2014年8月13日(水)
(写真:ガザ発電所・破壊された燃料タンク)
今回のガザ攻撃が始まる前も、ガザ地区では毎日8時間ほどしか電気を利用することができず、恒常的に電力不足に苦しんできた。このガザ攻撃によって、ガザ攻撃から40日ほどが過ぎた今、3~4時間だけ電気が回復したが、当初はまったく電力供給が止まった。
なぜガザは電力不足に苦しんでいるのか。
旧ガザ政府のエネルギー担当当局によれば、ガザ全体で必要な電力は300~380メガワット(季節による幅がある)。しかし実際、供給できる電力は207メガワットほどで、必要電力の54%でしかない。その内訳はイスラエル側からの送電が120メガワット、ガザ内の発電所から60メガワット、さらにエジプト側からの送電が27メガワットほどだった。
今回のガザ攻撃で、イスラエル側からの送電線の大半が破壊され、イスラエルからの送電が止まった(現在、3~4時間の電気供給ができるようになったのは、イスラエル側からの送電線12本のうち6本が修復できたためだ)。
このイスラエルからの送電停止に加え、電力不足にさらに拍車をかけたのが、イスラエルによるガザ発電所の破壊だった。
(写真:ガザ発電所所長)
ガザ地区中部にあるガザ発電所の最高責任者ラフィック・アブマリハ所長が、イスラエル軍による破壊の経緯を私にこう証言した。
「最初の攻撃を受けたのは地上侵攻が始まって数日後の7月22日でした。水処理施設がミサイル攻撃を受けました。私たちはすぐに国連や赤十字国際委員会を通してイスラエル側に抗議しました。するとイスラエル側は『我われは発電所を標的にはしていない。誤爆だ』と返答してきました。しかしその12時間後にはコミュニケーション・システムがある管理部門の建物が攻撃され破壊されました。私たちは再びイスラエル側に抗議と攻撃の中止を訴えました。イスラエル側は『攻撃は間違いだった』だと返答してきました。さらに4日後の27日にはボイラーが攻撃を受けました。三度、私たちが抗議すると、イスラエル側の返答は『調査する』でした。
「しかしその翌日28日の午後2時ごろ、今度は燃料タンクの1つが砲撃されたんです。1発目から3分後、再び砲撃さました。それがもう1つのタンクに命中し大火事となってしまいました。これによって150万リットルの燃料が燃えてしまったんです。消化のためになす術もなく、すべての燃料が燃え尽きてしまうまで2日間燃え続けました。
燃料がなくては動かしようがありません。これによって発電所はまったく機能不全になったんです」
「この燃料タンクはもう修復できません。これを完全に壊して最初から再建しなければなりません。だから1年以上はかかります。それも、封鎖がなくイスラエル側から原材料が問題なく入ってきて、海外の技術者たちが自由にガザに入れることが前提です。この修復にはとても特別な専門的な技術が必要だからです。
しかし事はそう順調に行くとは考えられません。2006年に変電施設の一部がイスラエルに破壊されたが、それを8年経った今なお修復できないでいます。とりあえず臨時の設備を急いで建設して、いくらかでも電力を供給したいと考えているのですが、それも長い期間がかかると思います」
「発電所の破壊は電気だけの問題ではありません。電気がなければ他の生活の基本的なものが入らなくなります。まず水が手に入らなくなる。食料を保存することもできない。生活にとってあらゆる基本的なニーズを手に入れることが困難になるんです。つまりガザ住民は100年も前の生活に戻らなければならず、その中で住民は生き延びなければなりません。この発電所の破壊は、ガザ住民の生活を月単位ではなく、年単位で苦しめ続けることになります。このガザ攻撃の被害は殺戮や負傷だけではありません。ガザ攻撃が『終結』した後も、これによって住民はずっと苦しまなければならないのです」
イスラエルがこの発電所を攻撃した狙いは何なのか。私の問いにアブマリハ所長はこう答えた。
「この発電所は4回、異なった日に攻撃されました。我われはその間、ずっとイスラエル側に抗議してきましたが、イスラエル側は『間違いだった』『調査中』という返答を繰り返すだけでした。おそらく何度か攻撃を繰り返し国際社会がどう反応するのかを見極めようとしていたのでしょう。しかし大きな非難が起きなかったので、破壊したのだと思います。
この発電所破壊の真の目的は、ガザ住民を困難な状況に押し留め、住民を水や電気を求めるのに精一杯にし、非人間的な状況に押し留めておくことだと私は思います」
(写真:水汲みにやってきた少年)
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