Webコラム

日々の雑感 352:
映画『Start Line』に見た“懸命さ”

2016年8月29日(月)

 8月26日から3日間、大阪で開かれた「ヒューマン・ドキュメンタリー映画祭《阿倍野》」に参加した。14回目を迎える今年の映画祭で、私の映画『“記憶”と生きる』(3時間半)も上映していただいた。
 上映された8作品の中で、私がとりわけ胸を揺さぶられた作品の1つが『Start Line』(今村彩子監督)だった。


(写真:日本縦断中の今村彩子【(C)Studio AYA】)

 耳が聞こえない30代後半の女性映画監督が沖縄から北海道までの日本縦断の自転車旅行を慣行する。しかしこの映画は単なるロードムービーではない。生きる気力さえ失いかけた監督が、自らを蘇生させるために挑んだ過酷な旅だった。その旅の動機を今村自身は映画パンフレットの中にこう書いている。

 一昨年、私にとって大きな存在である母と、ずっと暖かく見守り続けてくれた祖父の二人を短い間に失いました。「悲しい」という感情を感じると自分が壊れてしまうため、意識的にコントロールしてきました。祖父の四十九日が終わると、張り詰めていた緊張の糸が切れ、映画を作りたいという思いも生きる希望も持てなくなりました。そんなある日のこと、自転車に乗って風を受けた、その気持ち良さにハッとしました。目が覚めたような感じ……。「このままではいけない、前を向いて生きていくために、自転車で日本縦断の旅に出よう。そして、自分が苦手なコミュニケーションをテーマに、カメラを回して映画を作ろう!」そう決意したのは、母の死から半年近く経った頃です。ひとりの人として、また映画監督として次に進むためにも、これまで直視することを避けてきた「コミュニケーション」と正面から向き合おうと心に決めたのでした。

 この映画は、その日本縦断の旅の過程を、伴走者・堀田哲生と今村自身のカメラで記録した作品である。ただその旅は平たんなものではなかった。自転車旅行そのものの過酷さと共に今村を意気消沈させ精神的に疲弊させたのは伴走者・堀田の容赦ない厳しい叱咤だった。交通ルールに無知で信号や周囲の車両に気づかず暴走する今村に、堀田は厳しい口調で注意する。心身共に疲労困憊し、出会う人々とのコミュニケーションを実践する余裕さえ失い、「相手の言葉が理解できないのではないか」という恐怖心から会話を避ける今村を、「この旅の目的は、コミュニケーションではなかったのか!」と激しく叱責する。健聴者の堀田が居酒屋で出会った客と歓談する中、「耳の聞こえない」今村はぽつんと取り残される。不満をぶつける彼女を堀田は、「あなたが会話に入れないのは耳が聞こえないからじゃない。会話が下手だからだ」と突き放す。映画のラストで、今村は「伴走者に叱られた回数 500回以上」「ホメられた回数 2回」と告白している。

 クロスバイク初心者の私に、そこまで怒らくて……と不服に思いながらも、とにかく改善しようと努めました。でもすぐにうまくできるようにはならず、自分の情けなさに辛い気持ちが募るばかりでした。次第に、うまくできないのは彼のせいにしてしまえばラクになると気づき、ついには大切なことで叱られても「また怒っている。ヒステリーが始まった」などと受け流したり、人のいない田舎道で「バッキャローッ!」と叫びながら漕いだこともありました。一日の終わりになれば「私のことを思って叱ってくれているんだ。ああ、自分が悪かった……」と反省するのですが、日中は、なかなかそんな気持ちにはなれません。苦しい旅が続きました。毎朝泣いて、夜も泣いて、道中泣いてばかりいた気がします。

 失敗ばかりの連続で自信を喪失し自己嫌悪に陥り、怒り、泣く。そんな自分を今村は赤裸々に映画の中にさらけ出す。それは度重なる不幸に絶望し、自死さえ頭を過ぎった今村にとって、その旅は単なる日本縦断の冒険旅行ではなく、自分を見失いそうな絶望から、ドキュメンタリストとして、また「耳が聞こえない」という障がいを抱えた「ひとりの人」として自らを蘇生させようと懸命に挑んだ“人生の冒険”だったからだろう。観る人は、その“必死さ”“まっすぐさ”に胸を揺さぶられる。そして「自分はあの人のように真剣に自分と向き合っているのだろうか。あれほど必死に生きているだろうか」と自らに問うのだ。


(写真:日本縦断中の今村彩子【(C)Studio AYA】)

 私は、自身や家族を映画にする「セルフ・ドキュメンタリー」に激しい嫌悪感を抱く時がある。恥じらいもなく、他人にとってはほとんど意味もない自身の生活や喜怒哀楽を自己陶酔したように表現する「ナルシスト映画」を見せられる時だ。「あなたにとって大事なことかもしれないが、他人にとってはどうでもいいことだ」「そんなものは自分の日記帳にしまっておけ! こんなものを公開することで、視聴者の貴重な時間と金を奪うな!」と叫びたくなるのだ。
 「セルフ・ドキュメンタリー」を作品として世に問おうとするなら、そこにナルシシズムを超えた“普遍性”がなければならないと私は思っている。その「セルフ」という“鏡”に、観る者が自分の在り方、生き方を映し出し、自らの在り方を自問させる力を持った“普遍性”だ。その時、観る人は「セルフ」に自らを重ね合わせ、切実な“自分事”として“痛み”を感じ、泣き、胸を揺さぶられ、“生きていく力”をもらう。
 この映画はそういう“普遍性”をもった稀有な「セルフ・ドキュメンタリー」である。そのために、今村は自らの弱さ、醜さ、利己心、自己防衛欲をも映画の中にさらけ出した。まさに捨て身の「セルフ・ドキュメンタリー」である。今村は自分をドキュメンタリストとして、また絶望の淵から立ち上がり一人の人間として蘇生させ、生き続けるために、“捨て身”になるしかなかったのだろう。その“一図さ”“懸命さ”に私は泣いた。そして“ドキュメンタリストであること”と、“自分が生きる”ことの切り離せない関係を、改めてこの映画に思い起こさせられた気がする。

『Start Line』公式サイト

【劇場公開】
9/3(土)~新宿・ケイズシネマにてロードショー
9/17(土)~名古屋・シネマスコーレ、第七藝術劇場(ほか、
10/1(土)~大阪・第七藝術劇場
以降、全国順次公開

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