Webコラム

日々の雑感 322:
2014年の終わりに思うこと

2014年12月30日(火)


(写真:飯舘村 2014年秋)

 今年もあと2日。この数年、とりわけ60歳を超えてから、「あと何年・・・」と人生を逆算して数えるようになった。つまり自分がジャーナリストとして現場を駆け回る気力と体力が維持できる期間、いやもっと言えば生きていられる期間を、「あと何年・・・」と見積もる癖がついてしまったのだ。だから誕生日も新年も、「残された時間がまた1年短くなるぞ」と言われているようで、少しもおめでたい気分になれない。「一日一日、一時間一時間を無駄にできない」と焦ってばかりいる。そのくせ、毎日、たいして実のある仕事もできず、充実した時の費やし方もできないまま、時間だけが過ぎていく。そして後ろからいつも「ほら、また1日人生が短くなったぞ」と誰かにささやかれているような強迫観念に襲われる。「心にゆとりを失ったね」と妻にもよく言われる。何をするにしても、「無駄かどうか」「仕事に直接役立つかどうか」という物差しを当ててしまう。だから、直接、自分の仕事に結びつかない映画やテレビ番組のドラマも見なくなったし、小説なども読まなくなった。散歩するにしても、「体力維持のために」「気分転換して新たな発想を得るため」と、大義名分が必要になる。もうほとんど病気である。
 これでは社会や世界に対して「視野狭窄」になってしまうと、新聞の読むべき記事が載ったページを破って保管するのだが、それに全部目を通す時間と心の余裕もない。そんな私を「破って溜めることが趣味なのよね」と妻がからかう。

 ジャーナリストとして、来年(2015年)にやり遂げたいことがいくつかある。まず、ほぼ完成した「日本の現代史」に関するドキュメンタリー映画とそれに関する著作を戦後70年の年に世に出すこと。1度完成させたドキュメンタリー映画「ガザに生きる」5部作に、昨夏ガザで取材した素材を追加して再編集し完成させDVD化すること。震災5年目の公開に間に合うように、フクシマの被災者たちの声を集めた証言ドキュメンタリー映画の継続取材と編集を2015年中に終えること。そして昨夏のガザ攻撃から1年後のガザを取材し、1本の映画にまとめること。さらに余裕があれば、近い将来きちんと取材してドキュメンタリー映画としてまとめたいと願っているパレスチナ・ヨルダン川西岸の現状の予備取材にかかること・・・・。欲張り過ぎて「計画倒れ」になることはわかっているが、このくらい目標を立てて自分を追い立てないと、こぐのを止めた自転車のように自分が倒れてしまう気がする。

 「自分の人生の中で何をやり遂げたいのか」「何をやり遂げれば、『自分は生きた』と実感できるのか」と最近、自問し続けている。「あの人に比べ、自分のやっている仕事、やってきた仕事はなんと小さいんだろう」と、同業の巨星たちを仰ぎ見ながら自己嫌悪に陥ってばかりだった。しかし、そんな虚しい「比較」はもう止めた。だって、持って生まれた“素質”“環境”が違うのだから。努力ではどうしても補えない“才能”“素質”、すでにこれまでに出来上がった“環境”を「自分にはない」と嘆きあがいたところで、それが手に入るわけでもない。それよりも、不十分であっても自分に与えられた“素質”“環境”をどれほど生かし切れているか振り返って、努力するしかない。「“自分なり”によくやった。よくやっている」と素直に自分に言えるまでやればいいのだと、今、自分に言い聞かせている。結局のところ、自分のやってきた仕事、これからやり遂げたいと願っている仕事は、自分が生きた“軌跡”を自分の人生の中に刻み込む営為なのかもしれない。だから私の仕事は、「他人を救うため」でも「社会のため」でもなく、自分自身のためなのだ。そう思うと、「虐げられた人びとのために」と力んでいた自分の肩の力が抜け、ずいぶん楽になった。

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