Webコラム

日々の雑感 386:
被災者・藤島昌治さんの死

2019年12月27日

余命6ヵ月

 ドキュメンタリー映画『福島は語る』の第二章「仮設住宅」で紹介した藤島昌治さんが、今年10月の山形国際ドキュメンタリー映画祭からの帰路、新幹線の中の私に突然、電話をしてきた。1年以上、連絡がなかった藤島さんからの突然の電話に驚いた。
 「新しい詩集を出すから、読んでほしい。できれば、俳優の高橋長英さんにも読んでほしい」という内容だった。
 「出版社から取り寄せて読ませてもらいます」と答えて電話を切った。

 それから1カ月半後、映画の出演者の一人、村田弘さんからメールが届いた。フクシマと深く関わる作家の渡辺一技さんの通信が添付されていた。その中に、「藤島さんがすい臓がんで、余命6ヵ月」と書かれていた。
 私は仰天した。そしてあの時の電話の意味をやっと理解した。藤島さんは、ほんとうは私にそのことを告げたかったのだ。
 なぜ藤島さんは電話でそのことを私に告げなかったのだろうか。私の口調が言い出しにくい雰囲気を醸し出してしまっていたのだろうか。

 私はすぐに藤島さんに電話をした。電話口の藤島さんの声は、1年前と同じ、明るい元気な声だった。自身の病気のこと、そして余命のことをその明るい声で私に淡々と語った。
 「9月に余命6ヵ月と言われたんですが、3ヵ月経った今も、まだ元気です」

 私は「近いうちに見舞いに行きます。今の思いを詩に書き綴ってください」と言って電話を切った。その元気な声に、「もうしばらくは大丈夫だろう」と安堵していた。

 翌日、藤島さんから新しい詩集が届いた。『色のない街―フクシマからあなたへ』というタイトルで、21編の詩が収められた紺色のハードカバーの薄い本だった。

片道切符

体調を崩して
病院へ行った
何でも 肝臓から出る
胆汁のような物の管が
閉塞しているとのことで
内視鏡手術となった
無事終えて
重湯なんかも
食べ始めて
少し元気が出るかな と思ったら
すい臓癌の宣告を受けた
それが肺にまで転移して
レベル四だと言う

それは予想外のことで
まさか切符が片道だったなんて
まぁ!それは それで
人生こんなものだと
これで良いのだと
破天荒で
やりたい放題の人生は
過ぎてしまえば
辛かったことも しんどかったことも
楽しいものだ
あまり悔いのない人生を
送れたことを嬉しく思う
一人 ひとり 手を握りしめ
お別れと
お礼を言いたいが
纏(まと)めて ありがとう
本当に良い人生だった
みなさんのおかげです

 私は読み終えると、涙がこみ上げてきた。
 この詩集は藤島さんの“遺言”なのだ。

 藤島さんは私の映画の中で
 「あの震災で、自分の人生が終わったと思った」と語っている。
 その後、藤島さんは新潟の三条市など各地の避難所を転々した後、南相馬市の仮設住宅にたどり着く。そこで5年間、自治会長として、仮設住民の世話に奔走する。

出会いと撮影

 藤島さんとの出会いは、福島の知人から紹介された詩集『仮設にて』を読んだのがきっかけだった。仮設住宅で暮らす被災者の心情を、平易な言葉で淡々と吐露するその詩に引かれた。被災者の証言を集めていた私は、その作者にどうしても会ってみたいと思った。

 南相馬市の仮設住宅を出て、福島県南部の塙町にある古民家で暮らし始めた藤島さんを訪ねたのは3年前の2016年8月下旬だった。詩からイメージしていた「小難しい暗い表情の詩人」とは全く違う、「かぼちゃのような顔でいつもニコニコしている」(映画を観た友人)人だった。映画の中の証言は、その時、撮影した映像である。
 その2週間後、藤島さんが暮らしていた仮設を案内してもらった。迎え入れる住民たちの温かい笑顔から、自治会長として慕われていた藤島さんの人柄を知った。
 小高町の自宅跡を案内してもらった時、かつて近所の子どもたちを集めて魚釣りなどいっしょに遊ぶ体験の場「きまぐれ大学」を開講していた自宅前の公園も撮影した。童心を失わなかった藤島さんのその人柄が、純朴な詩にそのまま現れていると思った。

俳優・高橋長英さんの詩の朗読

 その藤島さんの詩を映画『福島は語る』のために朗読してもらう人として、真っ先に脳裡に浮かんだのは俳優の高橋長英さんだった。
 当時、長英さんは、演劇「挽歌」(古川健・作)で、事故前の福島第一原発の現場責任者の主人公を演じた。その主人公は、「生まれ育った大熊を自分のせいで人の住めない町にした」という加害意識に苦悶し、「ホームレス歌人」となる。
 高橋長英さんは、その主人公に成り切るために「フクシマ」を学び、熱演した。

 被災者の心情を綴った藤島さんの詩を朗読してもらうのは、その長英さんを置いて他にないと思った。「非戦を語る演劇人の会」を通して知り合い、個人的なお付き合いをさせてもらっていた長英さんは、私の申し出を二つ返事で快諾した。

