2019年9月20日
(写真:国境デモで負傷したイハーブ/本人提供)
パレスチナ・ガザ地区は今、絶望的な状況下にある。東京23区の約6割ほどしかない狭い地域に200万人の住民が暮らす、世界で最も人口密度の高い地域の一つだが、その経済はほぼ崩壊状態にある。
イスラム主義組織「ハマス」が実効支配した2007年以来、イスラエルによる“封鎖”は強化され、2008年から続いた三度のイスラエルのガザ攻撃による産業基盤の破壊、さらにヨルダン川西岸の自治政府(PA)とガザのハマス政府との対立などによって、住民の失業率は65%を越えるといわれる。
とりわけ多くの若者たちは大学を卒業しても仕事がなく、修士号や博士号も持つ若者たちさえ、タクシーの運転手や露天商などで糊口をしのぐか、無職のまま無為に日々を過ごすしかない。そんな貧困と絶望に悩む多くの若者たちがガザ脱出を試みる。それもできない若者の間にドラッグは蔓延し、これまで耳にすることもなかった女性たちの“売春”が語られるようになった。
自殺者も急増している。昨年3月から始まった「帰還のための大行進」と呼ばれる国境デモでは、「殉教」と言う名の自殺や負傷して見舞金を得るために国境へ者も少なくなかった。
そんな絶望的な状況に置かれたガザ地区の住民の怒りがついに爆発した。
ハマス政府が増税を発表した今年3月中旬、住民による「ベドゥナ・ナエッシュ(アラビア語で「我われを生きさせろ!」の意味)」と呼ばれる大衆デモが発生した。SNSで呼びかけられたこのデモは、第一次インティファーダ(民衆蜂起)の発祥地ジャバリア難民キャンプから始まり、たちまちガザ地区全土に広がった。失業状態で絶望する若者たちが中心だったが、貧困にあえぐ既婚の男性や女性や子供たち、老人たちもデモに加わった。彼らが求めたのは、「我われに仕事と食料、人間らしい生活を!」という要求であり、「ハマス政府の打倒」を求めたものではなかった。しかしハマス政権は、対立するPA(パレスチナ自治政府)がその背後で操っていると疑い、徹底的に弾圧した。参加者たちや取材したジャーナリストたちは激しい暴行を受け、逮捕された。
「当初、私はフェイスブック上だけの抵抗だと思っていました。」とジャーナリスト、イハーブ・ファスフーズ(46)は当時を振り返る。「しかし住民たちは通りに出て、自分たちの権利を要求し始めたんです。ハマスがそのデモを厳しく弾圧したとき、参加者たちの怒りの火に油を注ぎ、さらにデモを拡大させ継続させました。デモ参加者たちを攻撃したのはハマス政府の大きな過ちでした。私が逮捕され尋問された時にその尋問官に言いました。『住民の要求はただ一つ、「人間らしい生活をしたい」と言うことだ』と。彼は動揺し、どう答えていいかわからない様子でした。彼自身、給与の半分しかもらえず、生活難に苦しんでいたからです」
国境デモの取材で持病の心臓病を悪化させたイハーブは、この春に二度のカーテル手術を受けたばかりだった。しかしデモが地元のハン・ユニス市(ガザ地区南部)に波及すると、自宅の屋上と窓からそのデモの様子を撮影した。「ガザの現状とデモ参加者たちの声を外の世界に伝えなければ」というジャーナリストとして使命感がイハーブを突き動かした。
その映像には「我われを生きさせろ!」と叫ぶ参加者たちの声や警察が放つ銃撃音が記録されていた。イハーブはすぐにその映像をフェイスブックに投稿した。その直後から友人や知人たちから次々と電話がかかってきた。「ハマス警察が逮捕しに来るだろうから、すぐに家から逃げて身を隠せ」という忠告だった。しかしイハーブは「今起こっていることを伝えるのがジャーナリストとして使命なのに、なぜ逃げなければいけないのか」と友人たちの忠告を拒んだ。
玄関を激しくたたく音がしたのは午後10時頃だった。ドアを開けると武装した警官たちが家の中になだれ込んできた。警官たちは家中を捜索しカメラやパソコン、携帯電話、ハードディスクなど仕事に必要な電子器具すべてを没収した。妻のタヒリール(36)が当時の様子を語った。
(写真:妻タヒリール)
「私は『夫に手出しをしないで!』と叫びました。心臓手術を終えたばかりで、乱暴されれば死んでしまうと思ったんです」
しかしイハーブの前に立ちはだかるタヒリールを警官たちが殴り、イハーブを連行した。「せめて夫の心臓病の薬だけでも持たせて!」というタヒリールの必死の訴えも聞き入れられなかった。
ハン・ユニス市内の公安本部に連行されたイハーブに尋問が始まった。係官は「PA(パレスチナ自治政府)の指示でデモの報道をし、ハマス政府を転覆させようとしているのだろう」と迫った。「私はジャーナリストで、自分が観たことを伝えるのが仕事だ」と反論した。しかし尋問官たちは聞く耳を持たず、繰り返しイハーブの顔を激しく殴り続け、イハーブは鼻と口から流血した。寒いなか、冷水を浴びせられた。尋問官はトイレへ連れていき、床にイハーブの顔を押しつけ、「お前の顔で床を掃除しろ!」と言い放った。気を失うと、寒い外に放り出された。7日間に及ぶ尋問と拷問の結果、イハーブの病状は危険な状況に陥り、病院の緊急治療室に運ばれた。
ジャーナリスト組織や親族の有力者たちの尽力でやっと釈放されたが、ジャーナリスト活動を禁じられ、報道に不可欠な器材をすべて没収された。イハーブは、収入の道を断たれた。妻と5人の幼子たちを養うために、アイスクリーム店(「報道アイス」と名付けた)を開いてはみたが、一日に数時間しか電気が使えない電力不足の状況では商品はすぐに溶けてしまい、商売にならなかった。
