Webコラム

日々の雑感 392:
映画『ショアー』から何を学ぶか(前編)

2020年6月19日(金)

9時間半の超大作

 いわゆる「証言ドキュメンタリー映画」について改めて学ぶために、過去の名作を見直すことにした。
 真っ先に選んだのが、ホロコーストに関する長編ドキュメンタリー映画『ショアー』(クロード・ランズマン監督)である。上映時間9時間30分の超大作だ。20数年前にNHK・BSで全編が放映されたときに、断片的に観た朧気な記憶がある。幸い、当時、録画していたDVDが手元に残っていた。
 全編を観終わった直後、映画の中の全証言をまとめた書籍(『SHOA』(クロード・ランズマン著/作品社/1995年)や日本上映時の映画パンフレット、ランズマン監督が来日した1996年にNHKで放映された「未来潮流 ―記録することの意味―」(1996年8月24日放映)のDVDも手に入れた。それらの資料で映画の背景をつかんだ後、もう一度、全編を見直した。

 私自身が今後、「証言ドキュメンタリー映画」を制作する上で、この『ショアー』から学び、記録しておきたい事柄を列記していこうと思う。

衝撃の証言

 映画に登場する数十人の証言者の中で、とりわけ衝撃的な語りが二つある。
 一つはトレブリンカ収容所からの生還者で、ガス室で殺される直前の女性たちの髪を切ることを命じられた元理髪師、アブラハム・ボンバ。
 イスラエル在住のボンバはすでに理髪師を引退していたが、当時のことをより鮮明に思い出させるために、ランズマン監督はボンバに理髪店に連れてき、実際に客の髪を刈らせながら語らせる。当時と同じようにハサミを動かす手の動きを再現することで、当時の記憶をより鮮明に呼び起こさせるためである。
 ボンバは流暢な英語で、ガス室の中で女性たちの髪を切る様子を詳細に淡々と語りはじめる。しかし自分の故郷の町から運ばれてきた女性たちがガス室に入ってきて、その中に、一緒にガス室で女性の髪を刈っている理髪屋仲間の妻と妹がガス室に入って来た時の様子を語り始めた途端、ボンバの言葉は途切れる。長い沈黙が続く。それでもカメラはボンバの顔から離れない。じっと涙をこらえ、絶句したボンバをアップで映し出す。
 その顔の画面の後ろでランズマンが促す。
 「話をつづけて、エイブ。つづけてほしい。ぜひとも、頼みますよ」
 すると、ボンバは呻くように言う。
 「ひどすぎる……」
 (ランズマン)「ぼくらはそうしなければならないんです。わかっているでしょう」
 (ボンバ)「どうにも無理だ」
 (ランズマン)「頑張ってほしい。どんなに、つらいかは、わかります。申し訳ないと思うけど……」
 (ボンバ)「これ以上は、勘弁してくれ……」
 (ランズマン)「お願いします。何とかつづけてください」
 (ボンバ)「言ったとおりだ。やはり、今日は、つらい日になった」

 しばし沈黙した後、ボンバはタオルで涙を拭き、自分を鼓舞するように言う。
 「よし、つづけよう」

 そしてボンバは一気にその時の様子を語るのだ。
 「彼(注・友人の理髪師)は、二人に話しかけようとしたが、奥さんとその妹、そのどちらにも、今が、人生最後の瞬間だとはどうしても言えなかった。というのも、後ろにナチが、SS(親衛隊)隊員が立っていたからだ。一言でも、口にしたが最後、死を直後にひかえた、この二人の女性と運命を共にすることになると、はっきりわかっていたからだ。
 しかし彼は、ある意味で、二人のために、できるかぎりのことはしたのだった。一秒でも、一分でも長く、二人と共にいようとした。ただただ、彼女らを抱きしめて、キスをするために。
 これが最後の見納めと、わかっていたからだ」

 最初のシーンからこの証言の最後まで18分10秒。カメラは、髪を刈りながら動くボンバの顔を姿を追い続ける。動きながら語り、言葉を詰まらせ、そして沈黙し、苦渋する、その刻々と変わるボンバの表情を一瞬たりも逃してはならないという緊張感。三脚を使っていても18分近くその集中力を保つことがどれほど困難なことか、映画制作でカメラを回してきた私自身の体験からわかる。監督の執念が、撮るカメラマンにも乗り移っったかのような凄いカットだ。
 この証言は、ホロコーストのどんな記録映像よりも、その残酷さ、非情さを後世に伝え続ける記録映像の一つとして永久に残っていくことだろう。

 もう一つは、アウシュヴィッツ収容所の〈特別労務班〉で五度にわたる抹殺処分を生き残ったチェコ系ユダヤ人、フィリップ・ミューラーの証言だ。
 私は、これまで見た記録映像や写真、読んだ書籍で、「アウシュヴィッツ」のことは幾分知っているつもりでいた。しかし死体処理を担わされた「特別労務班」のミューラーが語る、そのガス室殺害現場の生々しい目撃証言に私は圧倒され言葉を失った。私は「アウシュヴィッツ」の実態を、実は何もわかってはいなかったのだ。

