2021年7月5日
農家出身でありながら、私は“農業”についてまったく無知だった。原村政樹 監督作品「タネは誰のもの」を観て、私はそのことを思い知った。
「種子法廃止」「種苗法改訂」とは何か、それが日本の農業と農家にどのように影響を与えるのか、私はまったく聞いたこともなかった。正直、映画『タネは誰のもの』を観終わっても、まだよく理解できないでいる。
ただ映画に登場する農家や研究者の言葉から、日本の農業にとって重大で危機的な事態になっていることがわかる。
「いかに日本政府がグローバル種子企業のためにいろいろな便宜供与を連発しているか」「グローバル種子企業は『タネを制するものは世界を制する』ということでタネを自分のものにして、それを買わないと生産できなし消費もできないないようにしたいために、種子法が廃止され、農業競争力強化支援法第8条4項でタネを渡しなさいということまで決めてしまった」(東大教授・鈴木宣弘氏)
「自家増殖を禁止するのは農業をやめろというのと同じ」「日本でサトウキビが壊滅しても、(アメリカで余っているトウモロコシを輸入して砂糖を作れば)いいんだという人がいる気がしてならない」(種子島サトウキビ農家・山本伸司氏)
「農家を保護するための改正ではなくて、農家をやめなさいという改正になっている気がする。(タネは)ある特定の人たちがもつものではなく、みんなのもの。地域で守ってきた訳で、それを一企業がもつのはおかしい」(栃木県の有機農家・古谷慶一氏)
映画の中のこんな声を聴くと、「『知らない』では済まされない、日本の農業の将来を決定づける重大な事態なのだ」と私も実感する。映画『タネは誰のもの』は、メディアでは大きく取り上げられることのないこの“農”の重大な問題を、知らずに見過ごしている私たちを“啓蒙する”ドキュメンタリーである。
この映画も前作と同じく、元農林水産大臣で弁護士の山田正彦氏がプロデューサーとなり、原村政樹氏が監督、撮影、編集した作品だ。
「ラウンドアップ(筆者注・米企業「モンサント」が開発した除草剤)規制緩和、そして表記無しのゲノム編集食品流通への動きとTPPに端を発する急速なグローバル化による日本の農と食にこれまで以上の危機が押し寄せている」(プレス資料)現実を、国内だけではなく、アメリカの農薬反対の運動や裁判の当事者たちにインタビューし、さらに有機農業の現場を訪ねている。また韓国ではオーガニック食品の普及の現場を取材し報告している。
「グローバル化の中で、多国籍アグリビジネスによる食の支配に伴い、危険な農薬で汚染された食品が私たちの暮らしに忍び寄ってくる」(原村政樹 監督)現状を、私はこれほど切実に実感することはなかった。「マスコミはこの現状を正面から報道することはほとんどなく、日本に暮らす私たちの危機感は薄いというのが現状」(プレス資料)という指摘は間違いではないだろうが、市民の「危機感の薄さ」はマスコミのせいだけではあるまい。
日本では、アメリカのように農薬や化学肥料による被害を受けた当事者たちが、運動や裁判で訴えて世論や司法そしてメディアを動かす、という大きな社会の流れを起こしえなかったか、またはその流れが小さかったことも大きな要因ではないだろうか。
そういう意味でも、この映画は声をなかなか上げられない被害者たち、また私のようにまったく現状を知らない者には、重要な“啓蒙の映画”である。
“啓蒙の映画”は得てしてテーマが固くて地味で、「興行的に大成功」というわけにはいかないだろう。でもこの現実、事実をどうしても社会に伝えたい――そのために有効な方法の一つがドキュメンタリー映画なのだということを、原村監督のこの二つの作品が私たちに示してくれている。マスコミと違って影響力は大きくはないだろうが、すぐに消えて忘れられるテレビ報道とは違い、残る。自主上映というかたちで、全国にまた世界に草の根的に広がっていく可能性もある。
原村監督の映画『タネは誰のもの』と『食の安全を守る人々』は、そういうドキュメンタリー映画の役割と可能性を私たちに提示してる模範例といえる。
