Webコラム

日々の雑感 331:
福島で百姓として生きる ─ 中村和夫

2015年3月17日(火)


(写真:中村和夫さん)

 中村和夫さん(67歳)の自宅は、築100年を越える古民家である。高い天井の広々とした居間の正面には、大きな神棚と仏壇が鎮座する。ガスストーブの熱で暖める掘り炬燵で向き合い、私は横にカメラを据えて、原発事故以後、中村さんの農業に何が起こったかを訊いた。

中村さんは生産した米を、農協を通さず直接、消費者に届ける「産直」で全国の顧客に販売してきた。原発事故は、その産直を直撃した。

「地震から1週間後、長崎の顧客から『もう米はいりません』というFAXが入ったんです。私は『ちょっと待って。これは震災前の米です』と言ったけど、『わかっています』という返事でした。汚染された空気のところに米が保管してあれば、そこから(放射能が)取り込まれるんじゃないか判断したのではないか。有機栽培にこだわっている人たちだから、少しでも数値が出てしまうといやな人も、たぶんいたんだろうね。だからこれはたいへんなことが起きるなと思った」

「農産物の直売所は震災直後から休んでいたけど、3、4ヵ月後に再開した。でも今も震災前の売り上げには戻っていません。その農産物はこの地元の人が買っていたんです。地元で伸びていないということは、福島県の人もいやだから他県のやつを食べているんだろうね。それしか考えられない」

「東京へ行っても、『どこから来ました?』と聞かれて、『福島です』と答えると、手に取った農産物を置くんだ。それくらいひどいんです。『もうちょっと理解してほしいなあ』と思ったって、それが現実なんです」

「数字的にはこのくらいで安全だということで売ってきたんだけど、東京の集会で、『みなさん、このまま安全という言葉を使っていいかい?』って訊いたら、『いい』と言う人は誰もいなくて、『だめだ』という答えも返ってこないにしても、俺らからすると、『いい』という言葉を使わない限りは『だめだ』って拒否しているんだなあって。がっかりして帰ってきたのは覚えています、今でも」

「小さい子供を抱えているお母さんほど、やっぱりそういう思いが強いです。『言っていることはわかるんですけど、やはり自分の子供の将来を考えると……』ということで、そこから先は言葉にならないもんね。だから俺も『逆の立場だったら、やっぱりそうなっぺなあ』って思うね。相手の立場になれば、こっちが全然放射能のない他県のものだったら、子供のことを思えば、やっぱり母親としては、そっちを選らばざるを得ないかなあということは十分わかる。じゃあ、原因作ったのは誰なんだと、そこにいく。酪農家も肉牛の飼育農家も、餌に藁を与えて肉が汚染した。すると、まるで農家に責任あるような新聞の書き方だったから、俺はあれに頭にきたね。その原因を作った人がいるのに、農家はわかんなくて、(餌を)与えたのに、それがあたかも農家が責任あるような報道だった。あれに頭にきた」

(Q・そういうお母さんたちの反応を見たときは、正直、どういう気持ちでしたか?)

「俺は、自分が困っていても、これ以上、若い母ちゃんたちに言うべきでねえなって思った。涙流したお母さんたちもいたからね。この人たちも俺らが言うから深刻に考えちゃって、どうしたらいいか、その場で判断がつかなくて……。俺たちが申し訳ないことを言ったような思いしたな、やっぱり。今年の交流会に行ったときも、若いお母さんが涙ぐんで答えていたから、『いや、申し訳ないことをしたなあ』って、後からお母さんたちに謝って帰ってきた。自分は辛い思いをしているけど、自分たちが相手に訊けば訊くほど、相手は辛い思いするんだなと。控えたほうがいいのかなとだから若いお母さんのところでは言われないなあって思って帰ってきた」

(Q・でも自分が生きがいとしてきた農業が侮辱されたような気になりませんか?自分の米を買ってもらえないということへの痛みというかもどかしさというか。中村さんはどういう気持ちなんだろう?)

