Webコラム

日々の雑感 381:
“生き方”を問う番組・NHK「こころの時代」

2019年6月29日


(写真・徳田靖之 弁護士/番組「こころの時代」から)

“田舎弁護士”の生き様

 毎週、録画して観るテレビ番組が3つある。「報道特集」(TBS)と「ETV特集」(NHK教育)、そして「こころの時代~宗教・人生~」(NHK総合)。前者の2番組はジャーナリスト・ドキュメンタリストとしての視点を学ぶため。そして後者は“生き方”を学ぶため。その番組の登場人物たちの深い生き方に、自分の“生き方”を問われるのだ。「では、お前はどう生きてきたのか」「どう生きているのか」と。
 5月に放映された「光を求めて 共に歩む」。ハンセン病家族訴訟弁護団共同代表・徳田靖之氏の生き方も心に響いた。
 東大4年の時に司法試験に合格したエリート弁護士が、生まれ故郷の九州大分県で「田舎弁護士」(徳田氏)として生きる。国のハンセン病患者隔離政策の誤ちを認めさせる「ハンセン病国賠訴訟」に勝訴し、患者たちの尊厳の回復に道を拓いた徳田氏がみずからを「田舎弁護士」と名乗る理由をこう語る。

「自分なりに意味を与えようとして美化してしまう。修飾してしまうことが怖い。表現が熟さないけど、自分のことを田舎の弁護士と思っている。どこでもいる平均的な田舎の弁護士として、どんなことができるのかを追求してきた。地域の人たちと共に泣き、悩み、喜び、そういうことをすることが自分の弁護士の一番大事なことだと思っている。自分の立ち位置をしっかり見つめておかないと、自分がどこかでおかしくなるというか、変質してしまうのではないかという思いで、自分を戒めるような気持ちで『田舎弁護士です』と言い続けてきた」

 「コソどろ、シャブ中毒の人たち、世間が相手にしない人たちと最後に人間として交わる、それが自分の仕事だと考えるようになった。『社会正義』だと振り回す前に、自分の原点はそこにある。そういうことを大事にして生き続ける『田舎弁護士』でありたい」

 裁判に勝訴した元ハンセン病患者の一人である老女Sさんは「徳田先生は命の恩人です」と言うが、徳田氏はこう語る。

 「Sさんたちは人間としての尊厳をずっと持ち続けた。人間として凄いなあといつも感じて、学ばせてもらいながら、いっしょに仕事をしてきた。お会いするたびに元気をもらって自分がまた一つ変わるというか、そんな感じでやってきた」

 「障がいを持った人たちが心安らかに生きられる社会をつくっていくのが自分の仕事です。それをやる時に、また犯してしまうのかなあと不安になる。また『優等生』に帰って、『救ってあげる』ようなかたちになってしまうのかなあと。その時だれかが、『思い上がるんじゃねえぞ』と教えてくれるのかなあ」

 自らのライフワークとして、長年ハンセン病患者たちに寄り添い続け、「ハンセン病国賠訴訟」を勝訴に導いた立役者の一人でありながら、「『優等生』に帰って、『救ってあげる』ようなかたちになってしまう」ことを恐れ、「自分なりに意味を与えようとして美化してしまう。修飾してしまうことが怖い」と言う徳田氏。そんな生き方や言葉に出会うと心を揺さぶられ、高慢になりがちな自分自身の“生きる姿勢”を問われる。

