Webコラム

日々の雑感 343:
「YIDFF 山形国際ドキュメンタリー映画祭2015」を観て(1)

2015年10月10日(土)

銀の水 ─ シリア・セルフポートレート

Silvered Water, Syria Self-portrait
フランス、シリア/2014/92分
監督:オサーマ・モハンメド、ウィアーム・シマヴ・ベデルカーン

山形国際ドキュメンタリー映画祭2015インターナショナル・コンペティション部門上映作品

 打ちのめされた。観終わった後、もう誰とも口をききたくなかった。ただ茫然自失して夜道をホテルまでとぼとぼと歩いた。山形ドキュメンタリー映画祭の参加者たちが集う酒場で知人たちと会おうと思っていたが、とてもあのにぎやかな場所で談笑する気になどなれなかった。

 映画の中で執拗に映し出されるYouTube映像の拷問現場、銃撃で顔や肢体の一部が吹き飛ばされた遺体………。これほど残忍な映像を私は観たことがない。目を背けたくなるシーンを次々と突きつけられるが、私は「これがシリアの現実なんだ。直視しなければ」と自分に言い聞かせ直視した。為政者とその軍隊はどうして自国民にこれほど残虐なことができるのか。なんのための国家なのか。

 この映画を構成しているのは1000人ほどの無名のシリア人たちが撮影したYouTube映像、そしてこの映画の監督でパリ在住のオサーマ・モハンメドと連絡を取り合い、反政府運動の発祥の地で今は政府軍の猛攻で廃墟の街と化したホムス市に残り、文字通り命がけで撮影を続けるクルド系シリア人の映像作家ウィアーム・シマヴ・ベテルカーンが現地から送る映像である。差し迫ってくる政府軍の兵士に怯えながら、それでも「シマヴ(銀の水)」はカメラを回し続ける。その映像に、ネット通信で送られてくるシマヴの恐怖に震えながら自らの心情を吐露する声が重ねられる。彼女は言う。「私は自由の中での死を選ぶ」と。
 シマヴは廃墟の街で残った子供たちのために「学校」を開いた。砲爆撃から残った建物の小さな部屋にひしめき合う笑顔の子供たち。しかし次の送られてくる映像は、その中の子供2人の遺体である。

 もし自分がシリア人で、カメラを持つジャーナリストだったら、このシリアの内戦状態の中で私はどう行動しただろう。「この惨事を記録せねば」という使命感を燃やし国内に残って撮影を続けただろうか。それとも自分と家族の身を守るために祖国を離れヨーロッパなどへ亡命しているだろうか。臆病で自己中心的な私は間違いなく国外へ逃れたはずだ。監督オサーマ・モハンメドがそうしたように。しかしオサーマは次々と送られてくるYouTube映像で祖国に残された同胞たちの拷問や銃撃死の実態を突きつけられ、「そこから逃げた」後ろめたさと自責の念に苦しみ続ける。そんな中、シマヴから「もしあなたがここにいたらどうする? どこから始める?」と問いかけるメッセージが届く。そして2人のこの映画制作が始まる。
 オサーマは「監督のことば」の中にこう書いている。

シマヴからのメッセージを受け取り、さらにいくつかの映像が送られてきたとき、私はこの映画を実現しなければいけないと感じ、彼女から受け取った無数の無名のイメージ群から誰か=作家が生まれてきていると感じた。孤独な時期を抜け出した私は、シマヴに伝えた──「君は私を救ってくれた」。

 私がこれほどの衝撃を受けたのは、その残虐な映像そのもののためではなかった。同じ“記録者”“伝え手”である私がこの映画に「何を、何のために“記録し、伝える”のか」「お前自身にとって“記録し、伝える”とはどういう意味なのか」という問いを突きつけられたからだ。それはまた「記録者、伝え手として、お前はどう生きるのか」という根源的な問いかけでもあった。今、その答えは見つからない。ただ私は、“現場”を這いずり回り必死にカメラを回しながら、その問いの答えを探し、もがこうと思う。それが私にとって“生きる”ことなのかもしれない。