「米を拒絶する人は、侮辱ということではないけど、やっぱり、もう一歩進んで理解してもらえないかなあいう気持ちだけだね。それで生活している人もいるからね、そういう気持ちだよね。
 だからこういう気持ち、この辛さを絶対、もう福島県だけで終わってほしいの。だから、再稼動なんてことは、絶対あってはならないし、ほんとに福島の復興を願っているんだったら、福島県人に復興させてくれると言っているんだったら、日本の国から原発をなくすことがほんとの福島県人に対する復興だと思うの。だからなんぼ経済的にどうのと言うよりは、やっぱり日本の国から原発をなくすことが、福島県人に対する一番の復興ではないかなあって思っている。再稼動をやるなんて、何考えているんだと思う」

 中村さんと会う数ヵ月前、同じ郡山市で、子供たちを放射能から守るために、子供に食べさせる野菜や米を九州などから取り寄せている母親たちに会って話を聞いた。また福島県の学校給食で福島産の農産物が使われることに抗議する母親たちの訴えも聞いた。そんな母親たちの言葉を、福島の農家、中村さんにぶつけてみた。すると中村さんはこう答えた。

「俺たちもいろいろなところで話をしたり、農産物を買って農家を支えてくれと話をしてきたけど、やっぱり安全の数字や安全の感覚はみんな人に押し付けられるものではなくて、それぞれが持ち合わせのものです。だから、ただ『国の基準以下だからいいよ』って言う人もいるし、『少しでもあればだめ』という人もいる。ずっと見てきて、安全のラインは、みんな持ち合わせの数字が別だから、それをきちんと統一することは無理です。その場、その場のお母さんの安全の度合いの感覚というのはみんな違って、それを無理に統一するなんてのことはまず、これから先もできないだろう。それはしようがないから、そういうダメという人に無理に押し付けるわけでもない。正確な数字をお伝えして、判断してもらう以外には、俺らとしては手の打ちようがないんだ。『よかったら、お願いします』と」

(Q・でも悔しいでしょう?)

「それは悔しいです。だけど、その思いをぶつけるところがないんです。今まで原発訴訟団とか、東電の前で抗議行動をやったりした。でもみんなで言ったって、ただ行動を起こすだけで上は何も変わっていない。それが悔しいです。我われ普通のなんでもない人の思いが、どうしたらちゃんと政府に届くのか」

(Q・怒りは誰に向かう?)

「一番先は東京電力。だから数えられないほど抗議行動に行った」

(Q・東電の次は?)

「やっぱり東電の次は国です。舵取りが誤ったということです。戦後の大半は自民党政府でやってきたから、政府イコール自民党です」

(Q・どうやって、その怒りをコントロールしていますか?)

「やっぱり、世の中に普通にいる人にも、原発は人間社会とは共生できないんだなあという思いになってもらう努力を続けることも、ストレス解消かなあ。俺らの辛い気持ちをわかってもらいながら、原発そのものがないほうがいいんだということを世の中の人が知ってもらったら、いくらか怒りが収まるかなあと」

(Q・具体的には?)

「そういう人たちの集まりに行って、こういうことで俺らは困っているけど、俺らの話ではなくて、福島のこういう苦しい立場の人を再び作らないように、(事故が)起きないうちに気がついて、同じ考えになってほしいという思いばっかり。でも県外に出ると、ほんとに何事もなかったかのような社会の動きをしていることがすごく恐ろしいと感じています」

(Q・それはどういう時に感じる?)

「地方新聞では、大半がこの原発事故関連のニュースだけど、ほかに行くと、中央紙でもほとんど出ていない、それで一つわかる。あと、行った先でいろいろ話をしていると、『ああ、まだそれが続いているの?』って、中にはほとんど無関心の人もいる。これでは同じ日本人ではなあって呆れます」

「『同じ日本人なら、考えくれねえか』って俺は思ってきた。オール日本で、原発のことみんなで真剣に考えて、やってもらいたいなあって思いがすごくある」

(Q・都会で「この人たちは自分たち福島のことを考えていないんだと感じますか?)

