Webコラム

日々の雑感 365:
緊急コラム「なぜ『慰安婦問題』は終わらないのか」

2018年1月10日(水)

(写真:「朝日新聞」「東京新聞」1月10日朝刊の一面)

 「2年前に両政府で『もうこの問題は蒸し返さない』と合意したじゃないか。それを今さら、『あの合意では、慰安婦問題を解決できない』なんて何ごとだ!だから韓国という国は信用できないんだ!」
 最近の「慰安婦」問題に関するメディア報道に、多くの日本人はそう思ったに違いない。一般国民だけではない。政府は「合意を変更しようとするなら日韓関係は管理不能になる」(河野太郎外相)と反発し、メディアもそれに同調する論調のように見える。『朝日新聞』社説(1月10日版)も「理解に苦しむ表明である」「これでは合意が意味を失ってしまう恐れが強い」と書いている。
 しかし、今この問題で議論すべきことは、「韓国政府は国家間の合意を反故にしようとしている」ことを糾弾することではなく、なぜあの合意を「問題の解決にならない」と韓国の政府も国民も、そしてなによりも、「慰安婦」にされた当事者たちが主張するのか、という根源的な問いではないのか。

 あの合意によって生まれた韓国の財団は、元「慰安婦」の生存者には約1千万円、死亡者には200万円を支給する手続きをとっている。もし「金のため」なら、被害者たちも口を閉ざして、「合意」を受け入れたほうがいいはずだ。それでも、「合意の破棄」を自国政府に強く求めたのはなぜなのか。元「慰安婦」たちは、なぜあの合意が「名誉と尊厳の回復にならない」と主張しているのか、日本側が問うべきことはそのことではないだろうか。

 しかし不可解なことに、私が購読している『朝日新聞』も『東京新聞』も、大統領や外相の記者会見での主張は伝えても、当事者である元「慰安婦」たちの声は伝えていない。「なぜ反対なのか」と問うた記事がないのだ。普通のジャーナリストの感覚なら、真っ先に当事者たちの声を聞きにいくはずだ。直接、当事者に会えなければ、その支援組織の代表に聞くはずだ。優秀な現地の特派員たちは、取材したにちがいない。しかし記事にならない。東京の編集サイドが政府の意向を「忖度」してボツにしたのだろうか。

 私は23年前の1994年12月、韓国「ナヌム(分かち合い)の家」で撮影した元「慰安婦」ハルモニ(おばあさん)たちの議論を思い出す。それは日本の「アジア女性基金」が出す「償い金」についての議論だった。その「償い金」が民間からの募金だったため、被害女性たちの多くは「そんな“慰労金”ではなく、政府が謝罪し“賠償金”を支払うべきだ」と強く反発していた。
 1人のハルモニが言った。
 「なぜ早く解決してくれないの。日本は大金持ちなのに。過ちを犯したら早く賠償するべきじゃないの」
すると、もう1人のハルモニがこう答えた。
 「お金を出すのが嫌だというわけではないのよ。彼らは過去の事を歴史に残さないようにするためだよ。(名誉を傷つけず)きれいな国民でいたいわけさ」
 さらにもう1人のハルモニが言った。
 「自国に傷を残さないためにありったけの力を振り絞っているんだよ。私たちはなんとか自分なりに証を残したいのよ。同じだよ、(私たちも日本政府も)両方が名誉をかけて張り合っているようなもんだよ」(参照:映画『“記憶”と生きる』

 2年前の「日韓合意」は「日本は元慰安婦を支援する財団に10億円を拠出し、協力して事業を行う」ことと共に「両国は問題の最終的かつ不可逆的に解決されることを確認」した。だが、この合意は当事者たちにほとんど相談もなく、政府同士が決めた。それはたぶん、アメリカ政府から「対中国政策、対北朝鮮政策で日米韓の協力体制を強化しなければならない時期に、いつまで慰安婦問題で反目し合っているんだ!」という恫喝に似た強い圧力のために、両国は慌てて「合意」せざるをえなかったからだろう。
 しかしそれは「寝耳に水」の当事者たちには、加害国日本から「この10億円は“手切れ金”だ。もうこの問題はチャラにしようぜ。もう二度と蒸し返すなよ」と言われているように聞こえなかったろうか。

 ドイツは「ホロコースト」に象徴される戦争加害歴史と向き合い、首都にその加害歴史の記念碑を作り、教科書で後世に伝える。一方、日本は被害歴史の記念碑はたくさんあっても、加害歴史のそれはほとんどない。歴史教科書からも加害歴史は消されていく。あのハルモニが鋭く指摘したように、「過去の事を歴史に残さないように」し「(名誉を傷つけず)きれいな国民でいたい」ために、自国の“負の歴史”を金でにチャラし、「私たちの子や孫に、謝罪し続ける宿命を背負わせるわけにはいかない」(「合意」直後の安倍首相・記者会見)と“忘却”をうながす。

 かつて周辺の欧州諸国への加害国だったが、今やEUの盟主となったドイツ。一方、いつまでもアジア近隣諸国に“加害歴史”を問われ続ける日本。いま私たち日本人一人ひとりに問われているのは、自国の“負の歴史”と向き合い、引き受けていく覚悟と、自国・日本に“人間の尊厳”を踏みつけられた他者の“痛み”に対する想像力ではないだろうか。

次の記事へ

ご意見、ご感想は以下のアドレスまでお願いします。

連絡先:doitoshikuni@mail.goo.ne.jp

土井敏邦オンライン・ショップ
オンラインショップ