存在を賭けた監督の、映画にこめた切実な熱い思いが、映し出される風景や、登場する人物たちの表情や言葉に端々からにじみでてくる。それがこの映画の“力”なのだと思う。
 実に巧みに作られている映画『殺人という行為』との決定的な違いはそこなのだろう。その映画が私には技巧的で嘘っぽくて、胸に迫ってこないのは、映画を作らざるをえない、これを伝えずおくものかという、自らの存在を賭けた切実さが私に伝わってこなかったからなのだと、『我々のものではない世界』を観て、私は改めて気づかされた。

『我々のものではない世界』予告編

『庭園に入れば』

Once I Entered a Garden
フランス、イスラエル、スイス/2012/ヘブライ語、アラビア語/カラー/97分
監督:アヴィ・モグラビ Avi Mograbi

 この『我々のものではない世界』と似たようなテーマを描きながら、その質において対極にあるのが、アヴィ・モグラビ監督の『庭園に入れば』だ。作品解説には「イスラエルの状況を多様なアプローチで見据えてきた映像作家アヴィ・モグラビが、長年の友人であるパレスチナ人のアリ・アル=アズハリとともに出自をふりかえり、政治状況に翻弄された故郷の在り方をたどる」とある。
 4年前にこの映画祭で上映された彼の作品『Z32』に失望したが(この作品については4年前に論評を書いた)、また同じ監督の作品がインターナショナル・コンペティション15作品の1つに選ばれたというので、今度こそはいい作品に違いないと思い、観た。しかし、また失望。前作同様、その内容の薄さと監督の病的なほどの自己露出欲、自己顕示欲には辟易させられた。この作品の論評を書くのは労力と時間の無駄だからやめる。ただこの映画と『我々のものではない世界』と比較すれば、両者の“深さ”の違いが歴然とする。この山形国際ドキュメンタリー映画祭で、なぜこのようなアヴィ・モグラビ監督の作品が何度もコンペに選ばれるのか、私は理解できない(→4年前に書いた『Z32』評)。

映画『飯舘村 放射能と帰村』
『飯舘村 ─放射能と帰村─』公式サイト

異国に生きる
『異国に生きる』公式サイト

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