2024年10月26日(土)より
K's Cinemaほか全国順次公開

予告編

イントロダクション

「ガザの全てが終わってしまった——」
パレスチナ取材歴30年の土井敏邦による
過去と現在を繋ぐ渾身のレポート!

. 2023年10月7日、ハマスによる越境攻撃をきっかけに始まったイスラエルによる未曽有のガザ攻撃。1年が経過した今、死傷者は10数万人にも及び、住まいを失った住民は全人口の85%以上、190万人に達している。
. この間、パレスチナ・ガザ取材歴30年の土井敏邦のもとには現地ジャーナリストから定期的に報告が届いている。「電気、水が遮断され、深刻な食糧危機が続き、生活環境も治安も悪化する中で、人々は精神的にも追い込まれている――」。命がけで伝えられるその“生の声”を受け取った者の責務として、土井敏邦が世界に向けて放つ激動のガザ・30年の記録!

  • 第一部「ある家族の25年」(120分)

. 故郷を追われ、ガザ最大の難民キャンプ「ジャバリア」で暮らすエルアクラ家。土井敏邦は1993年9月の「オスロ合意」直後から住み込みで取材を開始した。職につけず、結婚もままならない息子たち。家族と共に故郷へ戻れる日を待ち続けている父。イスラエル軍の撤退、解放、パレスチナ自治政府の誕生――。「和平」ムードに人々が歓喜する一方で、父は「これは本当の和平ではない」と怒り、故郷への帰還を諦めて家の増築を始める。パレスチナ初の選挙が行われ、インフラが整備されたガザで、エルアクラ家の息子たちは仕事と家庭を持ち、新たな生活を送っていた。しかし自治政府の独裁・強権政治と腐敗が深刻化し…。25年の歳月をかけエクアクラ家の人々の人生をみつめた本作はガザ住民にとって「オスロ合意」とは何だったのかを問い、「ガザのパレスチナ人」と一括りにされる彼らが私たちと“同じ人間”であることを伝える。なお、エルアクラ家の人々は今回のイスラエルの軍事作戦により、消息が途絶え安否不明となっている。

第一部の出演者

アブ・バッサム
(アリ・エルアクラ)

ガザ地区の北十数キロの村ブレール村出身。約 30 ヘクタールの土地を持つ農家だった。6 歳の時にイスラエルの武装組織に村を包囲され、一家はガザへ逃れた。ガザ 市、ハンユニス市、ガザ地区最南端のラファ市など転々とし、現在のジャバリア難民キャンプに落ち着いたのは故郷を追われたから 6 年後だった。ホテル従業員、アイロン店、雑貨屋、そしてイスラエルへの出稼ぎなどで家族を養ってきた。

バッサム

エルアクラ家の長男。1993 年 10 月時点で 32 歳。ガザ 市内のイスラム大学でアラビア語を学んだが、占領に抵抗する学生運動のリーダーで何度もイスラエル当局に拘束された。大学を卒業しても第一次インティファーダ(民衆蜂起/ 1987 〜 93 年)で就職の機会もなかった。90 年には「兵士殺害計画」という身に覚えのない容疑で逮捕され、2 年間、刑務所に投獄された。出獄後も、「逮捕歴」のためにイスラエルへの出稼ぎも難しく、長く失業状態のままだった。家族を支えるべき長男でありながら、その役割を果たせないことが、バッサムを苦しめた。

ファウジ

アブ・バッサムの異母弟。当時 30 歳で、長女ハニン(5 歳)の父親。ハニンの母親とは離婚し、キタム(24 歳)と再婚した。1993 年 10 月にはイスラエルのスーパーマーケットの精肉部門で働いていて、エルアクラ家の唯一の稼ぎ手で一家を支えていた。しかし 94 年 1 月、イスラエルの封鎖政策によって検問所の通行許可証を失い、失業した。ガザの NGOで運転手の仕事を得たのは、5 年後の 99 年だった。

ガッサン

エルアクラ家の次男。当時 27 歳でバッサムの弟。高校卒業試験の成績は抜群で医者になる夢を抱いていたが、家庭が貧しく海外の大学の医学部に留学できなかったため、授業料のかからない国連機関の教員養成専門学校(ヨルダン川西岸のラマラ市)に進学した。ガザに戻っても正式な就職もできず、臨時教員として家計を助けていた。

