(2016年3月6日公開)
写真:映画監督をめざすモハマド・カーセム(20歳)/2015年11月・土井撮影
<第二部・絶望する若者たち>
ガザ市在住の20歳の青年が現在のガザ青年の生活と心情、葛藤を描いた短編映画を制作した。
主人公の青年アナスは無職の青年である。映画はこの青年が悪夢にうなされて目覚めるシーンから始まる。仕事のない自分の将来への不安のためだ。朝遅く起き出して身だしなみを整えて街に出る。カフェに立ち寄ると、自分と同じように仕事のない青年たちが昼間からカフェでトランプ遊びに興じている。夜、港の浜辺で、親友と会った。友人は「明日、地下トンネルを使ってガザを脱出する」と打ち明ける。
(友人)「聞いてくれ、僕は明日ガザを出るんだ」
(アナス)「ガザを出る? どこから出ていくって言うんだ? 陸路で? それとも海から?」
(友人)「アナス! 僕は本気だよ。仲介者に有り金を全部はたいたんだ」
(アナス)「ガザに戻ってくるのかい?」
(友人)「正直戻ってくる気はないよ。そこで新しい人生を見つけるんだ」
(アナス)「分かった、全部話してくれよ」
(友人)「アナス。君と一緒に大学を卒業したけど、今も仕事が見つからない」
(アナス)「わかった、でもなぜ出ていくんだい?」
(友人)「ここに留まったら、ずっと悲観し続けることになる。死んでしまうよ。今までの4年間、ずっと失業していた」
(アナス)「少し落ち着いて、どういうことか、ちゃんと教えてくれよ」
(友人)「『落ち着け!落ち着け!』そればっかりだ。ガザを出たら、もう2度と戻ってこないよ」
(アナス)「もう一度よく考えろよ。希望と目的をもち続けろよ。辛抱するんだ」
(友人)「『辛抱!辛抱!辛抱!』もううんざりだ! 聞けよ、明日出発するからもう寝るよ」
そして主人公のアナスはラストでこう独白する。
「ガザを出たいと願うのは、彼が最初でも最後でもない。私は外国で人生を切り開くために、ガザを出ることには賛成しない。僕は辛抱するんだ。そうすれば必ず幸せがくるんだ。誰もが夢をもつ。僕には大きな夢がある。ガザでは実現できない。僕は決めた 不可能に見える夢を持ち続けることを。なぜならガザで夢を抱いたのだから僕は決して絶望しない」
700ドルの資金を親族や友人から集めてこの映画を監督・製作したモハマド・カーセム(20歳)も、3年前に高校を卒業したが、仕事に就けないでいる。大学に入学したが、授業料が払えず1学期で辞めた。
「就職の機会がないために、ガザでは失業率がとても高いんです。私には5人の兄弟がいます。4人は大学を卒業したけど、露天商をしながら食いつないでいます。兄たちを見て怖くなります」
「ガザで最も重要なことは、生活していくための仕事をもつことです。仕事の機会がないことが、パレスチナ人、青年たちを最も苦しめていることです。大半の若者たちには仕事がありません。大学の工学部で学んだものが、タクシー運転手をしていたり、博士号を持つものが、機械工として働いている。こういう友人がたくさんいて、彼らは暇を持て余し、なにか稼ぐ方法がないかと探しています。たばこ代さえ稼げないでいます」
タイール・ヤシーン(25歳)は2012年に、ガザ地区の名門校イスラム大学のアラビア語科を卒業した。卒業後、仕事を得ようと必死に試みたが、3年を経ても失業中だ。タイールは少年時代から、演劇に関心をもち、将来、プロの俳優を目指している。
「いくつかの団体に応募したり、UNRWA(国連パレスチナ難民救済事業機関)の採用試験に挑戦し、小さな仕事をたくさんやりました。でも辞めました。労働時間も長く、給料は安かった。12時間も働いて、30シェケルしかもらえない。30シェケルは5〜6ドルです」
「イスラム大学のような名門校を卒業しながら、どうして仕事を得られないかって? ガザが8年間も封鎖されていて、さらにパレスチナが分裂しているからです。毎年3万人の学生たちが卒業します。しかし仕事に就けるのは、200〜250人しかいません。考えてもみてください。3万人に200人ですよ。
「またガザでは2年ごとに戦争が起こります。2年したら戦争、2年経ったらまた戦争が起こります。当然仕事の機会もなくなります、食に困るのは当然です。私たちは占領下で生きているので、就職がとても難しいのです。仕事があり、余裕ある暮らしができたとすれば、今の状況が異常だと思えるはずです」
失業し、将来の展望が見えないなか、ガザの青年たちはどういう思いを抱いているのだろうか。
映画監督をめざすモハマドは「この現実にとても悲観しています。こういう厳しい状況で、希望を失うのは当然です」と言う。「なぜなら人生において、明るい展望が全く見えてこない。パレスチナ人の若者にとって未来は全く見えてこない。全力で新しい希望を生み出そうとしたり、自身の未来を信じようとしても、残念ながら外も内も、閉ざされています」
「以前は体重は111キロでしたが、将来のことを考え悩み、5か月間で15キロも減りました。将来10年先どうしようか。このまま人生が終わってしまう。ガザでは目を閉じ、夢を見ているときだけが幸せです。夢だけは誰も奪えませんから。目を閉じて夢を見ているとき、想像の中でその夢をかなえられます。しかし目を開けると、苦い現実を目の当たりにし、悲しみに襲われるのです」
「私は今のパレスチナ人を象徴する若者の一人だと思います。悲しみ、絶望や挫折や倦怠感、怒り。このガザの現実から逃げようとしています。封鎖や停電や失業や破壊、流血や死などの現実です」
俳優を夢見るタイールも、仕事もなく無為に日々を過ごす今の心情をこう表現する。
「ある時、海に飛び込みたいと思いました。みんな同じなんだと自分に言い聞かせました。この状況はいつまで続くのかと思いました。何かしようと思ったり、やっぱりやめようと思ったり、みなと同じように1日20シェケルをもらって働いてもいいやと思ったり、うんざりしたり、絶望したり、退屈に感じたり。希望を失ってしまったと感じます」
「毎日をどう過ごしているかって? ほとんど家にいます。いつもずっと寝ていました。することがないのだから、たまに外に出たり、インターネットをやったりしました。外に出てばかりの時期もあります。毎日外でずっと過ごすんです。逆に家にこもってばかりの時期もありました。友達から電話があっても出ません」
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