2014年12月25日(木)
12月23日、朝日新聞は「本社慰安婦報道 第三者委員会報告書」について紙面10ページを割いて伝えた(朝日新聞社・慰安婦報道検証 第三者委員会)。要点や気になったところに赤線を引いて読んでいたら、3時間ほどもかかる大仕事になってしまった。
指摘されている問題点は複数あるが、まず1990年代初期に「従軍慰安婦」と「女子挺身隊」とを混同する過ちがあったこと、朝鮮人女性を強制連行したという吉田清治氏の虚偽の証言をきちんと検証せずに何度も記事として掲載したこと、虚偽であることを認識した後も、その誤報を長年きちんと取り消しも謝罪もせず、「『狭義の強制性』を大々的に報じたことをみとめず、『広義の強制性』を強調」することによって「議論のすりかえ」をしたことなどを厳しく批判した。さらに92年1月11日の朝日の1面トップで「慰安所 軍関与示す資料」の記事が「首相訪韓の時期を意識し、慰安婦問題が政治課題となるように企図したことは明らかである」「韓国世論を真相究明、謝罪、賠償という方向に一挙に向かわせる効果をもった」と否定的に指摘している。
全体を読み終えて、この「報告書」が、「慰安婦」問題の根源、本質からずれている、いや意図的にずらしているというような違和感を覚えてしまった。それは以前読んだある記事を思い出したからだ。
その記事のなかには元外交官の東郷和彦氏が、2007年にアメリカで開催された歴史問題シンポジウムでの、あるアメリカ人の以下のような意見を紹介していた。
「日本人の中で、『強制連行』があったか、なかったについて繰り広げられている議論は、この問題の本質にとって、まったく無意味である。世界の大勢は、だれも関心をもっていない。……慰安婦の話を聞いた時彼らが考えるのは、『自分の娘が慰安婦にされていたらどう考えるか』という一点のみである。そしてゾッとする。これがこの問題の本質である」(『世界』(2013年8月号/「日本軍『慰安婦』問題再考」・吉見義明)
その文章を改めて私が思い出したのは、委員の1人で7人の中で唯一の女性委員である林香里氏の「個別意見」を読んだ時だ。
林氏は慰安婦問題と「女性の人権」の論点が、取り上げられなった背景として2つを上げている。「1つは、朝日新聞の社内ヒアリングをしても『女性の人権』は争点となっていなかったために浮上してこなかったという報道・編成局内の問題」「もう1つには、第三者委員会のメンバーのうち、女性は私一人であり、さらに女性の人権の専門家も不在だったという委員会の構造的な問題」があると指摘している。さらに朝日新聞が8月5日付けの記事「慰安婦問題の本質 直視を」の中で、「女性としての尊厳を踏みにじられたことが問題の本質なのです」と結論付けている点に関して、林氏は、こう鋭く切り込んでいる。
「結局、朝日新聞も、『国家の責任』『国家のプライド』という枠組みから離れることができないまま、『女性の人権』という言葉を急ごしらえで持ち出して、かねてから主張してきた『広義の強制性』という社論を正当化してきた印象がある。『本質』と言いながら、慰安婦問題の本質と『女性の人権』とがどのような関係にあるのか。日本の帝国主義が、女性や植民地の権利を周縁化し、略奪することで成立していた体制だったという基本的事実を、読者に十分な情報源として提供し、議論の場を与えてきたとは言い難い」
「広義の強制性」という視点は「慰安婦」問題の本質に関わる重要な要素だと私は考えている。それを「朝日新聞の社論」と矮小化しているように誤解を生む表現には納得いかない。しかしこの「慰安婦」問題の議論に「女性の人権」、もっと言えば「人間の尊厳」の視点が欠落しているという林氏の指摘は、他の委員たちが指摘できなかった最も重要な要点だと私は思う。だいたい「女性の性」に関わる問題の検討に、7人の委員のうち女性が1人しかいないという選択自体、選んだ朝日新聞側の見識を疑ってしまう。
この林氏の「個別意見」と比べ、岡本行夫氏の「個別意見」はあまりにも浅薄だ。「記事に『角度』をつけ過ぎるな」と題されたその文章の中で「出来事には朝日新聞の方向性に沿うように『角度』がつけられて報道される。慰安婦問題だけではない。原発、防衛、日米安保、集団的自衛権、秘密保護法、増税、等々」「『物事の価値と意味は自分が決める』という思いが強すぎないか」「新聞社は運動体ではない」
ものを書く人なら、あるものごとについて記述する時、その件に関して無限にある情報の中から記述に必要な素材を“選択”するはずだ。その時点ですでに書き手の視点、『角度』、あるいは主張が働く。「物事の価値と意味」が決められなければ“選択”はできないし、記事も書けない。書き手の主張、視点のない記事なんてないし、そんな記述なら、事実の列記だけで十分で記事にする必要はない。
岡本氏が理想とするのは、あのNHKの「ニュースウォッチ9」のような報道なのだろうか。確かにあの大越キャスターは、「報道ステーション」の古館キャスターのような「角度」はつけない。しかし大越氏は伝えるニュースの選択の段階で「安倍政権の政策に沿った報道をする」「安倍政権に不利になるようなニュースは極力排除する」という明確な「角度」をつけている。そんなNHKニュースには岡本氏は「角度をつけ過ぎるな」とは注文をつけないだろう。
また朝日の報道にそこまで言うのなら、氏はどうして産経新聞や読売新聞の「原発、防衛、日米安保、集団的自衛権、秘密保護法、増税、等々」の報道に「自社の方向性に沿うように『角度』がつけられて報道されている」「新聞社は運動体ではない」ときちんと指摘しないのか。まあ、「政権の“代弁者”」という「角度」をもったこの人にこういう批判をしても馬耳東風だろうが。
【参考サイト】 朝日新聞社・慰安婦報道検証 第三者委員会
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