Webコラム

2006年夏・パレスチナ取材日記 4

見誤るガザ住民の怒りの矛先

7月24日(月)

 昨年夏のガザ入植地撤退時に取材したハンユニスのアイスクリーム工場を1年ぶりに再訪した。当時、この工場の経営担当者は、「入植地が撤退すれば、イスラエル軍の検問所がなくなり、最大のマーケットであるヨルダン川西岸へ自由に輸送できるようになる」と期待を語った。しかし1年後、再訪した工場の中は灯りもなく、まっくらだった。イスラエル軍による発電所破壊のために、この工場をふくめハンユニス市の住民は7時間おきにしか電気が得られない。冷凍施設が不可欠なアイスクリーム工場では深刻な打撃を受けることになった。
 パレスチナではアイスクリームのシーズンは3月ごろから始まる。しかし今年は1月の選挙直前、ハマス優勢の空気をけん制するためか、イスラエルはガザと外との唯一の物資の出入り口となっているカルニ検問所を封鎖した。封鎖は6月中旬まで断続的に続き、この工場はアイスクリームを西岸に輸送することもできなかった。国際社会の圧力などでやっとカルニ検問所が開いて10日後、ハマスの武装勢力らによるイスラエル軍陣地の攻撃の報復として再び検問所は封鎖された。アイスクリームの需要が最も高いシーズンにヨルダン川西岸のマーケットは完全に閉ざされてしまった。
 さらに停電が追い討ちをかけた。アイスクリームを卸したガザ地区の各地の商店では、保存する冷凍ボックスが停電で機能せず商品が溶けてしまうため、次々と工場にアイスクリームを返却してきた。なかにはすでに溶けて商品価値を失ったものを少なくなく、返却品の半分ほどを捨てなくてはならなかった。その損失は13万ドルにも及んだ。
 現在、工場は生産を停止し、200人ほどの従業員は職を失ったままだ。しかもすでに生産された商品の保管も停電が断続的に続くなかでは深刻な問題だ。9万箱のアイスクリームを保管する冷凍庫の出入り口は現在、テープでふさがれている。電気が使える1日6時間の冷凍稼動時間の冷気が外に漏れないようにするためだ。それでも商品が溶け始めると、巨大な自家発電気を使用しなければならない。しかしそれには、品不足で急騰している燃料の油のために、1日1000ドルの費用がかかってしまう。
 このような事態に、工場会計責任者は「ハマス政府や武装勢力の攻撃のせいで自分たちはこんなに苦しまなければならないのだ」というハマスに対する激しい反感、怒りを抱いているのではないのか。単刀直入にその質問をぶつけてみた。するとその経理責任者はこう答えた。
 「ハマスの攻撃は政治犯の釈放のためです。イスラエルがまったくパレスチナ人の状況など気にもかけないから、私たちはひどい経済状態にある。ハマスの攻撃の原因はイスラエルにあります。だから非難すべきはイスラエルであって、ハマス政権ではありません」
援助の停止や封鎖の強化によるガザ地区住民の生活難は、イスラエルや欧米諸国の思惑とは逆に、ハマス政権にではなく、イスラエルとそれを支援する国々への激しい怒りを増幅させるという皮肉な結果を招いている。イスラエルが暗殺作戦でハマス関係者を殺害するたびにハマスへの支持票は増加している」と指摘する声もあるほどだ。

ハマス政権の誕生以来、欧米や日本の圧力のために海外援助が止まり、公務員の給与が数ヵ月間未払い状態が続いている。さらに6月25日のハマスらによるイスラエル軍陣地の攻撃と兵士1人の「拉致」以後、空と海からの砲爆撃、戦車による侵攻、橋や電力発電所の破壊、封鎖の強化によって、120人を超える犠牲者、550人近い負傷者を出している。
 メディア情報でガザの状況を見ている私たち外の人間には、このような困難な状況に追い込まれた住民の怒りはハマスに向かい、人心はハマス政権から離れていると思いがちだ。しかし現地の人々の声を直に聞くと、私たちの予想が現実とは大きく食い違っていることに気づき、驚く。安全な異国で、自由で快適な生活を送りながら、欧米やイスラエルのメディアを通して得た情報で、パレスチナ情勢をわかったつもりになっている私たちジャーナリストや専門家たちが完全に見過ごし、読み違えていることがある。それは“占領”下で日常的な殺戮や封鎖で生き続けている人々たちの舌筆しがたい苦しみと屈辱、その中に鬱積する“占領”する者とそれを支え続ける者への抑えがたい怒りと憎しみだ。
 やはり現場にいないとわからないことはあるのだ。

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