「そういうことが俺らからすると感じられる。『福島はまだ、そんなこと?』というふうな感じです。だから違う場所だと、こんなに考え方が違うのかなあって思う。同じ日本のことだけど、ものの考え方がこれほど共有できなくて、離れているのかなって残念に思う。たったこれだけの国土の日本でだよ」

(Q・自分たちは「国から棄てられた」という意識はありますか?)

「俺はそこまでは考えたくない。福島の人が国から棄てられたというふうには考えたくないし、日本の1国民として、国の行政から支援してもらっているわけだから。原発について相反する政策を国がとっていること1つだけを取り上げて、『棄てられた』って思いたくない、俺は。まだ、『言えばなんとかしてくれんじゃないかなあ』という脈あると思っている。俺らの思いが脈として伝わって、やがて気がついて、福島県人に寄り添った考えになってくれるんじゃないかなあと。『棄てられた』って思えば、あっちに発信することがなくなる。だからそういうことを思いたくない」

中村さんが言葉を荒げたのは、東京オリッピック誘致のために安倍首相が福島の状況を「コントロールされている」と表現したことに話が及んだ時だ。

「まったく、でたらめの表現だべ。今でも手も足も出ない状況だということは誰が見たってわかる。福島県の人でなくてもわかる。あれだけ嘘ついてオリンピックを誘致してどうなるのって。誘致したい一心で世界中に嘘を振り撒いて。自分たちの首相がこんなことを言っているのに悲しむというより、あきれ果てた。怒っているのは俺だけではないと思うよ。言い方はあるだろう? 『福島の事故は進行形だけど、オリンピックに集まった人には放射能の影響がないようにして、開催する』というふうに。まるっきり出まかせを言ったとしか思えない。政治家や役人たちは俺らよりはるかに見識の高い人ばっかりなのに、あれだけ嘘をついて恥ずかしくはないのかなあと思う」

(Q・原発事故だけでなく、TPP問題などで日本とりわけ福島の農業はますます厳しい状況に追い込まれています。そんな中で、日本、福島の農業の必要性をどう訴えていきますか?)

「日本は金の力にものを言わせて、世界から食糧を集めているけど、これが永久に続くかというとはありえるわけがない。今のうちにそれに気がついてもらうために、俺たちはできるだけ都会の消費者との交流をやりながら、出会いの場を意識的に作っています。農村民宿もその場です。『結局、日本の農家を支え守っていくには、都会の人の考え方が鍵になっているよ、それを意識してください』ということをお願いしています。
 結局、農地が荒れれば、環境も悪くなるし、環境が悪くなったら、どこかに行くというわけにはいかない。食べ物は輸入できるけど、自分たちの住んでいる環境が悪いからといって、そこを棄てて移動はできない。そういうことを含めた考え方、食べ物に対する価値判断は、『安いか高いか』の物差しではなく、もう一歩踏み込んで、農家が農地を守ることによって、環境も生き物も守っているんです。そこまで考えてもらえば、単にモノのやり取りではなくて、命のやり取り、自然の恵みに対する対価だと思ってもらえるはずです。品物だったら、安いか高いかだけど、環境とか生き物も農家の人に守っている、その対価なんだということを含めて考えてもらえば、決して高くないと思う」

(Q・百姓になってよかったなあと思うのはどういう時ですか?)

「やっぱり産直のお客さんから喜びの声とか、賞賛の声とか、うまかったよ、普通の野菜とは違うという声を聞くときが一番です。農家冥利というか。辛いけど、産直やっていてよかったなあと思う。そんな時、『もっとがんばらなければなんね』と、エネルギーにもなります」

 私は最後に、「福島の百姓として誇りは?」と訊いた。すると中村さんはちょっと考えて、こう言った。
「こういう状態になったからこそ、『福島の農業、ここにあり』ということを伝えたいなあ」


(写真:郡山市郊外の農村・3月11日 撮影)

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