真の“共生”を問う

 6月に放映された「共に生きる―孤児が教えてくれえたもの―」も心に残った。
 植民地時代の朝鮮で、孤児院を営んでいたキリスト教伝道師の朝鮮人の父と、父親が役人として朝鮮に渡り、7歳から朝鮮で育った日本人の母の間に生まれた田内基氏の朝鮮名はユン・ギ。しかし幼い時から「チョッパリ」(日本人)といじめられた。「僕はユン・ギだよ」と言い返しても笑われる。韓国人として認めてもらえないアイデンティティの悩みは、田内氏の人生に長い間、葛藤をもたらすことになる。
 そんな田内氏が自分の戸籍は韓国ではなく、母の故郷、高知にあることを知ったのは、大学入学の時だった。自分が「日本人」であること知った衝撃に打ちひしがれた時に、両親が運営する孤児院でいっしょに育った「お兄さん」が言った。「何を言っているんだ! 孤児の僕には戸籍すらないんだよ」と。
 朝鮮戦争の時代、孤児の食料を求めて町に出た父親は行方不明のまま帰ってこなかった。残された母親は、戦争で孤児が数百人に急増した施設を独りで必死に守り抜いた。そんな環境の中で母は自分の子どもたちを特別扱いする余裕もなかった。幼い田内氏は「自分の子ども」として扱ってくれないことが寂しくて、母を恨んだ。
 成長した田内氏は、「なぜ、あそこまで苦労して孤児院を必死に守ったのか」と母に訊いた。すると母は「行方不明になった夫が帰って来た時に、孤児院がなくなったと言ったら、どんなに寂しいだろう。だから夫が帰ってくる時まではと、施設を一生懸命守った」と答えた。
 そしてもう一つの理由があった。
 日本の敗戦直後、長く日本の植民地支配に苦しんできた住民たちが、日本人の母がいる孤児院を襲撃しよう押し寄せてきた。その時、父と母を施設の孤児たちが取り囲んだ。「僕たちのお父さんとお母さんだぞ!」と。その時、母は「あなたがたが守ってくれた命だから、死ぬまでこの命をあなたたちのために捧げる」と決心したと母が初めて息子に打ち明けた。
 そんな母ががんに倒れ、死の間際に看病する田内氏の耳元に日本語でささやいた。「梅干しが食べたい」と。半世紀近く韓国でハングルを使って生きてきた母が、死の間際に、日本語で幼い頃に食べ慣れた「梅干し」が食べたいと言う。これが“文化”なのだと田内氏は思い知る。
 日本に活動拠点を移した田内氏は、ある在日コリアンが孤独死し、死後十数日経って発見されたという新聞記事に衝撃を受けた。「在日コリアンの高齢者の孤独に寄り添いたい」という願いで田内氏は介護施設の設立に踏み出した。
 その施設ではキムチなど韓国料理が出され、ハングルで会話もでき、韓国舞踊の鑑賞会を開かれ、民謡をみんなで歌うなど、故郷の朝鮮文化に触れる機会を設けている。自分の母が死の間際、日本語で「梅干しが食べたい」と言った体験が、田内氏のこの施設創設と運営の原点にある。それは「故郷の文化に囲まれて、豊かな老後を過ごすという、ささやかな願いをかなえること」だ。
 日本と韓国という二つの祖国の間で揺れるアイデンティティの悩みを抱えて生きてきた田内さんは、“共生”についてこう言う。

 「『田内』と『ユン』。私の心の中に韓国も日本も全部入っている。どちらが先で、どちらが後だということではなく、“ダブル”なんです。それによって大事なこと、新しい可能性がたくさん発見できるんです」

 「英語をしゃべることが『国際化』ではなくて、お互い違いを認めてあっていこうとすることです。人間は『同じになる』ことを喜ぶんだけど、“同じではない違いが恵みだ”という考え方を持つこと。“共に生きる”ということは、ただ『共に生きる』のではなくて、相手を尊重する、相手の考えを理解する上で“共に生きる”ことです」

 どんな知識人や宗教家が語る「共に生きる」「共生」の言葉よりも、その壮絶な半生の実体験の中で獲得してきた田内基氏の“共に生きる”という言葉の重さが私の心に深く沁み入ってくる。

NHKの良心

 こんな深い番組が、どうして多くの人がまだ眠っている早朝5時からの放映なのだろう。「薄っぺらな笑い」を振りまく番組が夜のゴールデンタイムを席巻する一方で、なぜこんな良質で深い番組が、観る人の少ない早朝に追いやられているか。再放送は土曜日の午後に組まれてはいるが、わざわざ再放送を探し出して観る人は多くないだろう。
 そんな不満はあっても、こんな地味な番組が放映され続けていることは救いだ。視聴率が最重視される民放ではできまい。NHKだからこそ作れる番組だ。
 政権におもねってすり寄り、「権力を監視する」というジャーナリズムの本来の役割をかなぐり捨ててしまったNHK政治報道には唖然とし怒りさえ感じるが、「こころの時代」のような番組を作れるのもまたNHKである。
 制作しているのは、番組制作部門の主流ではない地味な部署だろうが、この番組で深く心を揺さぶれる私のような視聴者がいることを忘れないでほしい。あれだけの人物たちを探し出し、インタビュー構成で1時間の番組に仕上げることの大変さは、同じくドキュメンタリー制作に関わる者として私も想像できる。
 こんな素晴らしい番組を届けてくれるディレクターたちに、心からの敬意と感謝を送りたい。

「こころの時代」と「ETV特集」は、再放送もされています。また配信期間限定かつ有料ですがNHKの番組を配信している各種動画配信サイトやNHKオンデマンドで見ることもできます。

NHKオンデマンド:
こころの時代
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