2015年8月5日(水)
(写真:土井敏邦・撮影/国会議事堂前/2015年7月15日)
元「慰安婦」の記録映画『“記憶”と生きる』の劇場公開の最中だが、先月から連日のように続き大きなうねりとなった国会前のデモや日比谷公園野外音楽堂での集会に時々出かけ、カメラを回している。1人の政治家の野望によって日本が危険な方向へ急転回しようとしている現状に、1人の国民としての抑えがたい怒りと危機感がふつふつと沸きあがってくる。しかも私はジャーナリストである。その時代の節目にその現場に立ち会い、目撃し、記録しなければという思いもある。
2012年の原発再稼動反対デモが盛り上がった時も、同じような思いで私は現場でカメラを回した。しかしその映像はまだ公開できないでいる。どう形にしたらいいかわからないまま、放置している間に時が過ぎてしまった。
あの時のうねりのような大衆デモを、歴史社会学者・小熊英二氏が記録映画にまとめた。『首相官邸前で』と題されたこの2時間近いこの映画に、何本か記録映画を制作してきた私も教えられることが多かった。まずその手法だ。原発事故当時の首相・菅直人氏や反原発デモの当事者たちなど男女それぞれ4人ずつ、8人のインタビューと、インターネット上から集めた映像によって構成させている。インタビュー構成は私たちもよくやる手法だが、宝の山とも言えるインターネット上の膨大な映像を利用するという手法を私は思いつかなかった。これなら大人数の撮影者が時間をかけて現場を駆けずり回る必要もなく、少人数でも短期間で制作できる。この手法の一番の壁は映像使用の承諾を得ることだが、「歴史記録を残すために」という著名な小熊氏からの依頼を受ければ、たいがいの人は断らないだろう。
私たちが例えばパレスチナの記録映画でこの手法を用いようとすれば、必ずこの映像使用の承諾の壁にぶつかる。世界各国に散る撮影者に、まったく聞いたこともない日本人ジャーナリストから使用許可を求められても、「金もうけに利用される」「政治的に悪用される」と不審がられ断られるか無視されるのだろう。もし放送局や通信社の映像なら、莫大な使用料金を要求される。
しかしこの手法は、国内の歴史的な事件を記録するとき、とても有効だと思う。例えば大震災の体系的な記録を後世に残そうとするときだ。私をはじめ多くのジャーナリストや映画作家が大震災、フクシマについて記録映画を制作している。それぞれは“木”だ。しかしその“木”を1本、1本丁寧に見せながら、その木の集合体である“森”をも描き出せている記録作品は多くない。それに近いドキュメンタリーがテレビ番組として作られてはきたが、それはテレビ局の所有物であり、私たちが再び自由に目にすることは難しい。
いつか、全体を見渡せて分析できる能力をもったジャーナリストなり歴史学者や社会学者がやるべき課題だろう。
映画『首相官邸の前で』予告編
小熊氏はこの映画を制作した動機を「これを記録し、後世に残すこと」だと書いている。その言葉に私はハッとさせられた。ジャーナリスト、“伝え手”の原点の一つはそこにあったはずだ。しかし私たちは、えてして目先のことに目を奪われてしまう。この作品は今見てもらえるだろうか、劇場で公開してもらえるだろうか、売れるだろうか……と。その可能性が薄いと、とたんに制作する意欲を失ってしまう。その時に見失いがちなのは、今しか記録できない歴史的な出来事を、すぐに結果を出せなくても、とにかく「この歴史を記録し、後世に残すこと」がジャーナリスト、“伝え手”の原点のはずだ。とりわけ、その時は断片であっても、時が経てばその断片を積み上げていけばいつか歴史的な意味あいを持ち、1つの作品として成立しえる時期が来るということだ。私の作品で言えば、パレスチナ・イスラエルで十数年の間に取材・撮影した膨大な映像をまとめた4部作『届かぬ声─パレスチナ・占領と生きる人びと』、20年前に撮影した映像から制作し現在、渋谷アップリンクで上映中の『“記憶”と生きる』、さらに現在製作中の1990年代から20数年撮りためてきたパレスチナ・ガザ地区の映像をまとめた5部作『ガザに生きる』(6時間)などはその一例である。
小熊氏の記録映画『首相官邸前で』は歴史的な反原発運動の盛り上がりを記録し世界に伝えるために有効な作品になっている。ただ観終わった後に残る疑問は、20万人の群集が原発の再稼動を止めるために国会前を埋め尽くした、あの運動の盛り上がりが、今まさに川内原発の再稼動が目の前に迫った現在、なぜ同じ運動が起こらないのか、あの「再稼動反対」運動のうねりはどこへ行ってしまったのかということだ。小熊氏の映画であの運動の盛り上がりの背景、参加者の動機のいくらかは理解できたが、わからないのはその疑問だ。
その答えは、あの運動のうねりに加わった人たちから、デモに参加せずにおられなかった思いをきちんと聞きくことから一端をつかむことができるのかも知れない。
小熊氏は映画の後のトークで、それまでデモを無視してきたマスメディアの記者たちが、20万人デモでやっと目を向け、現場にやってきて、「どうしてここへ来られたのですか」という愚問を投げかけて回ったと嘲笑するように語った。しかし私はその問いはとても大事だと思う。デモのリーダーたちにその答えを委ねてしまい、わかったつもりになるのではなく、愚直であっても、さまざまな層の一般参加者たちに「何があなたを突き動かしているのですか」と聞きまわることは、その後、デモのうねりが消え、まさに再稼動が始まろうとするこの時期に、あの「再稼動反対デモ」のうねりが起こらない原因を探ることができるような気がするからだ。
今、東京の国会議事堂前や日比谷、渋谷だけではなく、全国各地で「安保法制反対!」「憲法を守れ!」のデモや集会が大きなうねりとなっている。しかし安倍政権が、与党の圧倒的多数の数の力でこの法案を強引に成立させてしまったら、1年も経たない間に、もうこのうねりは消滅してしまうだろう。しかし居ても立ってもいられず猛暑の中、遠くからデモに参加した人たちの焦りと怒り、熱い思いは心の中に生き続けるだろうし、それが将来、また大きな運動の原動力になっていくにちがいない。
私は今、1人のジャーナリストとして、この歴史的な「安保法制反対」デモを、少しずつだがカメラで記録し続けている。それを将来どんな形にできるのか全くわからない。でも今しか撮れない歴史的な事象を、とにかく記録しておこうと思っている。たとえ「愚問」と嘲笑されようと、一般の参加者たち1人ひとりにカメラを向け、私は1つの問いを愚直に投げかけ続けている。「なぜ、あなたはここに来られたのですか」「何があなたを突き動かしているのですか」と。
【関連サイト】 映画『首相官邸の前で』
【出版のお知らせ】
「“記憶”と生きる」 元「慰安婦」姜徳景の生涯
(大月書店)
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