 映画がほぼ完成し、公開前に映像を確認してもらうために藤島さんのパートDVDを送った。藤島さんは自分の詩を名優・高橋長英さんに朗読してもらったことが余程、嬉しく誇らしかったのだろう、電話で私にその喜びを伝えてきた。

間に合わなかった計画

 藤島さんが余命数ヵ月と聞いたとき、「藤島さんを長英さんに直接会わせ、目の前で新作の詩を長英さんに朗読してもらったら、藤島さんはどんなに喜ぶだろう」という思いが浮かんだ。
 さっそく長英さんに私の思いを伝えると、「スケジュールが合えば、ぜひ」と長英さんは答えた。
 そして12月16日に、南相馬市原町の病院に入院している藤島さんを二人で見舞うスケジュールが決まった。「突然二人で訪ねて、藤島さんを驚かせてやろう」と訪問予定日の直前まで連絡しなかった。そして2日前の12月14日、私たちの見舞い予定を知らせるべく、私は藤島さんに電話をかけた。
 しかし電話口に出たのは藤島さんではなく、「臨床心理士」を名乗る人だった。私が名前と要件を伝えると、電話口の相手は、「実は、藤島さんは12日の深夜に亡くなられました」と私に告げた。「えっ!」と叫んで、しばし言葉を失った。余命宣告までまだ3ヵ月はあると元気な声で言っていたあの藤島さんがこんに早く急死するなんて……。「ああ、間に合わなかった……」と私はつぶやいた。

 長英さんに連絡し相談して、「とにかく予定通り福島へ行き、葬儀に参列しよう」ということになった。
 12月17日、私が運転する車で、長英さんと福島市内から南相馬市原町の葬儀場へ向かった。雨だった。
 葬儀場の正面には、たくさんの花に囲まれたあの「かぼちゃのような顔でいつもニコニコしている」藤島さんの大きな写真が飾られていた。大きな会場だったが、参列者は二十人にも満たない数だった。喪主は藤島さんの詩に登場するお姉さんだった。仮設を出た藤島さんが福島南部の塙町に移り住んだのは、この町に住む病気がちだったこのお姉さんの世話をするためだったと藤島さんから聞いていた。

強がり

不自由はないか
ごはんはちゃんと食べているかと
仮設ぐらしのボクを気遣って
姉が訪ねてきた
辛いのはボクだけじゃない
心配はいらんと
迷惑そうに言うと
元気でいろと言って
帰っていった

折角 弁当をつくってきてくれた
姉に邪険にふるまって
ごめんなと思いながら
強がらなくては
心も折れそうな仮設住宅

ボクは泣きながら
弁当をひらく
何故か懐かしいと思ったら
お新香も
煮物も
ポテトサラダも
亡くなった母の匂いがした
うれしいと寂しいと
懐かしいを
弁当と一緒に飲み込んで
まだまだ
がんばってやる
がんばってやると
ひとり小声でつぶやく

詩集『仮設にて』より

 そして遺稿集『色のない街―フクシマからあなたへ―』へ中でも、藤島さんはそのお姉さんのことをこう記している。

セレモニー

ひとりぐらしの
パーキンソン病を
患っている姉に
少し元気になったら
付けてあげようと思っていた
BSのアンテナを
無理をして
脚立の昇り降りを繰り返し
やっとの思いで取り付けた
入院する前日のことである
無謀と言うしかない
その姉が
息子に連れられて
見舞いに来た
不自由な身体で
身の回りの用意をしてきてくれた
しばらしくて
BSはどうと聞くと
『韓ドラ』が見られたと笑った
帰る段になって
息子に促されても
なかなか 椅子から立ち上がろうとしない
何度か促されて
やっと立ち上がったが
じっとボクを観て
長い沈黙が過ぎた
別れのセレモニー
だったのだろうか

 葬儀の間中、お姉さんは何度も何度もハンカチで涙を拭き、納棺の直前まで、棺の中の藤島さんの顔をじっと見つめていた。

 納棺の前に私はやっと藤島さんと対面した。2年ぶりだった。「かぼちゃのように」ふっくらしていたあの藤島さんの顔は驚くほど小さくなっていた。口から食べられなくなった後も栄養剤の投入はせず、緩和ケアだけだったという。
 その藤島さんに私は心の中で語りかけた。
 「ほら、藤島さんが会いたがっていた高橋長英さんを連れてきましたよ。間に合わなくてすみません……」

ありがとうしか言えない

会いに来てくれて ありがとう
手を握ってくれて ありがとう
いつも力になってくれてありがとう
いつも優しくしてくれてありがとう
一緒に笑ってくれてありがとう
一緒に泣いてくれてありがとう
いつも応援してくれてありがとう
ありがとうしか言えない

ありがとう

遺稿集『色のない街―フクシマからあなたへ』より」

 藤島さん、あなたのことは映画『福島は語る』で伝え続けていきます。
 藤島昌治さん、出会わせていただいて、ほんとうにありがとうございました。

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