2020年1月8日(水)
シリア内戦のドキュメンタリー映画は、これまで何作も日本で紹介されてきた。しかしこの映画は、私が観た映画の中でも突出したドキュメンタリーである。
シリア政府軍の包囲、激しい砲撃とロシア戦闘機による爆撃で、次々と市民が負傷し、死んでいく。その被害の実態が凝縮して見える病院を舞台に、20代の女性映像ジャーナリストがカメラを回し続ける。そのカメラに映し出されるのは爆撃や運ばれてくる死傷者たち無残な姿や家族らの泣き叫び声だけではない。病院という狭い空間の中で、その若い女性ジャーナリスト自身の恋と結婚、そして妊娠と出産など自身の「人生そのもの」(女性映像ジャーナリスト)が撮られている。そしてこの映像は、この「戦場で生まれた」娘サマ(アラビア語で「空」の意)のために、サマに語りかけるかたちで進行していく。
この映画が、私がこれまで観た他のシリア内戦ドキュメンタリー映画と決定的に違うのは、戦場の悲惨な極限状況を、ジャーナリストという「観察者」の目ではなく、「革命運動の同志」として、「病院で治療に奔走する若い医者である夫の妻」として、さらに「自分の命以上に愛しい娘の母親」としての当事者の立ち位置と視点から撮られている点だ。だから、その映像には自分に最も近い人間たちへの“深い人間愛”が映し出されている。しかも戦場という極限状況の悲惨さが、その“深い人間愛”をいっそう際立させている。「こんな悲惨な状況でも、人間はこうも強く、優しく、美しいものか」と。
次々と幼子や女性たちが死んでいく病院で、重症を負った妊娠9ヵ月の母親から帝王切開で取り出された仮死状態の嬰児が、医者たちの必死の治療で奇蹟的に蘇生するあの瞬間の“命の神々しさ”。
爆撃音が鳴り響く包囲下で物資や水、電気が窮乏する中でも、笑いを絶やさない母親、子供たちと夢中になって遊ぶ父親。絶望的な状況でも、人間性と愛を失わないその強靭さ。
権力維持のために自国民を虫けらのように惨殺する為政者と、その政権を支えるために爆撃で無辜の住民を虐殺するロシア空軍機。 人間の“残忍さ”と“醜悪さ”を象徴し体現する存在と、その対極にある、空爆下で必死に生き延びようとする人たちの“人間性の輝き”。
この映画は「戦争の悲惨さ」を記録しただけの映画ではなく、紛いもなく、「人間の優しさ、強さ、美しさ」を映し出した“人間賛歌”のドキュメンタリーである。だからこそ、観る者の心をこれほど深く揺さぶるのだ。
「ドキュメンタリスト」としての自分の仕事と在り方に行き詰っていた私は、67歳の誕生日に、「ドキュメンタリー映画」の一つの“光”を見せてもらった。
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