没収されていた器材は3カ月後にやっと返却された。しかし拷問の後に体調を悪化させ、さらにジャーナリストの仕事も禁じられたイハーブは、家族の生活を維持するために、取材器材の売却という苦渋の選択をした。
「ジャーナリストがカメラを売ることは、身体の一部を売るようなものです。その時の感情は、子どもたちが飢餓で死にかけているなかで、息子の一人を自らの手で埋葬する父親の心情に似ています。私はカメラを売っても、ジャーナリストであることを忘れたくはありません。この仕事を変えることは、私たちにとって死刑の宣告のようなものです」
そう語るイハーブの目から涙があふれ出た。
(写真:イハーブ)
後に妻となるタヒリールは、イハーブが2007年にガザ地区で最初の本格的な雑誌を発行し始めた時からのスタッフだった。ジャーナリストとしてのイハーブの仕事とそれに賭ける信念と情熱を長年傍で見守り、支えてきた“同志”でもある。
「カメラは私たちの“魂”でした。夫がそのカメラを買ったとき、ほんとうにうれしかった。誇張ではなく、子どもを得たような気持ちでした。だからカメラを売ったとき、私たちの中から何かが失われてしまったような気がしました」
ジャーナリストになることは、少年時代からのイハーブの夢だった。子供用の「雑誌」の記者証を手にしたのは12歳の時である。30年近いジャーナリスト人生の中で最も成功したのは、ガザで初めての本格的な雑誌の発行だった。質の高い記事と、良質の紙とデザインは高い評価を得て、多くの企業からの広告収入を得られた。発行部数も当初の1000部から5000部に増えた。その成功でオフィスも地元のハン・ユニス市からガザ市に移転し、15人の若いスタッフを雇うまでになった。
しかし2014年夏、イスラエルのガザ攻撃によって産業基盤が破壊され、多くの企業が破産した。2015年、広告収入の道を断たれたイハーブの雑誌は廃刊に追い込まれた。
ジャーナリストとして記事の発表の場も、取材する器材さえも失ったイハーブは、その喪失感をこう語る。
「道を歩いていて、ある現場に出くわすと、『これを記録しなければ』と反射的に考えます。しかし自分が器材を売ってしまい、手元にないことに気づくんです。ジャーナリストとして、身体の一部が切り取られたような痛みを感じます」
「私は水の中の魚のようなものです。ジャーナリズムという水から取り出されれば、死んでしまいます。私にとって、ジャーナリズムは血管を流れる血液です」
ガザでジャーナリストとして生きる道は三つある。一つはハマスやファタハなど政治組織の新聞やテレビ、ラジオ局で「御用ジャーナリスト」として生きる道。二つ目は海外メディアのガザ通信員、専属記者やカメラマンとしての活動、三つ目はイハーブのような完全なフリージャーナリストの道だ。日本以上にフリーランスでジャーナリスト活動を続けることが困難な状況下にあるガザ地区で、“ジャーナリスト”であり続けようとするイハーブを支えるものは何なのか。
「ジャーナリズムは“第四の権力”であり、それなしでは世界に届けられることができない“弱者の声”です。それはまた腐敗や偽善や不正義と闘う“武器”です。その“第四の権力”がなければ、腐敗や不正義が抵抗されることもなく社会に蔓延してしまいます。さらにジャーナリズムは、権利をきちんと主張できるように社会を強化する唯一の手段です。民衆が自分たちの声を世界に届けられると確信できれば、民衆を勇気づけ、生きるための闘いを続ける力を与えられるのです。希望を失った人びとの顔から笑顔を引き出すことが、私の“達成”です。」
「不幸なことに、現在パレスチナ社会ではジャーナリズムが無視されています。もし私たちの社会を改善し発展させたければ、ジャーナリズムは私たちの生命や生活を守るための基本的なメッセージです。ジャーナリズムは私たちの声を世界に届ける崇高なメッセージであり、私自身にとって、そのように社会に貢献することで “生きている”という実感を与えてくれる“冒険”でもあります」
妻タヒリールは夫イハーブについてこう評する。
「夫は私たち家族を養う責任を負っています。しかし今ジャーナリストとしての仕事ができません。それはガザの酷い状況のためですし、その情況はますます悪化しています」
「しかし獄中での体験と屈辱がイハーブをさらに強くしました。彼はジャーナリストとしての原則を諦めませんし、カメラを売ってしまったことで自暴自棄になったりはしません。イハーブは真実の言葉を語り、決して恐れず、“強さ”を失うことはありません」
経済が崩壊し、90%の住民が貧困ライン(一日2ドル未満の生活)で暮らしているといわれるガザで、「幼子5人を養い育てる」父親としての責務と、「伝えなければ」というジャーナリストの魂とのジレンマと闘うイハーブ。その言葉と生き方は、はるかに恵まれた環境下の私たち日本のジャーナリストに、「誰のために、何のために“伝える”のか?」というジャーナリズムの原点を問いかけている。
(写真:国境デモを取材するイハーブ/本人提供)
【「週刊金曜日」(2019年9月13日号)掲載記事に加筆】
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