Webコラム

日々の雑感 341:
映画『ルンタ』が問いかける“生き方”

2015年8月17日(月)

 どういうドキュメンタリー作品(映画、テレビ番組、本など)に自分は胸を揺さぶられるのか──私はこれまで感動したいくつかの作品を振り返り、考える。だが、ぼんやりと見えてくるその答えの輪郭がはっきりせず、それを表現する適切な言葉がなかなかみつからなかった。しかし『ルンタ(チベット語で「風の馬」)』という作品を観て、それが少し見えてきた感じがする。
 それは、“鏡”のように、その作品の登場人物に、私自身の生き方、価値観を映し出され、「それでいいのか」と問いかけられるような作品なのだということである。

 映画の冒頭で「チベットを描くのに、なぜ日本人が主人公なんだ?」という疑問を抱いた。この映画の“案内人”、中原一博氏のことだ。しかし、映画が進むに従って、彼が道案内する亡命チベット人の状況と共に、中原氏自身の生き方に引き付けられるようになる。
 中原氏は1952年生まれ。私とほぼ同年齢だ。早稲田大学の第一文学部仏文学科と理工学部建築学科を卒業。学生時代に旅したインド北部でチベット亡命政府と出会う。チベット仏教建築に魅せられ、卒業論文のテーマに選んだのが“チベット”にのめりこむきっかけとなった。来日したダライ・ラマ法王に「ダラムサラの亡命政府で建設の仕事を手伝うつもりはないか」と誘われて、ダラムサラへの移住を決意する。建築家として安定した生活を捨て、妻と2人の子供の家族を伴っての移住である。現地で亡命政府の庁舎や僧院、学校などの設計を手がける一方、チベット語を習得し、僧院に6年通い仏教を学ぶ。
 一方、チベットからインドに逃れた元政治犯たちが拷問のPTSDに苦しむ惨状を目の当たりにして、中原氏はNGO「ルンタ・プロジェクト」を立ち上げて元政治犯たちの支援を開始する。自ら資金を集め設計したルンタハウスで彼らの学習・就労支援を行った。
 さらに2008年、チベット全土に中国の圧政に対する抗議活動が広がると、中原氏はサイトを立ち上げ、チベット人の非暴力の闘いを世界に発信していく。とりわけ2009年にチベット全土に焼身抗議が始まると、その詳細なリポートを発信し続けた。映画の中で中原氏は、焼身抗議者の一人ひとりの経歴や焼身現場の様子などを語りながら、言葉を詰まらせ涙ぐむ。彼を突き動かしている熱い“思い”を象徴するシーンだ。
 自分と同世代の中原氏のそんな真っ直ぐな生き方に、私は自分自身のあり方を問われた。「“パレスチナ”と出会ったお前は、その後、どう関わって生きているのだ?」「お前は何を大切にして生きているのだ?」と。

 私自身を映し出すもう一つの“鏡”は、抗議のために焼身したチベット人たちの言葉だった。中国政府による政治的な弾圧、自由と独立を求めるチベット人の投獄と拷問、経済的な搾取への抗議と抵抗のために、抑圧者に暴力で立ち向かい傷つけるのではなく、“焼身”という非暴力で自己犠牲の手段で訴える若者たち。両親など家族への深い愛を抱きながら、将来の夢もあったであろう若者たちが、祖国の独立と自由のために自らの身体に火を放ち、筆舌しがたい苦痛の中で命を絶つのである。その壮絶な行為と、遺書に残された、同胞たちの自由と幸せを願う “慈悲と利他の心”に満ちた言葉に、私は圧倒される。そして問われるのだ、「人間の尊厳とは何か」「お前にとって“尊厳ある生き方”とは何か」「お前は自身のその“尊厳”を死守するような、深い生き方をしているのか」と。

【関連サイト】
『ルンタ』公式サイト

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