ただ二作品を観ながら、気になったことがある。両作品で “案内役”また“取材者”として、プロデューサーの山田正彦氏が最初から終わりまでずっと登場する。問題は「なぜ山田氏なのか?」という説明が映画の中で十分ではないことである。
原村氏はこの手法の理由として次のように書いている。
「今回の映画は山田正彦さんが発案し、プロデューサーですが、私は撮影がスタートする前から、山田さんの背中越しに取材対象者を撮影しようと決めていました。具体的には、山田さんがインタビューアーになって各地を訪ね歩くといったロードムービーのようなイメージです。撮影中、山田さんは常に相手の気持ちに寄り添って話を聞いていました。そこには喜びも悲しみもありました。時には山田さんの怒りも爆発しました。映画全体が人間味あふれるものとなると確信しました」
作り手のその狙いと想いはわかる。ただ観る側からすれば、「なぜこの人が、ずっと映画に登場して、引っ張っていくのか。制作費を出したプロデューサーからの条件または要望なのか?」と疑問を抱く人は少なくないはずだ。確かに映画の途中から、山田氏のこのテーマにかける情熱、取材相手に対する温かさなど人柄が伝わってきて、だんだん違和感は薄れていく。それでも完全に払拭されるわけではない。とりわけ山田氏の人間的な魅力をまだ十分観客が感知できない前半はそうだ。
私は、映画の早い段階で「山田正彦氏がどういう経歴をもった人物なのか」「なぜ山田氏がこのテーマにこれほどの情熱を傾けるのか」をきちんと観客に伝える「山田正彦・紹介コーナー」があればよかったのではと思う。そうすれば、私が抱いた疑問、違和感はなかったかもしれない。
「元農水大臣/弁護士」のタイトルだけでは足りない。山田氏はかつて出身地の長崎県の離島で畜産業を手掛けて失敗し、同様に失敗した同業者たちの中から自殺者も出た体験を持つ人だと聞いた。そういう山田氏自身の“農” や“食”との関わりと体験、想いを観客が知っていれば、もっと素直に山田氏の案内についていけたのではないかと思うのだ。
原村政樹 監督はこれまでも『いのち耕す人々』『天に栄える村』、『原発事故に立ち向かうコメ農家』(ETV特集)、『無音の叫び声、農民詩人・木村迪夫は語る』、『武蔵野』、『お百姓さんになりたい』など農業に関するドキュメンタリー映画を数多く制作してきた。“農業”のドキュメンタリーを作らせたら、この人の右で出る者はいない。
「なぜ農業にこれほどこだわるんですか?」と私が訊くと、「自分はこれしかできないから」と原村氏は謙遜したが、『海女のリャンさん』(2004年、キネマ旬報文化映画ベスト・テン第1位)など、農業以外のテーマで数々の映画やテレビ番組の名作を生み出してきた。豊富な経験とずば抜けた力量をもったドキュメンタリストとして、私が尊敬し目標とする作り手の一人だ。
とりわけ原村氏から学ぶべき点は、“こだわり”である。 “農業”という、あまり流行らない地味な題材で、「大ヒット作品」になることはあまり期待できなくても“農”にこだわる。“食”にこだわる。
フリーランスのドキュメンタリストの特権は、「自分を懸けるテーマはこれだ!」と思う題材を、思う存分、時間をかけて追い続けられることだろう。逆に言えば、「これだ!」と思うテーマを持たなかったら、またそれが“自分が生きること”と密接に関わっていないと、経済的に苦しく、孤立し、評価されない不安と自信喪失に震え、絶望するなかで、自分を支えられなくなる。
時代の潮流に乗り、注目され、脚光を浴びるセンセーショナル(煽情的な)テーマとは異なり、“農業”のような、これほど重要なテーマでありがら一般の観客の関心をあまり引きそうにない地味な題材ならなおさら、「これだ!」という、余程強い信念と確信を持たないと続けられないだろう。
“農”と“食”への原村氏のこれほど強い“ここだり”はいったいどこから来るのだろう。それは彼が“生きること”とはどう関わっているか――。次に語り合える機会があれば、ぜひ聞き出してみたいと思う。また「僕は“土”と、そこで生きる人が好きだから」と笑って、かわされるかもしれないが。
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