2014年2月25日
(写真:佐賀県・玄海原子力発電所/2011年8月 撮影)
(2015年2月22日 佐賀新聞掲載原稿)
首都圏で「佐賀」がメディアの大きな話題になることは稀だが、1月の知事選報道は例外だった。一地方の知事選がこれほど全国レベルで注目されたのは、「農協VS政権」の代理戦として捉えられたからだ。しかし佐賀の政治事情に詳しい友人は、この選挙結果は、候補者を頭ごなし押し付けてくる政権(自民党本部)への地元の反発の表出だったという。しかも中央の意に背いたとされた地元国会議員への“懲罰”が総選挙で明らかになったとき県民の怒りは爆発し、それが、中央の推した候補者潰しに結集されたというのである。
これは昨年11月の沖縄知事選の構図と酷似している。政府が強引に推し進めようとする米軍普天間飛行場の辺野古への移設。これを支持し中央に推された現職の知事に対して、「もう沖縄に新たな米軍基地はたくさんだ!」「県民の民意を無視した政府の強引なやり方は許せない」!という県民の怒りが爆発し、移設反対を掲げた翁長雄志・候補の圧勝へとつながった。
しかし政権の沖縄県民への報復はあまりにも露骨で凄まじかった。上京した新知事に安倍首相をはじめ政府幹部は面会を拒絶、選挙前は「沖縄振興予算」の増額つまり「アメ」をちらつかせて前知事の支持を訴えた政府は、「移設反対」の知事が当選すると、振興予算を大幅に減額し、「ムチ」を振るった。「東京新聞」はそれを「民意無視の兵糧攻め」と書いた。
安倍政権の中央集権的な強権政治と暴走ぶりは目に余る。その象徴的な例が、沖縄や佐賀などで見られた「民主主義」の根幹である「民意の尊重」の無視だ。とりわけ「豊か」でない地方を、カネや利権の「アメ」をチラつかせれば政府の意向に盲従すると見くびっている。沖縄人は、札束で頬をひっぱたくような安倍政権の横暴さに怒りを爆発させた。「私たちにはカネには代えられない沖縄人としての“誇り”と“尊厳”あるんだ」と。
しかし当選後の山口新知事のインタビューを読むと、沖縄と佐賀の“中央への反旗”を同一視するのは早計のようだ。候補者選びで中央の意向に抗ったが、新知事が進めようとする政策は中央の意向と大差はないように見える。例えば玄海原発の再稼動問題。山口氏は政府と同じく「再稼動の方向」を容認する姿勢を示した。地元の政財界からの猛烈な圧力の中での「現実的な判断」なのだろう。しかし「絶対に起こらない」はずだった原発事故から4年が経った福島では、今なお13万人の避難民が故郷と生業を奪われ、家族をバラバラにされ、先の見えない絶望の中で呻き苦しんでいる。この大惨事から他県が何の教訓も学ばないとすれば、あのフクシマの惨劇はいったい何だったのか。
オスプレイ配備計画も「アメ」と「ムチ」で強引に受け入れを迫る政府に、山口氏は「佐賀のことは佐賀で決める」と突っぱねられるか。目先の「経済効果」や中央の「意向」に惑わされず、佐賀の将来にとって何が真に望ましいのかを見極める新知事の洞察力とビジョン、そして勇気がいま試されている。
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