2018年10月27日(土)13:30~18:00
東京大学(本郷)
最新ドキュメンタリー映画『アミラ・ハス ―イスラエル人記者が語る“占領”―』上映
2018年10月13日(土)
招聘資金のめどが立つと、私は具体的な準備にかからなければならなかった。まず第一に、日本にアミラ・ハスを紹介のために、現地での彼女の映像が必要だった。パレスチナ問題の研究者やジャーナリスト、また “パレスチナ”に関心のある人たちなら、「アミラ・ハス」の名を知っている人は多い。しかし一般の市民には馴染みのない名前だろう。「占領50年イベント」を通して、“パレスチナ”を知ってほしいのはその一般市民だ。「アミラ・ハスとはどういう人なのか」を知ってもらう最も効果的な手段は、映像でその活動と人物を伝えることだ。そのために来日前にアミラの取材活動とインタビューを撮影しなければならない。また日本での具体的なスケジュールと講演の内容などについて打ち合わせをしなければならなかった。
2007年6月下旬、私は7カ月ぶりにパレスチナに向かった。
最大の難問は、「取材されることを何よりも嫌うアミラを撮影するために、どう説得するか」だった。私は「日本にあなたを招聘し、その講演に多くの聴衆を呼ぶためには、あなたがどういう人物で、どういう活動をしているジャーナリストかを事前に周知してもらう必要がある。そのために短い紹介映像を作らなければならない」と取材の理由を説明した。すると、アミラは意外にもすんなりと、自分の取材に私が同行し撮影することを受け入れた。
まず向かったのはヨルダン川西岸のベツレヘム市で「パレスチナ人男性と結婚した外国籍女性の滞在許可問題」の取材だった。
アミラは中古の日本車を自ら運転し、コーディネイターもつけず独り縦横無尽に西岸地区を動きまわって取材する。アラビア語も流暢なため通訳も必要ない。車のフロントガラスの前に、ジャーナリストであることを示す「PRESS」「サファフィ」という英語とアラビア語の文字のプラカードが置かれていた。
「占領地でイスラエル人女性の私が独り取材して回ることをみんなから『勇敢だ』だと言われるけど、実はそうではないのよ。私がほんとに自分を『勇敢』だと思うのは、こんなに無謀な運転手の多い西岸で車を運転していることよ」とアミラは笑った。
占領地報道の第一人者なったアミラ・ハスのジャーナリスト半生は、この25年間、順風満帆だったに違いないと私は思い込んでいた。しかし実はそうではなかったことを、ベツレヘムまでの2時間近い移動中の車中で、私は初めてアミラから教えられた。
オスロ合意以後のガザ地区を現地で取材し続けたアミラは、この合意がパレスチナ人にとって真の平和とはほど遠い状況をもたらしていることを『ハアレツ』紙に書き送り続けた。
しかし「オスロ合意は和平をもたらすはず」と信じ込み、それを報道方針としていた『ハアレツ』紙の幹部たちはアミラの記事を信用しようとはせず、彼女を冷遇した。高まっていく国際的なアミラへの評価も社内での評価や立場の確立にはほとんど役には立たなかった。やがて当時の編集長との確執が決定的となり、一時、アミラは『ハアレツ』紙を解雇されている。彼女が再び『ハアレツ』紙で活躍し始めたのは、彼女の才能を高く評価する新編集長が就任して以後のことである。
「今では、『オスロ合意が崩壊することを当初から予見したジャーナリスト』として、社内でも評価されるようになり、割と自由に動けるようになったの。だから日本へは1ヵ月の休暇を取って行くつもりよ」
私がパレスチナ入りする直前まで、アミラはギリシャ滞在で「休暇」を取っていた。しかしその間も、アミラの記事が『ハアレツ』紙に掲載されて続けていた。「ギリシャにいたはずなのに、どうして記事が書けたのか」と問う私に、長く現地で取材してきたから、事情や基礎的な知識があるからよ。それに現地の知人や友人たち、関係者たちにギリシャから電話インタビューすることもできるし」という。
当時のアミラの記事の中でも、「さすがアミラ!」と唸った記事がある。それはその頃、世界の注目を集めているガザ地区の深刻な電力不足の問題だった。アミラは、6月26日に「ガザ電力危機にはパレスチナ側にも責任がある」というコラムを『ハアレツ』紙に発表した(Opinion Palestinians Also to Blame for Gaza Electricity Crisis)。
それは、イスラエルだけではなく、住民を犠牲にして権力争いに明け暮れるハマスとPA(アッバス議長が率いるパレスチナ自治政府)にも重大な責任があること。西岸のパレスチナ人住民が、このガザの電力危機に対してガザ攻撃の時のような抗議のデモも起こらないほど無関心であること。またハマスは武力増強のために金を使うのではなく、住民の生活を改善するためにこそ使うべきだと鋭く指摘している。
現地を知らない他のイスラエル人ジャーナリストはもちろん、パレスチナ人ジャーナリストも弾圧を恐れてか、それとも気づいていないのか、その点をまったく指摘しない。アミラはその重大な視点を鋭く突き付けていた。
「私はずっと以前から占領地の電力の問題を追ってきて、たくさんの記事を書いてきたけど、掲載できなかったの。しかしそれを掲載するタイミングが今来たのよ」(続く)
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