Webコラム

日々の雑感 382:
日本人が観るべき映画『太陽がほしい』

2019年10月1日(火)

異次元の衝撃

 今年、「慰安婦」問題をめぐる議論を撮った映画『主戦場』が大きな話題になった。「慰安婦」問題の核心に迫る素晴らしいドキュメンタリーだった。手法が斬新で、その迫力に圧倒された。
 しかし9月29日に観たドキュメンタリー映画『太陽がほしい』(班忠義監督)は、同じ「従軍慰安婦」問題の映画だが、その衝撃はまったく次元が違った。
 「『慰安婦』とよばれた中国女性たちの人生の記録」であるこのドキュメンタリーは、当事者ではない第三者が「慰安婦問題は実際あったのか、なかったのか」を議論する『主戦場』とは違い、まさに実体験によって心身ともに深い傷を背負いながら数十年を生きてきた当事者の“声”と“生”が観る者に迫ってくる。「慰安婦問題は実際あったのか、なかったのか」といった議論など吹っ飛んでしまう、生々しい現実を突きつけられるのだ。
 「凄い! よくここまで記録したものだ」というのが、同じドキュメンタリストとして、また数年前に韓国の元「従軍慰安婦」たちのドキュメンタリー映画『“記憶”と生きる』を制作した者としての私の率直な感想である。
 この種の記録は、本来なら加害国のドキュメンタリストがやるべき仕事だと私は思っている。それは加害国の国民の一人としての責務だし、また被害国のドキュメンタリストの記録は、えてして自国の加害を否定する者たちから「プロパガンダ」と揶揄され攻撃されがちだからだ。
 しかしこの『太陽がほしい』は、日本人のドキュメンタリストには作れない映画だ。言葉が通じる同胞であり、蔑み憐れむのではなく一人の人間として向き合い、彼女たちに起こったことへ激しい怒りと、被害女性への深い同情に駆り立てられ、記録し伝えようとする班忠義監督だったからできた偉業だ。それを感じ取ったからこそ、被害女性たちは心を開き、思い出したくもない悪夢のような体験をカメラの前で語ったのだと思う。映画のなかで、久しぶりに再訪する班忠義監督を迎える被害女性たちの喜びの表情と言葉がそれを如実に語っている。
 この映画は1990年代初頭から始まり、2010年代までの20数年間に撮影された映像で構成されている。何が班忠義をそれほど長期にわたって被害女性たちを追わせたのだろう。
 私たちドキュメンタリストは、一つの取材テーマをみつけると、ある一定期間(長くて数年)取材して記録し、ドキュメンタリー映画や著書を完成させる。すると次のテーマを探し、その取材・記録に奔走していく。班忠義のように、「中国で『慰安婦』にされた女性たち」という一つのテーマを20数年にわたって追い続け、記録作品としてまとめる例は少ない。その取材対象に自分の人生をからませるほどの深い関わり方ができないと物理的にも精神的にも持たないからだ。
 『太陽がほしい』という映画に、私は「記録を残すとはどういうことか」「ドキュメンタリストは取材対象とどう向き合い、関わっていくのか」という、記録者としての自身の基本的な姿勢を問われているような気がした。

なぜ加害が語れないのか

 9月29日(日)、『太陽がほしい』を「横浜シネマリン」で観たとき、日曜日の夜なのに、100席ほどの劇場で観客は私と連れ合い、そしてもう1人の3人だけだった。
 東京の映画館で8月に公開されたときは満席が数日続いたが、その後は客足が途絶えたと聞いた。同じ「慰安婦問題」の映画『主戦場』は、あれほど話題になり記録的な観客数となったのに、当事者たちの記録映画は、なぜこれほど注目されないのだろうか。
 私は、根本の原因は「日本人は自国の加害歴史を直視できない」ことにあるのだと思う。「あいちトリエンナーレ2019」の「表現の不自由展・その後」中止問題(9月30日に再開が決まったが)も韓国の「徴用工問題」に対する日本政府の対応にしても、根っこはそこにあるのだろう。
同じく戦争時の加害歴史を持つドイツと比較すると、それは顕著だ。
 ドイツの首都ベルリンの街中に、「虐殺されたヨーロッパのユダヤ人のための記念碑」という追悼石碑が立ち並び、そこに年間50万人の市民が訪れるという。
 一方、日本には各地に自国の戦争被害者の慰霊碑は無数あっても、南京虐殺をはじめ、日本の加害の被害者たちの慰霊碑は見たことがない。「“被害者意識”を高めることで、“加害者意識”を覆い隠し、見えなくしているのではないか」とさえ思えてくる。
 為政者たちとそれに連なる人たちは「愛国心」奨励のために、日本の歴史の“いいとこ取り”をして、「こんな素晴らしい歴史を持つ祖国・日本を誇れ」と叫ぶ。一方で日本の歴史の恥部、加害歴史を明らかにしようとすると、「サヨク」「アカ」「非国民」と激しく罵倒し攻撃する。
 しかし、親が我が子を愛するとき、その子の「いい所」だけではなく、「欠点」「恥部」を含め丸ごと引き受けるように、「国を“愛する”」ということは、祖国の加害歴史という恥部をもまるごと引き受け、そういう過ちを二度と祖国が起こさないように国民の一人として尽力することではないのか。自国の加害歴史をも丸ごと引き受ける覚悟もない者たちが、「国を“愛せよ”」と叫ぶのはおかしくないか。
 『太陽がほしい』は、日本では大ヒットは難しいかもしれない。しかしこの映画は50年後、100年後まで残り、「歴史の記録」として高く評価されるにちがいない素晴らしいドキュメンタリー映画だ。
 経済的な困難や様々な障害を乗り越えて、20数年にわたって記録し続けた班忠義監督に、同じドキュメンタリストの一人として、私は心から敬意を表したい。

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