2020年1月13日
今年もたくさんの「誕生日お祝いのメッセージ」ありがとうございました。
お礼が遅れたのは、「メッセージ」が他のファイルに紛れ込んでいたため、確認できなかったためです。
また寿命が一年短くなりました。
去年も夏に2ヵ月ほどパレスチナを取材しました。この数年の恒例になっています。しかしいくら取材しても、結果をテレビで放映する機会もなく、赤字は募っていくばかり。今、日本ではメディアも社会も、「戦争」のようなセンセーショナルなニュースもない遠い“パレスチナ”には見向きもしません。とにかく爆撃、砲撃、銃撃などで人がたくさん死傷しないと「伝えるに値するニュース」にならないのです。そして報じられなくなると、そこには「平和が戻った」と勘違いするのです。
しかし現地で生きる人たちにとって、そういう“直接的な暴力”と同じくらい、ある意味ではそれ以上に苦しいのは、「人が人間らしく尊厳を持って生きていける生活の基盤を破壊される」“構造的な暴力”だと私は考えています。戦争は一過性でも、その“構造的な暴力”は世界がまったく注目しない中で、まるで真綿で首を絞めるように、ずっと続いていくからです。
それは戦争のようなセンセーショナルな事件が起きた時だけ現場に駆け付けるような取材では見えてきません。「何も事件が起こっていない」ように見える「平穏な日々」の中にこそその実態が見えてきます。しかし、そんな“構造的な暴力”は派手さはなく「視聴率」も稼げないので、なかなか伝えてくれるメディアがありません。「そんな遠い国の人の日常生活なんて日本人は関心ありませんよ」と冷笑され、突き放されるのです。だから取材も元が取れず、赤字続きになる。
そこまでしてなぜ通うのかとよく問われます。それは、そんな極限の状況の中でこそ、虚飾のない、むき出したの人間の“素”が見えてくるからとでも答えましょうか。人間が“生きる”上で大切なものは何か、人の幸せとは何かといった根源的な問いを現場で生きる人びとに突き付けられのです。そんな“金では買えないもの”を現地の人たちからもらっている気がします。
ジャーナリストという仕事を初めて、もう30数年になりますが、やっとこの頃、この仕事で自分がやるべきことがぼんやり見えてきました。それは「事件」「事象」を伝えるのではなく、“人間”を伝えるということです。日本人にとって遠い国であっても、そこで生きる“人間”を深く伝えれば、つまり“人間”として普遍的なテーマに触れるような伝え方ができれば、「問題」に関心のない日本人も、きっとその現地の生きる人たちの姿という“鏡”に、自らの生きる姿を映し出すことができる。そんな伝え方をすれば、「遠いパレスチナ」もきっと日本人の一人ひとりにもっと近づいてくるはずです。
『福島は語る』という映画は、それにチャレンジした最初の映画でした。そしてこれまでにない手応えを感じました。私が進むべき道はこの方向かもしれないとぼんやりと見えてきた気がします。
67歳になった今、残された人生はもう長くはありません。もう右顧左眄する余裕はありません。私に残された道は、限られた能力ではあっても、持っているものを最大限に使い切り、限られた残り時間を疾走するしかありません。
2020年1月13日(誕生日から5日後に)
→ 次の記事へ
ご意見、ご感想は以下のアドレスまでお願いします。