Webコラム

日々の雑感 354:
「DMZ(韓国非武装地帯)国際ドキュメンタリー映画祭」(1)

2016年9月30日(金)


(写真:映画『2つの世界が衝突する時』より)

『2つの世界が衝突する時』
When Two Worlds Collide

 9月23日から数日間、ドキュメンタリー映画漬けだった。とは言っても、劇場で観ることができる映画は時間的にも体力的にも1日にぜいぜい3〜4作品。100を超える作品の中でも、観賞できるのはほんの一部に過ぎない。だからプログラムの中から見るべき映画を厳選しなければならない。山形国際ドキュメンタリー映画祭でもそうだが、私はまず「国際賞部門」、次は「アジア賞部門」を優先する。世界のドキュメンタリー映画の最高レベルの作品が並ぶはずだからだ。
 私が今回観ることができた数本の「国際賞部門」の中で突出していたのは、ペルーでの政府とアマゾン原住民たちの闘いを描いた『2つの世界が衝突する時』(When Two Worlds Collide)だった。
 ペルー政府はアメリカの多国籍企業によるアマゾン森林地帯「開発」の投資を積極的に推し進めるために、原住民の生活権を守る法律を強引に改悪する。一方、アマゾン森林の大自然の恩恵を受けて伝統的な生活を営んできた原住民たちは、先祖から受け継いできた豊かな森林が破壊されることに反発し大きな反対デモを起した。それを政府は武装した警察部隊で鎮圧しようとする。その衝突の中で、多くの原住民が死傷し、それに怒り復讐心に燃える原住民たちによって20人を超える警察官が惨殺された。政府やメディアは、その「警察官惨殺」を「原住民の残忍性」を宣伝するために最大限利用する。原住民のリーダーはメディアに糾弾され、当局は彼の刑事責任を司法の場で追及しようとする。窮地に追い込まれたリーダーはニカラグアへの亡命を余儀なくされた。

 この映画の主人公は、その原住民のリーダーである。イギリス人監督のマチュウ・オズゼルとヘイディ・ブランデンブルクは、この衝突事件の前から、このリーダーとアマゾンの原住民の生活に深い関心を持ち、それを記録しようとアマゾン地帯に入っていた。冒頭では、彼らが暮らすアマゾンの村落での伝統的な生活とその豊かな自然観を詳細に伝え、その美しいアマゾンの森林を見事なカメラワークで描き出す。
 だから観客は、その美しい自然環境とそれと共生する原住民たちの穏やかな生活が多国籍企業の利潤追求の理不尽に破壊されることに怒り、闘う彼らに自然と共鳴していく。しかしこの映画は、「原住民の闘いを支援する運動の映画」に終わっていない。
 多国籍企業による「開発」を奨励することによって「国の豊かさ」を追求しようとする政府の主張も、反発する原住民出身やそれを支持する国会議員との激しい国会論戦の資料映像の中できちんと見せていく。また犠牲となった警察官の父親が息子の死の真相を追い求める姿を丹念に描き、もう一方の側の“悲しみと怒り”も伝えている。この映画の最も感動的なシーンの1つは、政府主催の殉職警察官の慰霊式で、将校の妻が原住民への怒りや恨みを訴えるのではなく、「原住民の権利を認め、政府も和解するべきです」と涙ながらに訴える場面である。
 亡命先のニカラグアから帰国したリーダーは、警察官殺害を指示した容疑で政府に訴えられ司法の場で闘うことになる。一方、政府は事態収拾のためにいったんは「開発」容認の法律を白紙に戻したが、その後も多国籍企業の「開発」を黙認していく。
 8年近い年月をかけてこの映画を制作したオズゼル監督は上映後のQ&Aで、「この映画で描いた多国籍企業による『開発』という名の自然破壊と、それによって生活権を奪われる原住民との闘いというテーマは決してペルーのアマゾン地帯だけの問題ではなく、世界が抱える普遍的な問題です」と語った。たしかにこの映画にはその「普遍的な問題」を伝える“力”と“深さ”がある。「私たちから遠い世界の出来事」の中から、現代人が抱える普遍のテーマを引き出して見せていく──ドキュメンタリー映画の重要な要素の実例を示してくれる“教科書”のような作品である。

 2009年にペルーで起こったこの事件のことを私は全く知らなかった。それが日本の新聞やテレビで伝えられた記憶もない。日本メディアの南米特派員たちにとって、日系人が候補となったペルー大統領選挙などと違い、そんな事件は「日本とは直接関係のない遠い問題」であり、取材・報道するに値しないニュースだったのかもしれない。それは南米に限らない。中東やアフリカなど日本から遠い地域の国際報道でも、「日本」や「日本人」絡みでないとなかなか伝えられないという現実は変わらない。それは日本に限らず世界のメディアに共通する体質なのだろうが、先進国の中でもとりわけ「島国」日本のメディアはその偏狭さが突出しているように見える。
 しかし、それは海外のテーマを追うドキュメンタリストにとっては、逆に活動の“隙間”ともいえる。つまりそこに日本メディアの弱点・盲点をカバーするという役割と“活動の場”があるということだ。でもそれは容易なことではない。ドキュメンタリストたちは、その役割を果たすためには、「私たちから『遠い世界』の出来事の中から、普遍的のテーマを引き出して見せていく」眼力と表現力が要求される。それを身につけるために、自らを鍛え上げていかなければならない。“パレスチナ”という「遠い問題」を日本に伝えるために試行錯誤している私は、その“お手本”のような映画『2つの世界が衝突する時』に、自分が鍛え上げなければならない課題を突き付けられた気がした。

次の記事へ

ご意見、ご感想は以下のアドレスまでお願いします。

連絡先:doitoshikuni@mail.goo.ne.jp

土井敏邦オンライン・ショップ