Webコラム

日々の雑感 313:
組織の責任と個人の責任(2)

2014年4月2日(水)

 2012年6月、1324人の福島県民が福島地方検察庁に「福島原発事故の責任を問う」ために告訴した。
 その告訴人たちの「陳述書」には、原発事故によって追い込まれた過酷な現実と、切羽詰った思いがつづられている。

  • 幼い娘と安心してここで暮らすことはもうできないと思い、お店を閉店し、今いる山梨県に自主的に避難することを決意しました。開店してから3年目で畑を増やしたり、軌道に乗ってきた時でまさにこれからというところで原発事故の影響で閉店を余儀なくされてしまったことは本当に悔しく、私が大事に思ってやってきた事や、人との繋がりやコミュニティーはバラバラになり失われてしまいました。私にとっても生業を失い、お店を失い、住む家も失い、友人を失いました。(三春町から山梨県に避難した元飲食店経営者/36歳)
  • 「危険だよ」「なんで逃げないの」という、福島を心配している他者の善意の言葉が、逆に福島に残っている人を苦しめています。僕も「お前がこどもたちを殺しているんだ」と言われたことがあります。避難した人も福島に残る人も、罪悪感を抱えながら必死に今を生きています。避難した人もとどまる人も、苦しんで悩んで生きています。
    幼稚園児たちは去年の七夕の短冊に「外で遊びたい」「マスクをとりたい」「原発なくなれ」といました。それを見たときは胸が締め付けられる思いがしました。(幼稚園理事長、二本松在住/38歳)
  • 体のために……と避難はさせたが、親子が離れて暮らし続けることは、とても悲しいこと。ずっと悩み続けた結果、避難1年のこの7月で、私は多額のローンを抱えたまま仕事を辞めることを決めました。健康不安、将来への不安、経済的不安……たくさんの不安がのしかかっています。思い描いていた未来とは全く違う人生になります。豊かな自然、当たり前の日常、明るい未来、健康的な生活、地域のつながり、……。これまで培ってきた多くのものを奪った原発。これは、まぎれもなく人災。殺人行為です。(福島市在住、元地方公務員/42歳)
  • 息子は合格した高校へ一度も通学することもなく、転校をし、1ヵ月おくれでようやく高校生活をスタートすることができました。下痢は今も続き、大好きなテニスもできません。私は、コミュニケーションをとれる大切な友達とも離れ、父と息子を守るというプレッシャーから精神状態はボロボロです。でも生きるためには働かなければならないのです。泣きたくても涙も出ず、知らない土地での生活は孤独感だけです。避難生活を続けている郡山の線量も高く、父がいる仮設住宅は今も1マイクロシーベルトはあるようです。
    なぜ大好きなふるさと離れ、先の見えない生活を私たちはしなくてはならないのでしょうか。いつまで不安定な生活をしなくてはならないのでしょうか。原発事故は誰が責任をとってくれるのでしょうか。(会社員、女性/47歳)
  • 私の家は原発から36キロ程の所にあります。3月18日、私は「子供達を放射能から守らなければ」という思いで、福島の地を離れ三重県に向かいました。約5ヵ月間、三重、高知と避難生活を続け、様々な体験をし、最終的に子供の不登校をきっかけに福島に帰って来ました。
    原発事故で私たちは、たくさんのものを失いました。仕事を失い、大切な家畜を見殺しにしてしまいました。親戚ように付き合っていたお客さんを失いました。有機農法で培った肥沃な田畑は、放射能で汚され、周りの美しい山や川、自然を汚され、友人を失い、築いた家などの不動産も価値を失い、何よりも私たち自身、被曝させられました。それら様々な被害を東京電力に賠償請求したところ、「貴方のところは、勝手に避難して生じた損害なので、賠償はできません」という回答でした。(田村市在住、農家/49歳)
  • 私たち家族は楢葉から家族を連れ出すことに必死でしたベントが始まる直前に何とか、義母と叔母、長女を連れ出すことが出来ましたが、体育館に避難していた伯父は、2週間後に肺炎で亡くなりました。郡山に来てから母は重度の欝状態となり、認知症が一挙に進んでしまいました。仕事をしながら、母とパーキンソン病の叔母の介護が始まりました。母の攻撃的な態度と、叔母の身の回りの世話、それ以上に放射能の恐怖で、不眠、突然涙が止まらなくなるなど、私自身も欝状態に陥りました。
    やっと建てた自宅は、ローンを残したまま放射能で汚染されました。私にとって一番の心配は、子供たちのことです。結婚したばかりの長女は、あんなにほしがっていた子供をあきらめました。結婚を控えていた31歳の長男も、子供を持つことに不安を感じています」(会社員、郡山在住の女性/55歳)

 この告訴人たちが追及しているのは、自分たちをこのような状態に追いやった当事者たち個々人の刑事責任である。

  • 被害者があるならば、加害者は一体誰なのでしょうか。加害者は誰なのか捜査してください。
  • このような現実を作り出しながら罪を問われていない、放射能は安全ですと言い切った御用学者様たちひとりひとりの責任を今一度問い直していただきたく、調査のほど、よろしくお願いいたします。

 中には具体的な人物を挙げて、告発する例もある。

  • 放射線アドバイザーの山下氏は事故後から各地で「安全・安心」を強調した講演会を精力的に開催し、多くの住民を無用に被曝させたにもかかわらず、なぜ誰からもとがめられる事なく、いまだ福島にいるのか。私の妹や両親も山下氏の言葉を信じ、無用な被曝をしました。多くの人々を被曝させた山下氏の今までの行動・言動を厳重に処罰していただくことを強くのぞみます」(福島県から秋田県に避難した29歳の女性)

 私たちは今回の原発事故の責任について語るとき、「国の責任」「東電の責任」というふうに、組織の責任について言及し、納得してしまう。しかし、その責任を負う具体的な個々人は、誰も追及されず、処罰もされてはいない。例えば「国」ならば、当時の首相である菅直人氏、官房長官の枝野幸男氏、通産大臣だった海江田万里氏ら、「東電」ならば、勝俣恒久・東電前会長、清水正孝・元社長、武藤栄・東電前副社長ら、「専門家組織」で言えば、元原子力安全委員長・斑目春樹氏らだ。
 彼らは「国の責任」「東電の責任」「専門家組織の責任」という言葉に守られて、個人としての責任を免れて、まったく処罰を受けることなく、今なお、「政治家」として、また「天下り先の企業」の幹部として、ぬくぬくと生きている。彼らが引き起こした原発事故のために、十数万人の福島県民が、故郷を追われ、家も土地も資産も生業をも失い、家族をバラバラにされ、将来への不安、家族の健康への不安、経済的な不安のために、3年たった今なお苦しみ悶え続けているのに、だ。
 この国のこの理不尽さは、いったい何なのだ! こんな不条理な現実が、なぜ許されるのだ!

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