Webコラム

日々の雑感 389:
映画『福島は語る』のアメリカ上映ツアー

2020年3月5日


(写真:カルフォルニア州立大学サンディエゴ校での上映会 2020年2月11日)

カルフォルニア大学3校からの招待

 「字幕を嫌うアメリカ人が証言のドキュメンタリー映画を2時間以上も観続けることができるのだろうか」
 アメリカ西海岸の大学での『福島は語る』上映ツアーの話が浮上したとき、私はまずそう思った。しかしカルフォルニア州立大学のサンディエゴ校、アーバイン校、そしてバークレー校が合同で2月に私を招待する具体的な計画を提示してきたとき、「怖いけど、やるしかない」と腹を括った。
 仕掛け人がいた。『福島は語る』の英語版を制作したロサンゼルス在住の日本人Tさんである。映画『福島は語る』の劇場公開を開始したばかりの2019年の春、Tさんは突然、私にメールを送ってきた。
 「予告編を観ました。ぜひ英語版を作らせてください。ボランティアでやります」という内容だった。
 まったく知らない人からの突然の申し出に、私は戸惑い、その目的を訝(いぶか)った。カルフォルニア州立大学ロサンゼルス校で教える知人の日本人教授に問い合わせると、「会ったがことあり、信頼出来る人です」という返事だった。
 英語版制作を申し出てきたTさんは、さらに「一回だけロサンゼルスで無料の上映を許可してもらえれば、あとは映画に関する権利などは一切要求しません。その誓約書も書きます」というメールも送ってきた。私はもう断る理由はなかった。
 『福島は語る』英語版は2019年夏に完成し、直後の9月に初めてロサンゼルス市で公開された。2時間50分間、テロップを読み続けなければならない英語版『福島は語る』の上映で、参加した70人ほどの観客はほとんど最後まで見続け、上映後、活発な意見、感想、議論が出て盛り上がったとTさんは報告してきた。
 この上映会に手応えを感じたTさんは、さらに大学での上映のためにカルフォルニア州立大学の教授たちにアメリカでの上映ツアーを呼び掛けた。映画のDVDを観た教授たちはその計画の実現のために動き出し、私の上映ツアーが実現することになったのである。
 その後、スタンフォード大学とロサンゼルス郊外のクレアモント・カレッジも加わり、結局、5つの大学で『福島は語る』は上映されることになった。


(写真:バークレー市内での上映会 2020年2月16日)

powerful film(力強い映画)

 アメリカ上映では、上映後に質疑応答の時間を十分に取るために、劇場映画版から第一章「避難」、第二章「仮設住宅」を割愛した2時間10分の短縮版を上映した。
 各大学での観客は数十人程度だったが、日本文化や日本語を学ぶ学生や大学院生、さらに教員たちが多く、当然「フクシマ」を知っていて、その関心も高かった。
 上映後の質疑応答で、多くの観客から「powerful film(力のある映画)」という感想が出た。字幕であっても被災者たちの“言葉の力”が伝わったのだという手応えを感じた瞬間だった。「字幕を嫌うアメリカ人が、証言だけの映画を2時間以上も観続けることができるのだろうか」という心配は杞憂だった。
 観客からの質問に、私は直接、英語で答えた。限られた時間の節約にもなるし、何よりも通訳を通す時にいつも感じる、自分の真意が伝わらない隔靴掻痒のもどかしさを避けるためである。たとえ拙い英語であっても、懸命に伝えようする表情と言葉のトーンから私の真意と熱意は伝わるはずである。
 質問は多岐にわたった。
 「制作の動機は何だったですか?」「長いインタビューの中からどのように映画の中の証言を選んだんですか?」「なぜ章を設けたんですか?」
 私はこう答えた。
 「私はドキュメンタリストとして、“被災者たちの証言を歴史の証言として記録しなければと思いました。そして東京オリンピックに浮足立ち、『フクシマは終わったこと』と忘れ去ろうとする国民に、いまなお癒えない“心の傷”に苦しむ被災者たちの“声”を突き付けたいと思いました」
 「300時間近い証言の中から、『問題』を語る証言をできる限り避け、私自身の胸に響く“心の声”を選び抜きました」
 「章ごとに分けたのは、証言者ごとに並べるとどうしても内容が重複してしまうからです。それを避けるために、証言者にそれぞれ語るテーマを役割分担し、各証言者の多岐にわたる語りから、その役割の部分だけを抽出すれば、重複感は無くなると考えたからです」
 どの大学でも出た質問の一つが、「どうやって、被災者たちの“深い思い”を引き出せたんですか?」という問いだった。
 「それはテクニックではありません」と私は答えた。「もし相手に『裸』になってもらいたいのなら、まず自分が『裸』にならなければなりません。私はインタビューする相手にできるだけ自分自身をさらけ出します。過去の挫折や醜部を含めてです。そして私が相手から何を、なぜ聞きたいのかを懸命に伝えます。そして私の熱意と誠意を相手にぶつけます。インタビューというのは私という人間の全人格を相手にぶつける“総力戦”だと思います。
 インタビューされる人は、インタビューする相手を鋭く観察します。どういう人間であるのか、どの程度の誠意と熱意を持っている人間か、どこまで信用・信頼できる人間かをです。そんな相手に対して取材する側が、自分の精一杯の誠意と情熱をぶつけるしかありません。文字通り、“全人格”で向き合うしかないのです。
 もし私に何か特質があるとすれば、それは私が過去に多くの挫折を体験し、深い“傷”を抱えていることだと思います。相手の語る“傷”に触れるとき、私のその“傷”が疼(うず)くんです。それは自然と私の表情や言葉に現れ、相手に伝わる。そして『この取材者は、私の“傷”を感じ取り、受け止めてくれるかもしれない』と相手が感じたとき、その人から深い思いがあふれ出てくるのかもしれません」

