2014年8月4日(月)
(写真:イスラエル軍に攻撃されたラファのUNRWA学校)
ガザ全体で80を超える国連(UNRWA:国連パレスチナ難民救済事業機関)の学校は現在、爆撃で住居を失ったりイスラエル軍に退避を命じられた住民たちの避難所になっている。しかしその避難所も住民にとって安全な場所とは限らない。これまでその国連学校が3回、イスラエル軍の襲撃を受けている。
8月3日にはガザ地区南部ラファ市内のUNRWA学校が攻撃された。この学校に避難していたのはラファ東部の地域からイスラエル軍の攻撃を逃れてきた人たちである。
朝10時ごろ、3000人ほどがすし詰め状態で避難生活を送っているこの学校では、たくさんの人が買い物などで学校を出入りしていた。その時突然、学校の入り口付近で、爆発音が響き渡り、黒煙が立ち込めた。入り口から数メートル離れた道路に、イスラエル軍の無人機「ドゥロン」からミサイルが撃ち込まれたのだ。現場にかけつけた人々が目にしたのは、あたり一面の血の海と、散乱する肉片と爆弾の破片だった。犠牲になったのは11歳以下の子供8人と警備をしていたUNRWAスタッフ2人だった。子供のうち1人は3歳、もう1人は2歳だった。負傷して倒れている子供たちを中に運び込んだが、なかなか救急車が到着せず、多量出血のために死亡してしまった子供もいた。救助が遅れた理由の1つは、ラファ市と周辺の重要な医療機関であったナジャール病院がイスラエル軍の攻撃で閉鎖になり、ラファ市内で残された唯一の小さな私立病院は人員も救急車も数が足りず、すぐに対応できなかったのだ。やっと到着した救急車も大量の負傷者を運搬できず、三輪車や馬車で運ぶしかなかった。
当時の様子を語ってくれたアエッシュ・オドワン(40)が、私を入り口近くの壁へ導いた。壁の一角に飛び散った爆弾の破片の跡が残っていた。壁の銃痕や爆弾の破片の跡は、私はこれまでもパレスチナのジェニンやイラクのファルージャなど各地で目撃し撮影してきた。しかし今回の痕はこれまで観たこともないほど小さく、しかも深く食い込んでいる。小さく鋭い破片が猛烈なスピードで周辺に飛び散ったことを物語っている。アエッシュによれば、病院で負傷者から破片を取り出そうとしても、小さすぎて、しかも身体の奥深く入り込んでいるためになかなか摘出できないと医者が語ったという。殺傷能力がすこぶる高い新型のミサイルが使われたのか、周囲300メートルにわたって被害が出ているとアエッシュは語った。
このUNRWA学校が避難所であることは、もちろんUNRWAによってイスラエル軍側に通告されていた。最新鋭の軍事技術を持つイスラエル軍なら、当時この学校の入り口周辺にいたのが武装兵士か一般住民であるかぐらいの識別はできたはずだ。
こういう時、イスラエル側は決まって、「学校近くにハマス武装勢力がいて、ミサイルを発射していた」か「ハマス武装勢力が発射したロケット弾が誤って落下した」ものだと主張する。しかし住民の証言や現場の様子、被害状況から見て、このラファUNRWA学校への攻撃では、そういう言い訳は通用しない。
(写真:事件翌日も路上に犠牲者の血痕が残っていた)
この事件の5日前の7月30日(ラマダン明け祝日の3日目)にはガザ地区北部のジャバリア難民キャンプのUNRWA学校でも同じような事件が起こっていた。夜明け前の祈りが終わった直後の午前5時過ぎ、突然、学校入り口すぐ横の教室に砲弾が撃ち込まれた。イスラエル軍がエレズ検問所近くから大砲で砲撃したと住民は言う。そこには女性や子供ら40人ほどが寝ていた。爆発音に驚いた避難民たちが現場に駆けつけたようとした時、2発目の砲弾が撃ち込まれた。事態が少し落ち着き、ナセル・カファジャ(49)はその教室で寝ていたはずの親戚の女性を探すため、教室に入った。電気もなく中は暗闇だったため、自分が何を踏んでいるのかわからなったが、後でそれが肉片だったことを知った。親戚の女性は死んでいた。
モハマド・アルフェリ(28)の兄は、ガザ北部の村で家を破壊され、このUNRWA学校に避難していた。
モハマドは離れた場所で寝ていたが、爆発音に飛び起き、学校の入り口近くで寝ているはずの兄のところへ走った。しかしそこで観たのは、首のない兄の遺体だった。兄は家を破壊され九死に一生を得てやっとたどりついた「安全な」避難所で、イスラエル軍によって殺されたのだ。
このジャバリア難民キャンプのUNRWA学校避難所への砲撃で15人の避難民が死亡し、数十人が負傷した。
イスラエル軍の地上侵攻直後にも、ガザ地区北部ベイトハヌーンのUNRWA学校避難所が攻撃を受けて多数の死傷者を出している。
3度も続いたイスラエル軍によるUNRWA学校避難所への攻撃は、国連や国際社会も単なる「誤爆」と看過できないはずだが、国連事務総長が非難声明を出しただけで、国連も国際社会もこのイスラエル軍の蛮行を止めるために具体的な行動を起こしたという話は聞かない。ガザのパレスチナ人は世界から見捨てられたと感じているにちがいない。
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