2015年8月16日(日)
7月4日からほぼ1ヵ月半、渋谷アップリンクでの上映を一昨日終えた。1〜2日の休みを除いてほぼ毎日、劇場へ通い、上映後のトークを続けた(うち16日は、さまざまな分野の方々を招いてのゲストトーク)。
その中で、私はこれまで活字化しなかった、この映画制作の重要な要素を繰り返し語ってきた。それを今、書き残しておこうと思う。
この映画のキーワードは2つある。1つは、“記憶”。
私たちが自分の過去の記憶をたどろうとするとき、時系列や場所が、実際と食い違っていることは少なくないはずだ。それはその記憶が本人に与えたインパクトの強弱にも左右されるだろう。例えば、20年前にNHKのドキュメンタリー番組で、映画の登場人物の1人、李容女さんが「ビルマで5年間、『慰安婦』生活をさせられた」と語ったとき、「慰安婦」問題を否定するある視聴者から「ビルマが5年間も日本に支配されていないから、嘘だ。彼女の証言は作り事だ」と抗議があった。たしかに5年間という年月は李容女さんの思い違いかもしれない。しかし彼女にとって、「5年間」と感じるほど長く辛い年月だったのだと思う。それが彼女に刻まれた“記憶”となったのだ。
思い起こすと生きていけないほどに過酷な体験を持つ人──例えば幼い頃にレイプ体験を持つ女性など──がその辛い“記憶”から逃れ生き続けるために、作話、物語を作ることもあるかも知れない。私はそれも“記憶”だと思う。それを「事実と違う」と、いったい誰が糾弾できるだろうか。
「慰安婦」問題が語られるとき、“性の道具”として何人の日本兵たちの相手をさせられた慰安所での過酷な体験だけが強調される。しかし私たちが想像できないでいるのが、その“記憶”を背負って戦後数十年を生き抜かねばならなかった“残酷な半生”だ。そのトラウマのために、結婚を思いとどまった元「慰安婦」たちはたくさんいた。またその“記憶”から逃れるために、酒におぼれ身も心もボロボロになった女性も少なくなかったはずだ。その過去を周囲に知られまいと、その“記憶”をずっと心の奥底にしまい込み、他人に心を閉ざしたまま孤独な生を終えた女性もいたに違いない。金順徳さんのように、その過去を最愛の息子に知られてしまった羞恥と苦しみを抱え込んでしまった人もいる。そのような「“記憶”と生きる」ことの過酷さと痛みを、私たち加害国の国民は、想像し、記憶にとどめ、後世に伝え続けなければならないと私は思う。
もう1つのキーワードは“尊厳”である。
私たちは想像できるだろうか。何の愛情も抱かない男に、ただ性欲を発散する“道具”(兵士たちの間で “公衆便所”とも呼ばれていたといわれる)として身体を差し出すことを強制された女性たちが、どれほどの屈辱を味わってきたかを。それは、人間としての“尊厳”を奪われることだったのである。映画の中で、金順徳さんはそれを“自尊心”と表現した。彼女たちの戦後は、「慰安所」で奪われた“自尊心”、“尊厳”を取り戻すための闘いの日々だったに違いない。
映画のラストシーンで、瀕死の姜徳景さんが、国家としてきちんと謝罪し償おうとしない日本政府を糾弾し、ハルモニたちは闘いを止めてはいけないと荒い息の中で訴える。これが姜徳景さんの日本への遺言となった。私はその姜徳景さんをカメラで撮影しながら、「闘いを止めてはいけない」と訴えるその姿に、奪われてきた人間として“尊厳”を取り戻すための姜徳景さんの最後の闘いを見る思いがした。
日本の中に「『慰労金』または『補償金』さえ支払えば、『慰安婦』問題は解決する」と考える人は少なくない。しかし、私たち日本人が奪った“尊厳”は金だけでは償えない。「では、どう償えばいいのか?」と問いが返ってくるだろう。それは、私たち加害国の国民自身が考えなければならないことだ。そのためには自分自身たちが“尊厳”を奪われたときに、どうすればそれが回復されるのかを“想像”してみることから始まるような気がする。
私たち日本人に今必要なのは、同じ日本人が受けた被害の“痛み”に対する想像力と共感力を、私たちが与えた加害の相手に対しても働かせる努力だと私は思う。
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【出版のお知らせ】
「“記憶”と生きる」 元「慰安婦」姜徳景の生涯
(大月書店)
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