2021年7月1日
映画『海辺の彼女たち』を観に行くのに、「観たくなくても、観なければ」と自分を何度も言い聞かせなければならなかった。「観たくない」のは、技能実習生の現実の過酷さは報道や私自身の取材体験からわかっていたし、それを改めて映像で見せられたら、暗澹たる気持ちに陥ってしまうことが目に見えていたからだった。
「観なければ」と思い直したのは、「在日ミャンマー人」の取材の一環として、インタビューしたミャンマー人技能実習生たちをどう描き伝えていくか、そのヒントが得られるのではないかと考えたからだった。
やはり「暗い映画」だった。描かれている3人のベトナム人女性の技能実習生たちの実態だけではない。舞台となる青森県の僻地の暗く閑散とした冬景色が映画をいっそう「暗く」する。休日もなく15時間の長時間労働に耐えかねて前の職場から逃げ出してきた3人の実習生にはパスポートも健康保険もない。一人の女性の妊娠が判明し、堕胎すべきか迷いながら、ブローカーに多額の金を出して作った偽の身分証明書と保健証をもって恐る恐る病院を訪ねる。偽ものとわかれば、本人だけではなく、いっしょに逃げてきた他の2人も捕まって帰国させられかねない。でもこのまま子どもを生むわけもいかない。その不安と葛藤をかかえて実習生は雪が降りしきる田舎道を彷徨う。
この映画でいちばん驚くのは、劇映画なのにドキュメンタリー映画を観ているようなリアルさだ。現地でのオーディションで選ばれた3人の「俳優」は「演じている」とは全く感じさせない。私たち観客が透明人間となって、その現場に居合わせているような錯覚を起こしてしまうのだ。ベトナム事情に詳しい友人によると、「俳優」のセリフには台本がなく、監督がそのシーンの状況を説明し、「俳優」たちが即興で語り動いているという。あのリアルさはそこからくるのか。しかも手持ちのカメラワークが見事だ。実習生たちの顔のアップがその心情を見事に描き出してみせる。
これはドキュメンタリーではできないだろう。カメラは実習生たちの仕事や生活の現場へなかなか入れない。日本人の雇い主が許さないだろう。また解雇つまり帰国強制を恐れて、実習生たちは現場で本音をさらけ出すことは難しいだろう。技能実習生の現実を伝えるために、この映画のような「劇画」というスタイルをとるのは有効な手段の一つだろう。
しかし一方で、「これは所詮、『劇画』の作りもので、悲劇的にするために誇張されているにちがいない」と観る人もいるだろう。ならば現実を映し出すドキュメンタリーで、この映画ほどの“事実”を描き出せるのか。
私がこれまで観た「技能実習生」に関するドキュメンタリーの中で、最も衝撃を受けたのは、NHK『ノーナレ』の番組『画面の向こう側から―』(2019年6月放映)だった。愛媛県のタオル工場で働くベトナム人女性が過酷な労働条件に耐えかねて、スマホで外部に訴えた。「洋服作り」のはずだった工場は毎日、タオルの縫製に明け暮れた。しかもノルマの数が終わらないと翌朝の4時、5時まで作業させられる。仕事場には窓もなく、昼、夜の区別もつかない。「太陽も月も見ない日」が続く。28人のベトナム人女性に仕切りもない、むき出しの4つのシャワーがあるだけ。「家畜扱いです。社長に一日中叱られる。怖い」と実習生が泣きながら訴える。彼女たちの中の4人が休日にやっと外に出て、NHKディレクターと接触することができた。彼女たちは、スマホで隠し撮りした仕事場の映像を見せながら、涙ながらに過酷な現状を語る。当初聞かされた条件と違うと社長に訴えると、「文句があるなら、帰国させる」と恫喝する。75万円の大金を借金してやっと日本に来た彼女たちは、その借金を返さないうちは帰国もできない。でももう「家畜扱い」に耐えられない。そのディレンマで悩み苦しんだ末、ついに外部に訴えたのだ。
たしかに「海辺の彼女たち」ほどに仕事や生活現場そのものの映像や、「実習生」たちの心情を読み取れる顔アップの映像はないが、その劇映画に劣らない衝撃を受ける。工場内部を隠し撮りした映像と、涙ながらに訴える実習生たちの証言の強さで、視聴者は「技能実習生」の現実を間のあたりにするのだ。何と言ってもドキュメンタリーには、それが「作りもの」ではなく、“現実”であり“事実”であることは絶対的な説得力がある。
いずれにしろ、この二つの映像は、私たちに「技能実習生」の実態の一片を伝える貴重で重要な情報源だ。現在、日本の底辺の労働現場を支えている40万人ともいわれるアジア各国からの「技能実習生」の実態を、私たち一般の日本人はほとんど知らない。「技能実習」とは名ばかりで、3K(きつい、汚い、危険)の仕事、低賃金の単純労働など日本人がやりたがらない仕事を、「技能実習生」たちに低賃金で押し付けている。中には逃げないようにパスポートを預かる職場や、過酷な労働現場の実態が外部に漏れないように携帯電話の使用を禁止する職場もあると聞く。
「洋服作り」と言われて来日したら「タオル縫製」に明け暮れる先のベトナム人女性たちは象徴的な実例だが、私が取材したミャンマー人の「技能実習生」たちには、「塗装技術が修練できる」はずが危険で重労働の「とび職」をさせられ、耐えられずに「仕事を変えてほしい」と訴えると、帰国を迫られた男性、「介護を学べる」はずだった介護施設で、朝から夕方まで重労働の入浴介助だけを1年以上もやらされた女性たちもいた。
オリンピックを機に、外国の選手団を受け入れさせて「国際交流」を奨励する国や地方自治体。その一方で、「技能実習」の美名の下で、経済格差を利用して何十万ものアジアの若者たちに、現在版「奴隷制度」と見紛うばかりの、低賃金の過酷労働を強いる日本。先日、孤立出産で死産したベトナム人女性の実習生を、検察は起訴し有罪にしようとしていると報じられた。現在の日本の産業、経済の底辺が40万人の「技能実習生」によって支えられ、彼らを踏み台にして、私たちは快適な日常を享受している。その現実を顧みることもなく、踏み台となる「技能実習生」たちの“痛み”に想いを馳せることなく、「死産」を断罪しようとするのだ。
この歪(いびつ)な「日本の国際化」の欺瞞を日本人自身に広く知らせる手段として、先の劇映画『海辺の彼女たち』やNHK番組『ノーナレ』(画面の向こう側から―)などは、私たち日本人が「観たくなくても、観なければならない」映像だと思う。
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