 「ガスによる死は、およそ10分から15分かかります。最も、恐ろしい瞬間は、ガス室を開ける時で、顔をそむけたい、あの光景が、嫌でも目に入ります。人々の肉体は、玄武岩というのでしょうか、まるで石の塊のように、一つに凝固しています。そして、そのまま、ガス室の外に、崩れ落ちてくる! 何度も、私は見ましたが、これほど、つらいものはない。これだけは、決して慣れることはない。どうしても無理でした」
 「実際に目にしないかぎり、わからないでしょうが、投げ込まれたチクロンガスは下から上へと、拡散していくものです。すると、その時、世にも恐ろしい闘いが始まるのです。……闘いとしか言いようがありませんね。ガス室内の照明が切られ、真っ暗で、何も見えなくなります。すると、力の強い者は、もっと高く上って行こうとする。空気にありつけ、それだけ、呼吸が楽になる、と、感じたのでしょう。(中略)死に物狂いの闘いの中で、つらぬかれる抑えがたい本能とでもいったものでしょうか。そのために、子供や、力の弱い者、老人たちは、下の方に倒れ、最も体力のある者が、上に、のしかかることになります。というのも、生きるか……、死ぬかの闘いの中では、父親は、わが子が、自分のうしろに、いや、自分の下にいることも、気づかなくなるのですから……」
 「人々の肉体はといえば……、そうです、傷だらけでした。というのも、闇の中で、互いにはげしくぶつかりあい、もがきあったからです。死体は、きたなく汚れ、糞まみれになっています。耳からも鼻からも、出血して、全身が血まみれです。
また、こんなところも、見ました。床に倒れた人々が、上になった人から押しつけられたためでしょうか、すっかり見分けがつかない状態になっているんです。たとえば、子供たちの頭蓋が砕かれていたり……。
 吐瀉物もありました。出血もしています。耳と鼻からですが……。もしかすると、経血だって。いや、もしかじゃなく、間違いなしに!この闘いの中では、何もかも、身の毛のよだつ眺めです」

 ミューラーはまた、「他の収容所に移動させる」とSS(親衛隊)に騙されてガス室前の脱衣場に導かれた〈家族収容所〉のユダヤ人たちの最後の様子をこう証言している。
 「この、かつてない、激しい状況が頂点にまで達したのは、連中がむりやり、服を脱がせようとした時でした。従う者もありましたが、ほんの少数、片手で数えられるほどの人だけでした。ほとんどの人が、この命令を拒否しました。そして、突然、合唱が、わき起こったのです。合唱の声が……。はじまった歌声は、脱衣場の隅ずみまえに満ちあふれました。チェコの国歌が、それから、〈ハティクヴァ〉(「希望」、後にイスラエル国歌となった)が響きわたりました。私は、身がふるえんばかりに、感動しました。この……、この……、〔涙声〕……だめだ。やめましょう!
 このことは、いいですか。私の同郷人、同国人たちに起こったんですよ……。その時、私は悟ったんです。私の生命(いのち)には、もう何の価値もない、と。生きて、いったい何になるのか? 何のためなんだ? それで、私は、あの人たちといっしょに、ガス室に入ったんです。あの人たちといっしょに。
 すぐさま、私に気づいて、何人かが、近寄って来ました。仲間の錠前屋といっしょに、〈家族収容所〉に、何度か行ったことがあったからです。一群の女性が近寄って来ました。私を見つめると、こう言いました。『ここはもう、ガス室の中でしょう?』ガス室の中です。すると、女性の一人は、なおも言いました。『じゃあ、あんたも、死のうというのね? でも無意味よ。あんたが死んだからといって、私たちの生命が生き返るわけじゃない。意味のある行為じゃないわ。ここからでなけりゃだめよ、私たちのなめた苦しみを、私たちの受けた不正を……、このことを、証言してくれなければだめです』」

 それから40数年後、ミューラーは、ガス室で死んでいったその女性の言葉通り、ランズマン監督とカメラの前で証言し、約束を果たすのである。

証言者探し

 語られるその言葉の中に、証言者自身の体験、生きた軌跡、背負っている心の傷がどれほど深く、また鮮烈に投影されているかで、証言の“言葉の力”が決まり、それをどこまで引き出せるのかが聞き手・監督の“力量”と“人間力”なのだということを、私は映画『ショアー』で思い知った。

 また映画『ショアー』は、「証言ドキュメンタリー映画の成否は、聞く者の心に届く言葉を吐露する証言者を見出し、どう語られせるかどうか、に懸っている」ことも教えてくれる。
 ホロコーストからすでに30年以上の時を経て、映画制作を開始したランズマン監督にとって、その“生き証人”を見つけることが最大の難題だったにちがいない。
 元々、「絶滅収容所」から生還できたユダヤ人はほんのわずかだったはずだし、たとえ生還できたとしても30数年という年月の中で多くがこの世を去っていたはずだからだ。
 映画に登場する生存者たちは、ランズマン監督が「偶然に」出会った証言者ではない。まず監督は長い時間をかけて関係本や資料から読み込んでいる。「そこから得た知識で自らを“武装”するためだった」と語っている。それを元に、3年半、14ヵ国にわたって予備調査を行ったのである。
 「例えば、初めてドイツに調査に行くとき、本や資料から得た200人の生存者リストを持っていきました。誰が生きていて、誰が死んでいるのか、どこに住んでいるのかその消息を訪ね歩きました」とランズマンは、「水俣」のドキュメンタリー映画で知られる土本典昭監督との対談で語っている。
 そのような必死の調査によって、ポーランド・ヘウムノの絶滅収容所で送られた40万人のユダヤ人のうちたった2人だけの生存者をイスラエルで見つけ出し、アウシュヴィッツ収容所の〈特別労務班〉で五度にわたる抹殺処分を奇蹟的に生き残った先のミューラーも探し出したのだ。
 この長い年月と根気強い地道な調査によって、これらの生き証人を見つけ出した段階で、ある意味、映画「ショアー」は半分成功したと言えるかもしれない。

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