2021年11月1日
この本は、写真家・森住卓の「写真集」ではない。ジャーナリスト・森住卓の“人物ルポルタージュ”である。
「写真集」として手に取る人には、原発事故から10年も経った今、小さな集落の元住民たちを撮ったモノクロ写真が地味すぎて、「期待はずれ」と思う人がいるかもしれない。しかしその被災者たち一人ひとりの生い立ちから家族背景、避難後の生活と心情を丁寧に取材し記録した文章の後に、それらの写真を観ると、それぞれの「地味な」写真がぐっと観る者に迫ってくる。写真と文章とが相乗効果を起こし、鼓動を始めるのだ。
「なぜモノクロなのか?」と訊くと、森住氏は「カラーだと色が邪魔をするから」と答えた。「モノクロだと、色に惑わされず、撮り手が写真で主張したいことをはっきりと伝えることができる」というのだ。
森住卓氏は不思議なフォト・ジャーナリストである。一見、ぶっきらぼうに見える、まったく飾り気のない言動に、「怖い人」と評する人もいる。しかし彼は取材する相手の懐に飛び込み、心を鷲づかみして、まるで旧知の友人か身内のように感じさせてしまう不思議な力をもっている。
10年前、飯舘村でその現場を私は目の当りにした。ある酪農家の家に二人で住み込み取材した時のことである。家族に心を開いてもらおうと四苦八苦している私をよそ眼に、森住氏はまったく自然体。ぞんざいにさえ見える言動なのに、いつの間にか家族の中にすっかり溶け込んでしまっている。その後、この家族を訪ねると、「森住さんに取材してもらい、救われた気がした」と言う。私の名前は出なかった。私は激しい嫉妬と劣等感を抱いた。
「森住氏の天性の才能なのだ」と自分を納得させようとしたが、その後、彼の取材態度とその結果を見ながら気づいたことがある。森住氏は、取材する相手の“痛み”“怒り”“悔しさ”を自分のものにしてしまう感性をもっている。別の言葉で言えば、相手の立場と心情に自分を“同化”させているのだ。取材される相手は、森住氏のそういう姿勢を敏感に感じ取る。だから“同志”として心を開くのだ。沖縄・高江の住民たちも然り、福島の飯舘村の住民も、津島住民たちも然りである。
私を含め一般のジャーナリストは、取材する相手と「記事を書き、写真を撮り、映像作品を作るための“取材対象”」として“引いて”向き合き、取材を終えれば、すぐに関係性を切ってしまい、「はい、次!」となりがちだ。森住卓氏はその対極にある。それが彼を特異なフォト・ジャーナリストにしている。
「浪江町津島―風下の村びと―」の「まえがき」に森住氏はこう書いている。
「ふるさとを奪い取られた人びとの辛さと悲しみ、怒りの叫びが法廷にひびいていた。私のできることでこの人たちの叫びにこたえようと思った。
避難先で聞く原告の話は差別や被曝と将来への不安、ふるさとを失った悲しみ、など辛い話を聞く側の私も何度もこみ上げるものがあった。
この本はその原告たちの心からの叫びと願いをまとめたものである。」
その森住氏の深い思いが、写真からも文章とその行間からもにじみ出ている。だから、読む者、見る者の心にこれほど響き、染み入るのだろう。
どちらの側にも立たないことを金科玉条とし、神の位置から俯瞰して見せる「客観報道」は、他のジャーナリストたちに任せておけばいい。
私たちフリージャーナリストたちは、何を、どういう思いと姿勢で、どう伝えるべきなのか――その手本の一つを、私はこの「浪江町津島―風下の村びと―」に見た気がした。
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