「フクシマ」の普遍化

 バークレー校ではこんな質問が出た。
 「あなたは、『この映画は反原発を訴える映画ではない』と言いますが、この映画は明らかに『反原発』の映画です。この原発をめぐる現状を変えるために、どうして政府や東電にストレートに訴える映画にしなかったんですか?」
 私は答えた。
 「フクシマに関する映画はすでにたくさんあります。『原発問題』を描いた映画、『原子力産業の構造』を語る映画『放射能の危険性』を訴える映画……。それぞれに各々の役割があります。
 ただ私の映画の役割は、いわゆる『原発問題』を伝えたり、『反原発』を訴えることではありません。被災者一人ひとりの“深い思い”、“痛み”を観客に伝える映画です。だから、私はこの映画から『原発問題』『反原発』の主張をできる限り削除しました。
 私は映画『福島は語る』を『反原発』支持の人たちに限らず、様々な層の人たちに観てほしかったのです。『問題』を真正面から語られると、引いてしまう人は少なくありません。拒絶反応を示す人さえいます。
 私は、“人間”が関心を持つのは『問題』ではなく、“人間”だと考えています。だから『問題』を描くのではなく、“人間”を深く描くことだと思います。私はそれを30数年のパレスチナ取材体験の試行錯誤から学んできました。その“人間”を語る言葉を選び抜くことが、今回の映画作りで最も留意した点です」
 「この映画の核は『喪失』の章に登場する、息子を失った杉下初男さんです。杉下さんは長いインタビューの中で一言も『原発』については言及しません。語られるのは、失った石材加工の仕事や故郷・長泥筑や実家のこと、そして亡くした息子のことだけです。
 しかし観客は杉下さんの証言の背後に、彼をあそこまで追いやった『原発』『原発事故』に思いを馳せ、激しい怒りを抱くはずです。つまり杉下自身が『原発への怒り』を語るよりもいっそう強く、観る人はその思いを抱くはずです」
 5回の『福島は語る』上映のトークで私が特に強調したことがある。それは、この映画を通して私は「フクシマ」の特殊性を超えて、「フクシマ」を“普遍化する(universalize)”ことを願ったことである。
 「この映画は観客一人ひとりが自分自身を映し出す“鏡”です。映画の中の証言を聞きながら、観客はその証言の“鏡”に自分自身、自身が抱える問題を映し出すはずです。私は編集の中でそういう“鏡”となる言葉を選び抜きました。つまり『問題』ではなく、“人間”を表出する言葉です。『人の幸せとは何か』『尊厳とは何か』『家族とは何か』『生きるとはどういうことなのか』といった人間にとって普遍的なテーマを観聞きする人に問いかけてくる証言です。そうすることで『フクシマ』は“普遍化”されるはずです」
 「字幕を読み続けなければならない2時間を超える証言ドキュメンタリーが、海外で通用するのか」という当初の不安は、このアメリカ上映ツアーで解消された。「フクシマの証言者たちの“言葉”は日本語を解せない人たちにも伝わる」という手応えを得た。それが今回の『福島は語る』アメリカ上映ツアーの最大の収穫だった。
 もちろん、それは映画を制作した私の力ではない。長年じっと胸にしまい込んでいた心情を、血を吐く思いで吐露した証言者一人ひとりの“言葉の力”である。

『福島は語る』公式サイト
『福島は語る』公式サイト

(2020年3月現在、まだまだ上映中です。自主上映会も募集中です。個人的な上映会も可能)

次の記事へ

ご意見、ご感想は以下のアドレスまでお願いします。

連絡先:doitoshikuni@mail.goo.ne.jp

土井敏邦オンライン・ショップ
オンラインショップ