ウム・バッサム(セブハ)

アブ・バッサムの妻で従妹。バッサムを始め 8 人の子の母親。エルアクラ家のまとめ役。唯一の稼ぎ手だったファウジが失業し、食事が日に 2 度になったこと、買える野菜の量も激減したことを訴える。30 歳前後の息子たちが結婚できないことが最大の悩みだった。1999 年に長男バッサムが結婚したとき、さらにその妻が懐妊したときは歓喜した。

フサム

エルアクラ家の三男。高校卒業後、リビアに移住した親戚の支援でリビアの大学に進学。その後、奨学金を得てフランスの大学院に留学。卒業後、ガザの大学で教職に就いた。

ハイデル・アブドゥルシャーフィー

ガザの外科医で政治・社会指導者。1972 年に「パレスチナ赤新月社」を創設。91 年、マドリード中東和平会議でパレスチナ代表団の団長。オスロ合意には反対したが、パレスチナの民主主義の確立のために、96 年のパレスチナ評議会選挙に立候補し、トップ当選した。しかしアラファト率いるパレスチナ自治政府(PA)の独裁と腐敗に抗議して辞職した。2007 年 88 歳で死去。 

イスマイル・ハニーヤ

ガザ市に隣接するアッ・シャーティ(ビーチ)難民キャンプの出身。イスラム大学でアラブ文学で学位。1989 年から 3 年間、イスラエル当局に投獄され92 年からレバノンに追放された。ガザ に戻ったのち、ハマスの精神的指導者アハマド・ヤシーン師の側近に。2006 年のパレスチナ評議会選挙でハマスが勝利すると、首相に就任した。18 年にハマスの最高指導者に選出され、翌年にカタールに亡命。24 年 7 月 31 日、イランのテヘランで暗殺された。

ハーレド・アブドゥルシャーフィー

当時、UNDP(国連 計画)のガザ代表。ガザ地区経済の専門家。  

サラ・アブドゥルシャーフィー

当時、ガザ地区経済の専門家。

第二部の出演者

ラジ・スラーニ

ガザの人権弁護士で、「パレスチナ人権センター」の創設者で代表。ガザの名家スラーニ家に生まれ育ったが、イスラエル占領下の民衆の過酷な状況と闘うために弁護士となる。自らも占領と闘う政治組織のメンバーとしてイスラエル当局に 5 年近く獄中生活を強いられた。その人権擁護活動は国際的に高く評価され、ロバート・ケネディ人権賞、フランス人権賞、第二のノーべル平和賞といわれる「ライト・ライブリフッド」賞などを受賞。今回のガザ攻撃では自宅が爆撃され、カイロに逃れた。 

アハマド・ヤシーン

第一次インティファーダ時に、「ハマス」を創設。精神的な指導者となる。アラファトら PLO が推進する和平交渉を激しく批判し、イスラエルの完全撤退を訴え続けた。2004 年 3 月にモスクへ礼拝に向かう途中、イスラエル軍に暗殺された。

イスマイル・アブシャナブ

ハマスの共同創設者の一人で、ハマスの最高幹部。ガザ地区とヨルダン川西岸、東エルサレムに「パレスチナ国家」の創設を容認する穏健派。しかし現イスラエル国内から追われたパレスチナ人は、帰還する権利があると主張。2003 年 8 月、イスラエル軍に暗殺された。

ガジ・ハマド

ハマス系の新聞「アル・ワタン(祖国)の元編集長。イスラエルに 5 年間、投獄され、パレスチナ自治政府からも非難記事のために投獄された。2007 年に「1967 年以前の国境内のパレスチナ国家」を容認する発言をし、注目された。19 年当時、ハマス政府の社会福祉省の副大臣で、国際的に「ハマスのスポークスマン」として知られていた。

アミラ・ハス

イスラエルの有力紙「ハアレツ」の占領地特派員。1993 年からガザ地区に、97 年からはヨルダン川西岸のラマラ市に住んで、現地から報道し続けてきた。その記事にイスラエル内外から高い評価を受け、数々の国際的なジャーナリズム賞を受賞している。

