Webコラム

ルポ「絶望の街─ガザ攻撃から15ヵ月後─」(1)

 あのイスラエル軍によるガザ攻撃は何をもたらしたのか。住民はどういう状況のなかで、何を思い生きているのか。
 昨年11月、私は15ヵ月ぶりにガザを再訪した。その現地の実態を、連載ルポで報告する。

(2016年2月18日(木)公開)

<第一部・失望>


写真: 復興が進むガザ市シュジャイーヤ地区(2015年11月・土井撮影)

始まった復興

 2014年夏、51日間にも及ぶガザ攻撃で、イスラエルとの国境に東端が隣接するガザ市シュジャイーヤ地区は最も甚大な被害を受けた地区の1つである。その一角は国境から侵攻してきたイスラエル軍の戦車砲撃の激しい攻撃にさらされ、あたり一面が瓦礫の山となった。木造の多い日本と違い、ガザの家屋はコンクリートとブロックで造られる。その頑丈な家が原型を留めず完全に瓦礫と化していたのだ。イスラエル軍の攻撃の凄まじさを改めて実感させられる現場である。ガザ地区中部、イスラエルとの境界に近いフザー村でも状況だった。村の住民は「大地震や津波の跡のようだ」と表現した。
 その猛攻撃で、ガザのパレスチナ人2150人が殺害され、負傷者は1万を超えた。破壊された家は約2万件で、数十万人の住民が避難民となった。
 そのガザ攻撃の最中の30日間、私はその現場で取材した。

 15ヵ月後、そのガザ地区シュジャイーヤ地区の現場に戻ったとき、私は自分の眼を疑った。復興に10年以上はかかると思われた現場にはもう瓦礫の山はなく、新しい家々が再建されつつあったのだ。
 「カタールからの支援で、3ヵ月前の8月から家を建て始めたんです」と、新築中の住民が言った。「ガザのハマス政府か、ラマラ(ヨルダン川西岸)のPA(自治政府)が私たちのために支援してくれたかって? まったくありません。それどころかガザの政府は、家の再建のためにガザ市当局(ハマス系)は建設許可の代金1万シェケル(約30万円)を要求してきたんですよ。市当局はガザ政府の経産省と手を組んで、許可の代金を払わなければ、許可書を出さないと言ってきたんです」

 シュジャイーヤ地区と並んで最も被害の大きかったフザー村でも、破壊された家々の再建が進んでいた。半年前から家を建て始めたある住民は、1階と2階はカタール政府が、そして3階部分はクウェート政府が支援してくれるのだという。ガザ政府からの援助について尋ねると、ここでも「ハマス政府はまったく支援してくれませんでした」という答えが返ってきた。

 復興事業が可能になった背景には、建設資材とりわけセメントがガザ地区に搬入されるようになったことがある。
 ハマスがガザ地区を実効支配した2007年以来、ガザはイスラエルによる厳しい封鎖政策に苦しんできた。とりわけ建設資材はほとんどイスラエル側からは搬入されなくなった。その後、エジプトとの国境線沿いに掘られた1000を超える地下トンネルを通じて、生活物資や建設資材がガザ地区にもたされるようになった。それも2014年、ハマスを敵視するエジプトのシーシ政権によって、ガザ住民の“生命線”だったトンネルがほぼ完全に破壊されてしまった。
 以後、ガザの生活物資や建設資材は全てイスラエルからの搬入に頼らざるをえなくなった。しかしイスラエルは封鎖とりわけ建設資材のガザへの搬入を緩和しようとはしなかった。建設資材がハマスの手に渡り、地下トンネル建設に使われることを恐れるからだ。そのため昨年、冬の雨季を迎えても家屋が破壊された多くの住民たちは家の再建もできず、寒さと雨の中、過酷な生活を強いられた。この非人道的な状況に対する国際的な非難が高まるなか、イスラエルはやっとセメントなど建設資材のガザ地区搬入を厳しい条件付きで認めたのである。

 「これは監視カメラに映し出されたリアルタイムの映像です。これが下の倉庫です。私の事務所に出入りする人も判別できます」
 ガザ地区中部のあるセメント販売会社の社長ナーフェズ・アブクメーシュは、オフィスに一角に据えられた大型テレビ画面を指差しながら説明した。通訳がさら詳しく説明した。
 「倉庫の入り口が見えますか? ここから出入りする人全員が監視できます。ここで動く者はライブ映像となって映し出されます。誰かが店に入ってセメントを取り出すと、それは映像として出てきます。監視している者が見ることができます。これで名前が確認され、承認された者以外はセメントを入手できません。名前が承認されている者だけに、セメントが渡ることが保障されるのです」

 セメント搬入の条件がこの監視システムだった。アブクメーシュ氏はセメントを手に入れるまでの過程をこう説明した。
 「まず私たちはガザ政府とラマラ政府(PA)の民政省にセメントを申請します。そこで、会社と経営者の名前がチェックされ、販売許可証の有無が検査されます。その結果は民政省(PA)によってイスラエル側に送られます。民政省とイスラエルと国連オフィス(UNOPS)の3者の了承の後、条件が課せられます。その条件がカメラやGPS(全地球測位システム)など監視設備の設置です。GPSでセメントの位置を把握します。監視カメラは倉庫、オフィスなどどこにも設置されています。その管理は完全でセメントが搬出される動きを監視できるのです。カメラはここでの全ての動きを監視しています。1袋のセメントも監視の目をくぐり抜けることはできません。量が厳しく管理されているからです。例外はありえません」
 各所の監視カメラに映し出された映像はUNOPSの事務所に送信されて24時間体制でチェックされるという。
 その監視カメラやGPS装置、停電に備えた電源装置などはすべてUNOPSの基準に合わなければならず、その基準に合わないと、セメントを手に入れる許可を得ることができない。その器材設置にかかる費用25,000〜30,000シェケル(6,300〜7,500ドル)はすべて販売業者の負担だ。セメントをイスラエルから搬入する条件は、厳格で、販売業者に大きな経済的な負担を強いるものだった。
 セメントの値段はトンネルから搬入していた時期は1トン当たり約380シェケル(95ドル)ほどだったが、イスラエルから搬入するようになって200シェケル(50ドル)ほど跳ね上がった。しかし今、ガザで家屋の再建に不可欠なセメントを手に入れるにはそれしか手段はないのである。

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