作品紹介:銀の水 ─ シリア・セルフポートレート

真珠のボタン

The Pearl Button
フランス、チリ、スペイン/2015/82分
監督:パトリシオ・グスマン

山形国際ドキュメンタリー映画祭2015インターナショナル・コンペティション部門上映作品

 この映画の冒頭、チリの眩(まばゆ)いばかりに美しい風土と海の絶妙な映像が、心に染み入るような音楽と共に映し出される。当初、私は「これは自然を描くドキュメンタリー映画なのか」と訝(いぶか)った。しかしやがてその海で生きる先住民のかつての生活と文化が語られていく。そしてその宇宙とつながる豊かな文化を何千年も保って生きてきた先住民たちがヨーロッパからの侵略者によって文化を破壊され、虐殺されていった歴史事実が記録写真と共に語られる。
 その物語の中で、「真珠のボタン」と交換に、1人の先住民の青年がイギリスに連れていかれた実話が語られる。その青年はイギリスで教育を受けた後、故郷に戻される。イギリス人はこの青年を使って先住民を「文明化」する狙いだった。故郷の地を踏んだ直後、その青年は洋服を脱ぎ捨て、皆と同じ全裸になった。しかしこの青年はもう二度とかつての自分を取り戻すことはできなかった。

 さらにこの映画のテーマは、この先住民を保護したアジェンデ政権をクーデターで倒したピノチェト独裁政権時代の虐殺事件へと移っていく。独裁政権下の軍はアジェンデ政権の幹部たちや政権支持者たちを次々と捕らえて収容し、殺害していく。その遺体処理の手口の1つが数十キロの重さの鉄のレールに遺体を針金で縛りつけ、ビニールと麻の袋に包み、ヘリコプターで海に投棄する方法だった。40年後にその現場の海底から、付着した貝に覆われ腐食した鉄のレールが回収された。遺体はすでに溶けて消滅している。そのレールの1つに犠牲者の衣服のボタンが付着していた。この2つの「ボタン」が、かつての先住民族の虐殺と独裁政権による虐殺を結びつける“接着剤”となっているのだ。
 パトリシオ・グスマン監督自身が、独裁政権時代に、首都サンティアゴの国立競技場の独房に監禁され、処刑される恐怖に日々怯えた体験を持つ。それがこの映画の制作にグスマン監督を駆り立てた原動力になっているはずだ。

 生命の起源である「水」。その源である「宇宙」。それらと共存してきた先住民たち。その環境と文化と生活を破壊し略奪し虐殺してきた「文明人」たち。そして祖国の虐殺。観る者を圧倒する映像美の背後に、私はグスマン監督の「失われていくもの」への深い悲しみと「奪うもの」への激しい怒りを観た。
 うっとりとするほど美しく、言葉を失うほど深いこの映画のエンディング・ロールが終わり会場に明かりがついても、私はしばらく立ち上がれなかった。

作品紹介:『真珠のボタン』


付記(『いつもそこにあるもの』)

 これら2つの映画と出会えただけでも、私は高い費用を費やして山形へ来た甲斐があった。

 これだけでは私のいつもの辛口「山形ドキュメンタリー映画祭」評にはならないから、苦言を1つ。
 イタリア・ナポリで暮らす、4世代からなる女性ばかりの一家の日常生活を描いた『いつもそこにあるもの』(『Always and Again』フランス/監督:クロエ・アンゲノー、ガスパル・スリタ)は、これまで山形で観た映画の中でも最悪の映画の1つだった。時間と労力の無駄だから内容については書かない。ただ知人のドキュメンタリー映画監督が会場を出るとき、「ひどい! 素人を使った安っぽい劇映画じゃないか!」と吐き棄てるように言った。百数十カ国から集まった一千数百の応募作品の中には、これ以上の映画はいくらであったはずだ。応募し落選した私たちドキュメンタリストたちを失望させ激怒されるために、審査員たちは「厳選」した15作品の中にわざわざ入れたのかと疑ってしまうほどだ。
 私にとって今回で4回目の山形映画祭だが、「期待」に違わず、毎回、私が失望する映画を必ず何本か散りばめてある。山形ドキュメンタリー映画祭は、実に「懐の深い」映画祭である。

「YIDFF 山形国際ドキュメンタリー映画祭2015」を観て(2)

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