M

ガザ地区中部の町で暮らすジャーナリスト、作家、研究者。レバノンやエジプトの雑誌や新聞にガザの現状などを投稿している。これまで 6 冊の著書を出版。政治団体、組合、大学内部、活動家、ジャーナリストそしてハマス内部にも幅広い情報源を持つ。今回の戦禍のガザ地区で市井の人びとの会話や FB などインターネットによって今回のガザ攻撃への民衆の生活や思いを取材し続け、1 ~ 2 週間に 1 度、定期的に日本にインターネットで報告している。2023 年末には自宅がイスラエル軍の戦車の砲撃を受け、弟と義弟を殺害された。再攻撃を恐れ、11 人の家族で最南端のラファ市に逃れ、1カ月間テント生活を余儀なくされた。3児の父親。

監督

土井敏邦(どい・としくに)

1953年佐賀県生まれ。1985年よりパレスチナ・イスラエルの現地取材。1993年より映像取材も開始し、NHKや民放で多くのドキュメンタリー番組を発表。2009年4月に、ドキュメンタリー映像シリーズ『届かぬ声―パレスチナ・占領と生きる人びと』全4部作を完成、その4部の『沈黙を破る』は2009年11月、第9回石橋湛山記念・早稲田ジャーナリズム大賞を受賞。 2012年7月、『飯舘村 第一章・故郷を追わる村人たち』(ゆふいん文化・記録映画祭/第5回松川賞)、2013年5月に『飯舘村―放射能と帰村―』を公開。2019年には映画『福島は語る』(文化庁映画賞 文化記録映画優秀賞)、2024年3月に『津島 ー福島は語る・第二章ー』を公開。 
主な著書に『占領と民衆―パレスチナ』(晩聲社)、『アメリカのユダヤ人』(岩波新書)、『「和平合意」とパレスチナ』(朝日選書)、『沈黙を破る』(岩波書店)、『“記憶”と生きる―元「慰安婦」姜徳景の生涯』(大月書店)など多数。

. 私は1985年以来、34年間、パレスチナに通い続けてきた。遠い国の人たちに起こっていることを伝えるときにまずやるべきことは、現地の人びとが私たちと“同じ人間である”と伝えることだと私は考えている。私たちはニュースが伝える数字で現場の実態を「分かった」つもりになる。しかし、あの空爆や砲撃の下には犠牲になった一人ひとりの死の痛み、悲しみがあるのだ。遠いガザで起こっている事態を、日本で暮らす私たちに引き寄せるために、長年ガザと関わってきたジャーナリストの私がやるべきことは、そのための“素材”を提供することではないか。ハマスによる越境攻撃から2週間ほど経た10月下旬から、現地ジャーナリストMは1~2週間ごとにインターネットの画面を通して、現地の状況を伝えてくれた。自身も自宅が砲撃を受け、弟と義弟が殺されたMは、世界のメディアが伝えない市井の人びとの空気を私に伝えてきた。Mが命懸けで伝えてきたその“生の声”を受け取った私には、それをきちんと世界に向けて伝える責務がある。この映画はそういう役割を担っている。

劇場情報

2024年10月26日(土)より
K's Cinemaほか全国順次公開

全国共通鑑賞券 発売中!
当日一般 ¥2200のところ ¥1600

イベント情報

●​シネコヤ(神奈川)

11月23日(土)
土井敏邦監督による舞台挨拶

●​シネマ・ジャック&ベティ(神奈川)

11月30日(土)
12月1日(日)
土井敏邦監督による舞台挨拶
都道府県 劇場名 電話番号 上映期間
東京 K's Cinema 03-3352-2471 終了しました
大阪 シアターセブン
06-4862-7733 終了しました
神奈川 シネコヤ 0466-33-5393 2024年11月23日(土)~27日(水)
神奈川
シネマ・ジャック&ベティ 045-243-9800 2024年11月30日(土)~12月6日(金)
東京 アップリンク吉祥寺 0422-66-5042 近日公開